115.夏休み 2
私たちは結婚式の終わった教会へ入っていった。珍しく誰もいない。ここは見学自由だから、いつもなら混みあっているのだ。
通路の真ん中にはいつもと違って赤い絨毯が敷かれていた。バージンロードなのだろう。ベンチには花々が飾られている。
なんとなくそれを避けて、端の通路から祭壇近くまで歩く。板張りの素朴な教会は、由緒正しい風情があって、正面の大きな窓からは自然光がたっぷりと降り注ぐ。窓の中央にかざられた大きな十字架の奥には緑の木々が光と戯れていた。
結婚式の名残の中に、静謐な十字の影が下りてきて、私たちは言葉を失ってボンヤリとそれを眺めた。なにか見るべきものがあるわけではない。けれど、光に圧倒される。眩しくて手も伸ばせない。そんな光だ。
「凄いわね」
感嘆すれば、修吾くんも頷いた。
「こんなに近くまで来たのは初めてでした」
「私もよ」
「光を使って神聖性を表現するんですね」
修吾くんに言われて納得する。私たちは影の側のものだ。そして、神様はそれに降り注ぐ光。天の高いところにいる。あの空のドアを開ける神様のように。
突然、入り口のドアが開けられて、静寂が破られる。たくさんの観光客が、声をあげて入って来た。私たちは顔を見合わせて、教会から出た。そして商店街の地図を開く。
「どこか行きたいところがありますか?」
修吾君に尋ねられ、地図の一番北側、端っこの端っこを指さした。
名前も描かれていないけれど、鳥居のマークがあったのだ。今まで話題に上がったこともなかったが、少しだけ興味があった。
「行ったことある? 私行ったことがなくて」
「いいえ。オレもないかも」
「なにがあるか聞いてる?」
「知らないです」
「じゃ、行ってみましょう! 探検よ!」
私は日傘をさしてクルリと回した。後で彰仁や綱に自慢してやるのだ。二人の知らないことを自分だけが知っているなんて、ワクワクする。
私たちは連れ立って、地図上の鳥居を目指した。
商店街を抜け、林の中の小道に入る。曲がりくねった小さな道は車では入れないハイキングコースのようになっていた。木漏れ日の林の中を、鳥の歌に送られて歩くのはとても気持ちが良かった。
しかし、歩けども歩けども鳥居が見えない。だんだん雲行きが怪しくなってきて不安になる。修吾くんを見れば、修吾くんも困った顔をしている。年下の彼を心配させてはいけないと、私はニッコリ笑顔を作って、ことさらに元気な振りをして先へ進む。引き返すのはなんだか惜しかったのだ。
パラリ、雨が木葉に当たる音がした。まだ雨は木々に阻まれて私たちを濡らしたりはしないけれど、そろそろ潮時かもしれなかった。でも、引き返すのはなんだか悔しい。
溜息をついて、私は空を見上げた。
「そろそろ引き返しましょうか? もしかしたら通りすぎちゃったのかもしれませんよ」
たっぷり私に付き合ってくれた修吾くんが言った。修吾くんはこんな時でも私を責めない。
私はそれで踏ん切りがついて頷いた。
「そうね、そうしましょう」
私たちは来た道を引き返すことにした。あれほど爽やかな木漏れ日の小道が、今では暗雲立ち込める林に変わって、私は少しだけ身震いした。パラパラと雨の音がする。
私は日傘を修吾くんに差し出した。背の高い修吾くんに合わせてグッと手を伸ばせば、修吾くんが笑って日傘を取った。
「オレが差した方がいいです」
「そのとおりね」
すっかり私の背を追い越した修吾くんに日傘を任せて、二人で傘に入って帰り道を急ぐ。その内、雨脚が早まってきて、私たちは途方に暮れた。
どうしよう……。修吾くんだけは安全に帰さなくっちゃ。私がお姉さんだから、しっかりしなくっちゃいけないのに。
そう思うのに、跳ね返る雨粒に心が挫けそうだ。疲れてしまった。本当に帰れるだろうか。不安になって、足元に視線を落とした時。
「あった!」
私は思わず声を上げた。小さな矢印の木の看板が、足元に刺さっていた。私にはそれが仄かに光って見えた。
看板には赤く鳥居のマークが書いてある。確かに矢印の刺す方向には小さなけもの道があった。大分通り過ぎていたらしい。
