116.事件ですっ 1
指先が震えている。バクバクと心臓が鳴って、どうしたらいいのかわからない。
先ほど、桜庭の友人とのお茶会で大変なことを知らされたのだ。
神様のドSっぷりもここまで来ると、度が過ぎている。
「綱! どうしよう!」
真っ先に綱の元に駆けこむ。
「どうしたんですか?」
「これを見て!!」
スマホの画面を綱に見せる。先ほど教えてもらったばかりの記事だ。美佐ちゃんが屈託なく、『芙蓉もお田植えしたのよね? 怖い方いるの?』なんて話題に出してきたのだ。
―― 学校行事での叱責で心的外傷後ストレス障害(PTSD)発症 叱責したボランティア男性を提訴
昨年、都内の私立中学校で学校行事の田植えの際、ボランティア男性に叱責された女子生徒がPTSDを発症 学校行事への参加に恐怖を覚えるようになったという。女子生徒は男性ボランティアに損害賠償を求めている ――
「これは……大黒さんですかね」
「やっぱりそう思う? 早乙女さんに損害賠償を請求してるの?」
「そのようですね」
「賠償金額はいくらくらいなの?」
「PTSDは幅がありますから……最低でも二百万くらいは見ておいた方がいいかもしれません」
「二百万!?」
「最低でも、です。相手がどれだけの損害を請求してくるかはわかりません」
「どうしよう! 早乙女さんは悪くないじゃない!」
「その通りです。しかも、なぜ今頃?」
「わからないわ。とりあえず、早乙女さんに会いに行くわ!」
「私も一緒に行きます」
「お願い」
違えばいいのに、勘違いであってほしい。そう願いながら、私と綱は慌てて早乙女さんの元へ向かった。
早乙女さんは青々とした稲の揺れるあぜ道に座り、のんびりとお茶を飲んでいた。
「早乙女さん!」
「おお、なんでぇ、来るこんになってただか」
「いいえ! 突然お邪魔して」
「いいさよ」
早乙女さんの日の焼けた顔がクシャリと笑う。
「あのっ、裁判の記事を読んで……あれって、早乙女さんじゃないかと」
早乙女さんは無言で頷いた。
「! 私のせいで」
「きにしちょ。俺ン悪ぃずら。知らんけど」
「そんなことないです! 全然悪くないです! あの時早乙女さんが怒鳴ってくれたから、私は救われたんです!」
「ほーけ、ほーけ、ならそれでいいわ」
早乙女さんは笑う。
「訴状の相手は大黒典佳で間違いないですか?」
綱が尋ねる。早乙女さんは頷いた。
「弁護士さんには相談しましたか?」
私が尋ねれば早乙女さんは笑う。
「そういうこんは良くわからんから」
「ご迷惑でなければ、私が紹介します」
私はあぜ道に膝をついて、早乙女さんの手を取った。
「私のせいでごめんなさい」
「おまんは何も悪くねーら?」
「私と大黒さんの仲違いに巻き込んでしまって」
「おりゃ後悔してねーよ。あんなこんあったら、だれでもそうするら。これからもそうするわ。まぁ、この件で芙蓉学院からの依頼はなくなるかもしれんけどな」
カラカラと笑う早乙女さんの一言で息を飲む。そうだ、行事自体がなくなる可能性もあるのだ。彰仁たちが早乙女さんの田んぼに行けなくなってしまう。どうしたらいいんだろう。
「早乙女さん。契約の解除や解約などはないのですか?」
綱の声に振り返る。早乙女さんは困ったように笑った。
早乙女さんは契約農家だ。裁判の風評被害で契約を切られてしまったら、この風に揺れる稲たちは皆無駄になってしまう。
「まだ学院からはねーけど、まぁ、ぼちぼち……。半分くれー、大黒なんとかと契約してたからな」
私は早乙女さんを見た。悲痛な顔になってしまっていたのか、早乙女さんが私の頭をポンと叩いた。
「気にしちょ。おらんとーは百姓だ。米と味噌さえあれば生きていける。お偉い人が何しようが関係ないだ。どんなん偉ぶってたって、食いもんがなきゃ人は死ぬだから」
達観した物言い。だけど、私は早乙女さんのようには思えない。
「早乙女さん、解約された分のお米は、私の方で買い取ります」
「バカいっちょ、そんなん米ばっか買っても困るら」
「いいえ! 私は飲食店を経営しているんです。良質なお米が手に入るなら嬉しいです」
「……は? おまんがけ? おまんのとーちゃんにはもう買って貰ってるら」
「はい! 私の店でです。軽食のおむすびを作りたいと思っていてお米を探していたんです。だから是非分けてください。今までは契約できなくて諦めていただけなので、私としては分けていただけたら助かります。早乙女さんのお米が大好きだから!」
早乙女さんは泣き出しそうな顔で笑った。
「ほーけ、ほーけ、米も好きな人に食われるが一番幸せずら」
早乙女さんの言葉に綱と共に頷く。
「綱、契約のことは頼んでいいかしら」
「もちろんです」
早乙女さんの田んぼから帰る途中でスマホが鳴る。見れば紫ちゃんからで慌てて電話に出る。
『姫奈ちゃん!?』
紫ちゃんが大分慌てている。
「どうしたの? ゆかちゃん」
『あの、ネット、見た?』
「PTSDの記事のこと?」
『記事だけ? あのね、あの時の……動画が流出しているの』
「はぁ!?」
『どこにいるの? 会えないかしら?』
「今、早乙女さんのところにいるの。でも、すぐそちらへ向かうわ」
私は綱を見る。綱は電話をかけながら頷いた。どうやら、白山家の別荘へ電話をかけてくれたらしい。
「奥様には事情を説明しました。いったん本邸に戻ると伝えてあります」
「ありがとう! さすがね、綱」
私たちは車に乗り込んだ。
「長距離でごめんなさい。すぐに沼田紫さんのお宅へ行って欲しいの」
運転手に頼む。運転手は無言で頷き、車は滑らかに走り出した。







