164.雲の峰 3
修吾くんを連れて島津家に戻る。島津家は都心の超高層ビルの最上階である。綱には運転手と近くで待ってもらうことにした。あまり家の事情に踏み込まれたくないと思ったからだ。
光毅さまと修吾くんの父、SBテレビ社長の島津修光は応接室で待っていた。背後の大きな窓ガラスには東京の夜景が広がる。まるでこの光を手中に収めんと言わんばかりの威圧的なほどのきらめきだ。これでウイスキーグラスでも掌で転がしていれば完璧な悪役である。
島津社長は修吾くんを不機嫌そうに一瞥した。私は腹が立って島津社長を睨んだ。悪役面で負けるわけにはいかない。
「白山さんか、白山フードサービスのお嬢さんだったね。どうぞ座って」
「白山茶房のオーナー、白山姫奈子です」
私は名乗り返し、ソファーへ腰かけた。腰が深く沈む。
「突然のことでディナーも用意できずに申し訳ないね」
夕食時にやってきた私に対する嫌味をいいながら、島津社長は面白そうに笑った。
「光毅から聞いた。修吾のスポンサーになるんだとか? 君はたまに話題になるけど、また面白い遊びを考えたね?」
「本気です」
「捨てる金になるよ」
「なりません」
きっぱりと答える。
「ああ、させない」
修吾くんが答えた。
「君は修吾の将来に責任が取れるのかい? 無責任に他所の家を引っ掻き回してくれるな」
島津社長は不穏に笑う。修吾くんが不安そうな顔で私を見る。
「なぜ私が修吾くんの将来に責任を取らなくてはいけないんですか? 私は利益になると思ったから、修吾くんのスポンサーを申し出ました。修吾くんはそれをのんだ。それだけのビジネスです。契約相手に将来の責任まで求めるのは過剰要求では?」
光毅さまが驚いたような顔で私を見た。
「自分の未来に責任をとれるのは自分だけです。修吾くんだってわかっています」
助けてくれる人はいる。アドバイスをくれる人もいる。
だけど、その手を取ることを選ぶのは、アドバイスをアドバイスとして聞く耳を持つのは、自分だけなのだ。
前世の私は、甘やかす言葉だけをアドバイスとして受け取って、耳の痛い言葉は全部自分で振りはらった。無責任な共感に私はどんどん煽られて、自分の抱いた憎しみに飲み込まれてしまった。
私がどうなっても困らない人たちの言葉ばかり真に受けて、私が迷惑をかけただろう綱や氷川くんの言葉をはねつけた。結果、自業自得な落ち目にあった。それを誰かのせいにする気はない。
気が付いたのだ。
あの日の断罪。婚約破棄した氷川くんが悪いと、淡島先輩に仕組まれたと、ずっとそう思っていた。だけど本当は違う。
婚約破棄されたくなかったら、私はもっと本気で氷川くんに向き合うべきだった。ちゃんと話を聞いて、釣り合える人間になるべく努力をするべきだったのだ。
家が没落したのだって、そもそもブラック企業でなければ起きなかった問題だ。私は父の過労を知っていながら放置した。その無理な経営だって、湯水のようにお金を使う私のためだったのかもしれなかった。
「私は契約書上の責任しかとりません」
それを聞いて、島津社長が小さく笑った。
「そうか、思ってた以上だったな。光毅が絆されるわけだ」
「何がですか?」
「もう少し、そうだな、なんというか女子供の感傷に流された思い付きだと思っていた」
「感傷に女も子供もないわ。男でも大人でも、冷静ではない人はいます。それに感傷だから失敗する、そんな理論もないでしょう」
「失礼。そのとおり」
島津社長は笑った。
「これは投資です」
「そうか。修吾の未来にかけてくれる、と」
「修吾くんの未来というよりは、スポンサーになる経験を私が買おうと思います。私自身への投資でもあります。白山茶房はまだスポンサーになったことがありません。全部、一からです。その経験を得るために修吾くんに投資します。だから、全力は尽くしますが、慣れている会社とは違って修吾くんに迷惑をかけるかもしれないと思っています」
「失敗しても、修吾は一年テニスができただけラッキーだが、君は大きな損失だろう?」
「苦労は買ってでもしろ、じゃないですか?」
余裕を見せつけるように笑って見せる。それくらいの金ならあるのだ。
光毅さまが島津社長をみた。島津社長は光毅さまと修吾くんを見る。
修吾くんは島津社長に強い目を向けた。その顔はもう子供のものではなかった。夢をもぎ取りに行く、そう決めた男の顔。
「オレはテニスを続ける。誰が何と言っても」
「勝手にしろ。光毅がサインしたんだ。俺は知らん。お前がどれだけジタバタしようと、テニスには一銭も出さない。それは変わらん。ただ、まぁ、家には置いてやる」
島津社長はそういうと席を立った。
「白山姫奈子さん、……修吾のこと、ありがとう」
それだけ言って、島津社長は出て行った。
私は緊張が途切れて大きく溜息をつく。
「……これで、大丈夫だったのよね? 修吾くんテニス続けられるのよね?」
「うん。ありがとう。姫奈子先輩」
修吾くんが頭を下げる。
「いいえ。えっと、それで何をすればいいの? まずはトレーナーの契約よね? 私詳しくないんだけど、どうしたらいいかしら?」
「オレがその辺りは手配するよ。また改めて連絡する」
光毅さまが微笑む。
「修吾くん頑張ってね! バシバシ宣伝してもらうわよ!」
「頑張ります!」
「あと、それとね……お願いなんだけど、彰仁に連絡してやってくれないかしら?」
そう言えば、修吾くんが気まずそうに笑った。
「ごめんなさい。オレ、彰仁に酷いことした」
「ううん。そんなことないけど、ちょっとしょげてるのよ。こればっかりは私には慰められないから、修吾くん、おねがいね」
それだけ言って島津家を後にした。