「きっと神社があるわ! 雨宿りさせてもらいましょう?」
戸惑う修吾くんの腕を引っ張って、獣道に入る。足元は葉っぱの雫で汚れたが、すぐに小さな鳥居が見えた。その奥にはうらぶれたお堂がある。まるで忘れられてしまったようにもの寂しげだ。
私は柏手を打ってから、お賽銭を入れて、お堂の扉を開いてみた。カギはかかっていないが、建て付けが悪くギシギシと音を立てた。
「お邪魔します……。少しだけ雨宿りさせてください」
奥に鎮座するキツネの石像に声をかけ、お堂の中に入った。
「姫奈子お姉さん……大丈夫?」
修吾くんは戸惑った声で尋ねる。
「大丈夫よ」
「気味悪くない?」
「気味悪い? うちにもお稲荷様がいるから、安心したくらいよ」
その瞬間、雷が鳴り響き、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。
修吾くんは驚いたように、身体をこわばらせる。私は修吾くんの腕を引っ張ってお堂に招き入れた。
「よかったわ……ギリギリセーフね」
お堂の扉を閉めれば暗くなる。窓なんてないからだ。隙間から少しの明かりは入ってくるが、何しろ外は大雨だ。もともとあんまり明るくない。
私はスマホのライトをつけた。電波は届くし、電池も残っている。大丈夫。大丈夫だ。自分に言い聞かせる。
修吾くんをきちんと家に帰してみせる。
修吾くんは青ざめた顔をして、怯えたようにお堂の中を見回した。確かに、育ちが良くモダンな修吾くんにはなじみがないだろう。私は小さなころからおじい様に連れられて、お戒壇巡りなどをしていたから、目が慣れているだけだ。まぁ、そのころの目当ては参道のお団子だったりしたのだが。
埃臭いお堂の中に、雨の音が響いている。不安そうに修吾くんが天井を見上げた。
私の言い出した我がままで、こんな心細そうな顔をさせてしまった。今日を嫌な思い出にしたくない。お姉さんの私がしっかりしなくっちゃいけない。
私はぺたりと床に座った。埃だらけだけど仕方がない。フレアスカートを横に広げて修吾くんの座る場所を作る。
「修吾くんもここに座ったら?」
スカートの上を指させば、修吾くんは慌てた。
「そんな! オレ、気が利かなくて! ハンカチあります!!」
汚れを気にしてくれたらしいが、田んぼに突き落とされた過去を持つ私は、泥汚れに耐性が付いている。自然相手なら汚れることはあるし、汚れたら洗えばいい。
前世の私なら考えもしなかったが、今の私はそう思えるようになっていた。
「いいのよ。ハンカチは顔を拭くのに使ったりするでしょ? スカートはもう雨で汚れてるし、気にしないで」
ガラガラと雷が鳴って、修吾くんが驚いたように肩をすくめた。案外、雷が怖いのかもしれない。私だって怖い。だけど、あからさまに怖がって修吾くんを不安にさせるわけにはいかなかった。
「ねぇ、お願い。側に座って? 雷、ちょっと苦手なの」
本当はちょっとじゃないけれど。
もう一度座るように言えば、修吾くんは困ったような、泣きそうな顔をして私のスカートの上に腰を下ろした。スカートの端の方にギリギリ距離を取って座る。
「お姉さん、ごめんなさい」
「何を謝ってるの?」
「こんなことになって。スカートは汚しちゃうし、オレ、何の力にもなれないし」
「そんなことないわ。修吾くんがいるから平気なのよ」
私だって本当は心細くて不安だ。一人だったらきっと泣いていた。だけど、今は修吾くんがいる。彼を家に帰す責任があるから、私は笑っていられるのだ。
俯く修吾くんが可笑しかった。いつもは年の割に堂々としていて、立派だと思ってたけれど年相応なところがあるのだと発見できた。
今日を嫌な想い出にしたくない。怖かったけど楽しかったね、そう笑い合えるように、年上の私がしないといけない。
「それに私、夕立の中走るなんて初めてだったし、雨宿りも初めてよ。家の人が知らないところに来るのも初めてだわ。初めて尽くしでワクワクしてるの。私こそ付き合わせてごめんなさいね」
「オレも楽しかったです」
「なら良かったわ。雷が止むまで少しお話ししましょうよ」
修吾くんはヘニャリと笑う。どうしてそんなに困ったような顔をしているのだろう。
