117.事件ですっ 2
沼田邸に着く。帰りはハイヤーを使う旨を伝え、運転手には休むように言った。さすがに長距離を運転させてばかりでは疲れてしまう。
もう、夏の日は落ち始めているのだ。
「綱もつき合わせてごめんなさいね」
「いいえ」
綱は嫌な顔一つ見せずに付き合ってくれる。しみじみと力強いと思う。
沼田邸では、紫ちゃんと二階堂くん、葵先輩と淡島先輩までもが待っていた。二階堂くんは、蒼白な顔をして緊張しているようだ。
淡島先輩の険悪なオーラが怖すぎるからだろう。まさにガクブル。
「姫奈ちゃん!」
「ゆかちゃん!」
久々の紫ちゃんの顔にほっとして、思わず抱きついた。
「姫、ゴメン!!」
二階堂くんが頭を下げる。
「流出動画……多分、俺の撮った録画だと思う」
私は驚いて二階堂くんを見た。二階堂くんは深々と頭を下げ、顔をあげない。紫ちゃんは泣き出しそうな顔をして、葵先輩は困り顔だ。淡島先輩は今にも唾でも吐き出しそうな怒り顔である。
……怖いよ、淡島先輩……。
綱は無表情で私を見た。
「……えっと、……まぁ、そうでしょうね……。逆に他に録画している人がいるなら、回収しておきたいところよね」
私はため息をついた。二階堂くんだから録画したものをそのままにしておいたのだ。あんな恥さらし動画、他の人の手元に残っていたら嫌すぎる。
「それで、二階堂くんがネットにアップ? っていうの? そういうのしたのかしら?」
「違うよ!! そんなこと絶対しない!!」
「そうよねぇ。私もそう思うわ」
二階堂くんはそんなおバカではないと思う。
チラリと紫ちゃんを見れば、ホッとしたように瞳を潤ませた。紫ちゃんが信じている相手だ。私だって信じたい。
「とりあえず、座って?」
葵先輩の声で、みんなが席につくと冷たい飲み物が用意された。やっと一息付けたことでホッとする。
「まず、確認したいんだけど、PTSDの訴状は白山さんが出したわけではない、でいいのかな?」
「もちろんです。今、早乙女さん……男性ボランティアの方に確認してきましたが、訴えているのは大黒典佳です」
「それを聞いて、ひとまずは安心だ」
「安心?」
「ああ、白山さんだったら、どうしようかと思ってね」
眼鏡の奥が鈍く光る。淡島先輩が怖い。
「……え、どうしようって……?」
「男性ボランティアに対する訴えではあるけど、学校名が公になれば芙蓉も風評被害を被る。学校の風評被害はすなわち僕らの評判も下がるってことだよ。意味わかるよね?」
唇の端だけを上げて微笑まないで、淡島先輩! どう考えても悪役顔だから。
思わずブルリと震える。
「白山さんは動画を見てないんだっけ?」
淡島先輩の問いに頷けば、件の動画が再生される。モザイクがかかった動画には、早乙女さんの怒号に、泥まみれの私が謝罪している姿が映っていた。その後の早乙女さんの叱責は、「目がみえなくなる」以降のセリフが切り取られている。前後の過程が巧妙に切り取られ、泥まみれの私が早乙女さんに許しを請い、それをさらに叱責する早乙女さん、という動画に編集されていた。
「嫌な感じね。これじゃ、謝っている私が大黒さんみたいに見えるわ。知らない人が見たら、私が学校の評判を落とそうとしてるみたいじゃない!」
思わず眉をしかめる。そこまで計算しているなら悪質極まりない。
「しかも」
淡島先輩が見せてくれたコメント欄は、ひどい状況になっていた。
『これはPTSDになるわ』だとか、『こんな鬼畜の作る米は食えない』だとか、バッシングのコメントがたくさんついている。すでに生産地の場所までもが特定されて、不買運動までおきつつあった。
どんどん増えていくコメント。学校を特定しようとする動きもある。このままでは学院を特定されるのも時間の問題だ。
