162.雲の峰 1
夏休みが終わり、今日は始業式だ。半日で学校を終え家に帰れば、なんだかザワついていた。綱と二人で顔を見合わせる。何が起こったんだろう。
彰仁が私を見つけて駆け寄ってくるなんて珍しい。
「姫奈子!」
「なに?」
「修吾に連絡取れるか?」
彰仁の必死な形相に、慌ててスマホを取り出す。そう言えば、今朝、始業式頑張ろうねと連絡したところだった。返事はなかったがどうだっただろう。
「既読ついてるけど?」
「いつ?」
「今朝送ったものだから、朝からお昼の間じゃない?」
時間までは特定できない。
彰仁はショックを受けたような顔をして、そして、睨みつけるように私を見た。
「なによ?」
怒られる心当たりなんかない。
「……姫奈子、何でもいいから、修吾になんか送れ」
「え?」
「スタンプでいいから!!」
「なんでよ、彰仁が送れば?」
言えば、彰仁はそっぽを向いて吐き捨てた。
「うるせーなっ!! 俺はブロックされてんだよ!!」
突然の怒鳴り声。男っぽい言い方に、ビックリして後ずさる。こんなに怒っている彰仁を見るのは前世ぶりだった。
「なによ? 喧嘩したの?」
「バカ姫奈子! そんなんじゃねーよ! アイツ、昨日から家、帰ってないんだ。探すなだなんて書置き置いて。電話もつながらねー! 居場所もわからねー! それで、家族をブロックしてる。……俺のことも……」
彰仁がギュッと拳を作った。
私は慌てて当り障りのないバナナのスタンプを送る。修吾くんがプレゼントしてくれたものだ。言葉はなんて書いていいかわからなかった。こういう時スタンプは便利だ。
すぐに既読が付いた。でも返事はない。
「既読、ついたわ」
「生きて……る……よな?」
「馬鹿言わないで! 生きてるわよ!!」
思わず声を荒げれば、泣きそうな顔で彰仁が私を見た。ああ、とても懐かしい。小さいころ彰仁は、こんな風に不安そうな顔で、私に縋った。
「姫奈子、すっげー、……おれ、すげー、お前にお願いするのやだけど。なんか、すげー、悔しいけど。でも、姫奈子、姫奈子も……修吾を探してよ……」
「当たり前じゃないの!」
答えれば、彰仁が酷く傷ついた顔で私を見た。
「ずっと、変だったんだ。二年になってから、なんかちょっと、修吾変わっちゃって。学校来なかったり、髪だって、どんどん明るくなって。夏休み、家誘ったけど、来ないっていうし、変だって気が付いてたのに、俺。なんも、できなくて」
「……そうだったの」
高等部の私はちっとも気が付かなかった。私にくれる連絡はいつも前向きで明るいものしかなかったから。
「修吾……俺、ブロックして、姫奈子は、……されてない。俺に呆れてるんだ。俺は頼りにならないって。見限られた」
「馬鹿ね、修吾くんは家族をブロックしてるんでしょう? 探すと信じているからブロックしてるのよ。修吾くんは彰仁が探しに来るってわかってるの! 彰仁が親友だから。私はそういうふうに思われていないだけよ」
「……でも俺もう友達じゃないと思われてるのかも。探しに行ったらウザがられるかも」
彰仁が珍しく弱気に俯く。
「あっくんシッカリなさい!! 修吾くんがどうこうじゃないわ。あっくんはどうしたいの? 探したいのよね? だったら探すの!」
ピシャリとしかりつければ、彰仁は戸惑ったように笑った。
「姫奈子が姉貴みたいだ」
「あのね? 私はずっとお姉さまです!!」
綱がそれを聞いて小さく笑う。
「それで、修吾くんはなんで家出したの? 理由は聞いた?」
「おばさんが言うには、昨日、テニスの件でおじさんと大喧嘩したらしい」
「テニス?」
「多分ずっと反対されてたんだ」
あんなに一生懸命なのに。
「彰仁、島津家にパスポートが残されているか確認するように言ってみて。残っていれば国内だわ」
「まさか海外なんて」
「わからないじゃない。あれだけどんどん海外に行く子よ? 修吾くんにすれば、ほんの近所かもしれないわ」
「聞いてみる。そっか、もう少し探す場所を広げた方がいいのかもな」
彰仁の目に力が戻る。
「カード類の使用履歴を調べた方がいいかと」
綱が付け足す。
「わかった。光毅さんに言ってみる」
「あと、私は心当たりのところへ探しに行ってみるから」
「あらかた探したぞ?」
「みんなが知らない場所があるの。外れかもしれないけど行ってみればいないことが確認できるわ」
あの夏に二人で探検した小道。夕立の間にこもった小さなお堂。
綱と彰仁に自慢しようと思っていたけど、修吾くんが秘密にしようと言ったから、誰にも場所は教えていない。
「お嬢様! 私も行きます!」
綱が言う。
「ええ、来て。別荘まで車を出して!」
使用人に声をかける。綱はバタバタと用意を始めた。
車の中で綱が用意してくれた昼食をとり、制服のまま別荘へと向かう。車なら二時間はかからない。そこにいて欲しいと祈りを込める。
林の小道の入り口に車を置き、そこへ待機してもらう。綱には一緒に来てもらった。怪我などしていたら、私には動かせない。