「修吾くん、テニスボールある?」
私は修吾くんがどんな時でもテニスボールを持っているのを知っていた。暇そうなときはいつも手の上で遊んでいるのだ。
「あ、はい」
思った通り修吾くんはテニスボールをバッグから取り出した。
「あの手の上で転がすの見せてくれない?」
修吾くんがあまりに困った顔をしているから、気を紛らわせた方が良いかと思ったのだ。
修吾くんは、パッと顔を輝かせた。
「はい!」
修吾くんは腕から手の甲に器用にボールを転がして見せてくれたりした。手品みたいにクルクルと手の上をテニスボールが動き回る。
「まるで体の一部みたいね」
感心して言えば、修吾くんははにかんで笑った。
「テニスがなかったら生きていけないから」
「本当に好きなのね」
「はい」
修吾くんはそう答え、お稲荷さまに視線を向けた。
「……姫奈子お姉さんは家族から好きなことを反対されたりしませんか?」
「うちは、親バカだからそういう事はないわね。心配になるくらい希望を通してくれるわ」
答えれば、修吾くんはがっかりしたように肩を下ろした。
「でも、逆のことはあるわよ? 私が望んでないことをさせようとするの! 結構強引よ?」
「そうなんですか? そういう時はどうします?」
「断固拒否! できる限り抵抗してます!」
フンスと、鼻息荒く答えれば、修吾くんは笑った。
「例えばどんなことをされるんですか?」
「主にお母様よね。お母様は八坂くんのファンだから、なんだかんだと会わせようとするし、氷川くんとの玉の輿まで狙ってるのよ。まったく、迷惑この上ないわ!」
憤慨して言えば、修吾くんはクスクス笑った。
「そんなに嫌ですか?」
「当然よ! ぜったーい釣り合わないうえに、絶対無理じゃない。私だけの問題ならともかく、相手も巻き込みかねないわ。断固阻止よ!」
「もしかして、他に好きな人がいるとか?」
伺うような声色が、一瞬光毅さまに似ていてびっくりした。
顔がギュンと赤くなる。光毅さまと、なぜか綱の顔を思い出す。
なんでこんな時に綱なの? 光毅さまはともかく!
「っ! そんなんじゃないもん!」
綱の顔を振り払うように声をあげたら、修吾くんがびっくりしたような顔で私を見た。
「……あ、えっと、うそ。光毅さまに憧れてます。でも、光毅さまには秘密ね?」
「兄が好き?」
「好き……というか、憧れね。手が届かないってわかってるし、釣り合わないのは百も承知なの。自分が隣に並ぶのは想像できないし。でも、優しくされたり、話しかけて貰うと嬉しいわ」
「そう」
「絶対言わないでね? ギクシャクしたくないから」
「うん、言わない」
「約束よ?」
「今日のこの探検ごと、二人だけの内緒にしましょう?」
修吾くんは大人びた顔で笑った。
そうやって二人でいろんな話をしながら夕立が去るのを待った。
雷鳴が去り、鳥のさえずりが戻ってきて、私はお堂の扉を開いた。
雨に洗われた木々が、夏の日差しを浴びて生き生きと輝いている。
「あがったわ!」
修吾くんに振り返れば、修吾くんは眩しそうな顔をした。暗がりからの突然の夏の日差しは確かに目に沁みた。
それから二人で、白山家の別荘に帰った。すでに彰仁と綱は自由研究を終えて帰ってきていて、泥の跳ね返りだらけの私たちを見て、怪訝な顔をした。
そんな不躾な顔でも、綱の顔を見れば安心する。ホッと肩から力が抜けた。少しだけ、お姉さんぶって緊張していたというところだろう。正直、修吾くんに何もなくて良かったと心から思った。
「どうしたんですか? すごく汚れています」
綱が問うから、私はスカートをちょこんと摘まんだ。指先が微かに震えている。強がっていた反動だろう。綱を見た今になってさざ波のように指先を揺らした。
目に鮮やかなミントグリーンに、白い大きな水玉がクリームソーダみたいなお気に入りのワンピース。その裾には茶色い泥が跳ねている。
「チョコミントみたいでしょ?」
そう笑えば、お転婆が過ぎますよと、綱が呆れたように笑った。
そしてそれを見て、綱のもとに帰ってこられてよかったと心から思った。