ゾッとした。何も知らない人たちが、意図的に編集された動画でミスリードさせられている。善意で牙を剥いてくる。
「これが拡散されつつある。二階堂。この動画を誰に渡したんだ」
淡島先輩がむっつりと言えば、二階堂くんはビクリと体を震わせた。
「……学年の終わりころ、クラス委員に担任に渡すと言われて預けました。今後のために証拠を残す必要があると言われて。誓ってそれだけです」
シンとする。
当時のクラス委員は、委員長が桝さんで、副委員長が綱だった。
「それって、ま」
「姫奈!!」
綱が鋭い口調で私の言葉をさえぎった。ゆるく頭を振る。
「疑いだけで名前を出すのはいけません。証拠がないのは、私もあの人も先生も一緒です」
「庇うの!?」
思わずカッとなる。私より、彼女を庇うのか。
「違います!!」
綱はそう言って宥めるように私の手にふれ、私にだけに聞こえる声で、「あそこは白山グループのメインバンクです」と、小さく耳打ちした。ビクリとして顔を見れば、「融資も受けています」と続けた。
白山グループのために滅多な真似をしてくれるな、暗にそう言っている。
たしかに、軽率な真似はできない。前世のように私の行いで、家を没落させてはならない。でも。
「生駒の言うとおり。特定は覆らない証拠をそろえてからだよ。悪意があってのことなら、何かの罠かもしれないし、万が一学院側からの漏洩だったとしたら目も当てられない」
淡島先輩の声が重く響いた。
だからこそ、二階堂くんもあえて名前を出さずに答えたのだ。
「ボクらは聞かなかったことにする。他にも口外しないこと。いいね」
淡島先輩が言った。
「! でも!」
「いいかい? どうせ大黒サイドを問い詰めれば、あちらから吐くだろう。共倒れしてもらった方がいい」
「わざわざこちらの手を汚すまでもない、ですか?」
綱が問う。
「生駒は察しが良くて助かるよ」
理屈はわかるが悔しくて私は俯いた。綱が手を強く握る。堪えろ、そういう意味だ。
綱の言うとおり。ここは、堪えるのが得策だ。綱の手を握り返す。
チラリと綱を見れば、むっつりと顔を顰めている。淡島先輩や綱の言うことはもっともで、反論の余地はない。
芙蓉銀行頭取の一人娘を、確たる証拠がないのに犯人扱いするわけにはいかない。犯人扱いして騒ぐことが相手の思惑なら、さらなる罠が張られているはずだ。もし無実なら、誹謗中傷だと取引に悪影響がでてもおかしくない。それに、学院からの漏洩事故なら、ことを荒立てない方がいい。
「白山さんはボランティアの男性に会って来たんだよね?」
「はい」
「そっちの話を聞いてもいいかな?」
淡島先輩は優しく問いかけてくるけれど、背中のオーラは依然黒いままだ。
「早乙女さんは、諦めているというのか、あまり関心がないというのか、そういう感じでした。ただ、お米の売買契約の解約が徐々に出てきているようだったので、それらは私の方で契約を結んでもらう約束をしてきました」
「弁護士は?」
「まだ決まっていないみたいです」
「俺のうちにやらせて!!」
二階堂くんが声をあげる。
「二階堂くん?」
「俺の親は弁護士事務所をやってるから、任せて欲しい」
「仁くんのご両親は有名な弁護士なんです!」
紫ちゃんが言えば、淡島先輩が冷たい目で二階堂くんを見る。
「画像流出させた二階堂を信じろと? 疑える人物が増えたからといって、君の疑いが晴れるわけではない」
冷え冷えとした言葉に、二階堂くんと紫ちゃんが凍り付いた。
「二階堂くんなら、この状況をどうしますか?」
綱が二階堂くんを見る。きっと助け舟を出してくれたのだ。二階堂くんは、綱を見てグッと息を飲んだ。