小走りで林の小道を抜ける。うっそうと茂った緑の息吹。足元の小さな看板を見つけてホッとする。
「綱はここで待っていて」
「私も行きます」
「待っていて。すぐそこだから。手が必要なら呼ぶわ。もし修吾くんがいたら、男の先輩が来ただなんて、気まずいでしょう? 違う?」
そう言えば、綱は苦々しい顔をして黙った。
獣道を踏み分けて、小さなお堂へ向かう。軽く礼をしてかの扉を開ける。相変わらず建付けが悪く、ギシギシと音を立てる。
無理やりに開いてみれば、修吾くんが蹲っていた。
綺麗な金髪だったはずの髪が、まだらに黒く染められている。
「酷い!!」
おもわず駆け寄って、めちゃくちゃになってしまった頭を抱き締めた。
「……姫奈子……せんぱい」
修吾くんが喉を詰まらせる。
「探したわよ。良かった。ここにいて。どうしたの? みんな心配しているわ」
「もう駄目……もう無理……オレ、テニス、もうできない……」
修吾くんが絞り出すように呟いた。
私はそっと頭を離し、修吾くんの顔を覗き込む。
「……どうして?」
「父が、もう止めろと、遊びは今年で終わりだと、そう言って」
「……遊び」
「トレーナーを解雇されました。もう金は出さないと言われたんです。それでトレーナーに謝りに行ったら、もう会えないって言われて……そのままここへ」
「そんな」
小さくため息をつけば、修吾くんは顔をあげた。
「二学期が始まるのにふざけた頭だと怒鳴られて、無理やり髪を染められて」
「それでこんな」
「髪なんて、とっくに明るくしていたし、それにずっと気づきもしなかったくせに!! ずっとオレを兄に押し付けてきて、今更保護者面して欲しくない!!」
修吾くんが苛立ちを隠さない。
修吾くんのご両親は確かに忙しく、ほとんど光毅さまが保護者の代理としてやってきていた。運動会もそうだ。氷川家のクリスマスも光毅さまと一緒だった。光毅さまにだって自分の学業も仕事もある。修吾くんはずっと寂しい想いをしてきたに違いない。
「オレを兄に押し付けて、兄はオレがいるから自由になれない。兄を自分達の都合の良いロボットだと思ってる。兄だって、すごい選手だったのに、父がテニスを奪って! 引いたレールを無理やり走らせてる!!」
「光毅さまも」
「あんな世界、どうでもいいじゃないか!! 自分たちは好きでやってるかもしれないけど、オレはあんな世界に行きたくない!」
「あんな世界、普通じゃない」と初めて会った時も言っていたっけ。
あれは、そういう意味だったのか。憧れの兄からテニスを奪った、財界への思い。
「……修吾くんはテニスを続けたいのね?」
コクリと頷く。
「どうしても、何が何でも続ける意思はある?」
「オレにはテニスしかない。テニスしかできない」
ああ、去年の夏もそう言った。テニスがなかったら生きていけないから、この子はそう言っていた。
「だったら、私、修吾くんのスポンサーになるわ」
そう言えば、修吾くんはキョトンと私を見つめた。
「おじ様のお金を当てにしなければいいのだわ。トレーナーを修吾くんが雇えばいいのよ。今年、白山茶房の収益が少し多くてね、お金を使わなきゃいけないの。だから、修吾くんに使うわ」
「姫奈子先輩……」
「でもね、条件があるの」
「条件ですか?」
「ええ。来年の秋までにプロツアーで結果を出してちょうだい」
言えば、修吾くんは真剣な眼差しで頷いた。
「白山茶房の経営がどうなるかわからないから、スポンサー契約は一年。もし更新できない場合を考えて、次のスポンサーを獲得できるようにして欲しいの」
私は来年の秋までにどうなるかわからない。だからそれまでしか約束はできないのだ。
「頑張ります」
「それと、高等部の芙蓉会に入って」
「それは時間の無駄です! 早く世界に行きたい!」
「勉強しろというんじゃないわ。留学したいなら中学の間は籍だけ残して、高等部に入ってから留学してちょうだい。一日でもいいから高等部に行って、芙蓉会に名前を残すのよ。そうすれば、芙蓉会OBからスポンサーを探せるわ」
財界にも芸能界にも伝手が広がる。修吾くんが目を見開く。
「いい? あなたのために、学院を使うの。中学高校は未来のための繋ぎでしかない。学校を楽しめなんていわないし、テニスを犠牲にしろなんて言わないわ。ただ、自分に有利な環境を手に入れるために利用するの」
「……わかりました」
「あと、契約をするために光毅さまを巻き込むわ。修吾くん未成年だから」
「兄が認めてくれるか」
「大丈夫よ! 修吾くんを人質にして脅すわ!! 光毅さまが今一番欲しいパイを私が持ってるんですもの。今が一番有利だわ。使わない手はないでしょ?」
言えば、修吾くんは私を見て吹き出した。
「姫奈子先輩……」
「修吾くん。大好きなお兄さまを巻き込んで迷惑かける覚悟はある?」
「あります」
「なら、共犯よ。さあ立って! 行くわよ!!」
立ち上がれば修吾くんも続いて立ち上がる。狭くて埃臭い世界から、蝉時雨の林に出る。キラキラ落ちてくる木漏れ日に、修吾くんが眩しそうな顔をした。それはまるで去年と同じだった。