「俺なら……、姫には迷惑がかかると思うけど、元の動画をアップする。大黒さんが姫を突き落としたところが映ってるんだ。だから、先生が欲しがってるんだと思った。……ゴメン。動画が悪質に編集されていることを証明する。元の動画の方が認知度が上がれば、裁判自体取り下げるしかないと思う」
確かに、そうすればいいかもしれない。
「白山さんがさらに傷つく」
淡島先輩がすげなく答える。
「映像にはモザイクをかけて……」
二階堂くんがチラリと私を見た。
「ええ、いいわ」
私も覚悟を決めた。私の映像が大黒さんだと誤解されるなんて不愉快だ。
それに何より、私のせいで早乙女さんのお米に風評被害があってはいけない。あんなにおいしいお米だもの。正当な評価を受けて欲しい。
「だが、」
淡島先輩が言いかけて、葵先輩が淡島先輩の腕をひいた。
「風雅、心配なのはわかるわ。でも、紫のことも信じてあげて」
紫ちゃんは淡島先輩を縋るように見つめていた。
「ああ……、淡島先輩は二階堂くんがゆかちゃんと仲が良いのがそもそも気に入らないんですね?」
ポンと手を叩けば、葵先輩が噴出した。
「さすが姫奈子さん、私は口にできなかったわ」
紫ちゃんはあっけにとられ、淡島先輩を見た。
淡島先輩は目をそらして否定する。
「そういうことじゃないんだ。先の映像より後発映像の認知度を上げるのは難しいと思う」
「確かにそうかもしれません」
綱が考え込むように俯いた。
その時、私のスマホが鳴った。見れば光毅さまだ。私は慌てて席を立ち、廊下まで出て電話を取った。
『姫奈子ちゃん?』
「はい」
『芙蓉学院のPTSD問題って知ってる?』
まさか光毅さまから電話がかかってくるとは思わなかった。
「はい。なぜそれを光毅さまが……」
もう、学院の名前が特定されているのだ。
『SBテレビで取り上げる話が出ているんだけど、芙蓉学院だろう? 下手なことをしたくないから、少し下調べがしておきたくて。映像の子が誰だかわかるなら教えて欲しいと思ってね。同級生だよね?』
さすがに、モザイク、眼鏡、マスク、帽子姿で私とはわからなかったらしい。知られたくなかった。光毅さまには見られたくなかった。
神様の意地悪~!!
「……私です……」
『……姫奈子ちゃんが訴えてるの?』
「違います!! 勝手に使われてるんです!!」
『詳しい話を聞きに行っていいかな? どこにいるの?』
「今は外出中ですが、すぐに本邸の方に戻れます」
『会えるかな?』
「ぜひお願いします!」
私は慌てて部屋に戻った。
「淡島先輩! 映像の問題は何とかなるかもしれません!」
「どうしたの?」
葵先輩が私を見る。
「今、SBテレビの関係者から連絡があって、話を聞いてくれるみたいなんです!」
「島津さまですか?」
綱に問われて頷き返す。
「ネットよりテレビの方が影響力は大きいでしょう? テレビでは私たちの持っている動画を流してもらえないか相談してみます」
「姫奈ちゃんは本当にそれでいいの?」
涙目で紫ちゃんが私を見る。
「いいわ。私が大黒さんだと誤解されるなんて嫌だし! そもそも、あの格好でモザイクかければ私とはわからないでしょう? それでも裁判になったら、弁護は二階堂くんのご両親に任せるわ」
「姫! 信じてくれるのか?」
「信じるっていうか、だって、最初の林間学校の時、ニンジンくんの動画で助けられたのよ? 私。ニンジンくんがふざけてたって使い方を間違えない人だって知ってるのよ」
「姫奈ちゃん!」
「姫! ありがとう!」
抱き締めてくる紫ちゃんの背中をポンポンと叩いた。淡島先輩は肩をすくめ、葵先輩は笑っている。
それから、私たちは光毅さまと会うことになった。







