100.電車で行こう! 3
「……ひな? ……姫奈」
綱の声に驚いて目を開けた。目前に、綱の整った顔があって驚いた。見下ろしているから表情が陰っていて、なんだかいつもより大人に見える。
「目が覚めましたか?」
気がつけば辺りが明るくなって、ガヤガヤとしている。
「寝てた?」
「ええ、それはグッスリと」
「じゃあ、あれって夢?」
綱と電車に乗ってご飯を食べて、そんな幸せな夢を見たのかしら?
「夢まで見てたんですか?」
問われてキョロキョロとあたりを見渡す。沢山のリクライニングシート。中央には星を生み出す丸い機械がある。間違いなくプラネタリウムだ。
「夢じゃなかった」
呟けば、綱は呆れたように笑った。
「ほら、よだれ、拭いてください」
「よ、よだれ!?」
綱の言葉に慌てて口元を拭う。
本当に涎が唇の端に垂れていて、顔が真っ赤になる。乙女として何かを失った。綱とはいえ、男子に見られて良いものではなかった。
「うう……何たる失態……」
「ぽかっと口を開いて寝ている姿も見ごたえがありました」
綱が茶化すように言う。
「見てたの?」
「見てました」
「起こしてよ」
「嫌ですよ」
「何でよ、折角綱が誘ってくれたのに、寝ちゃうなんてもったいなかったわ」
「私は姫奈のだらしない顔、観察できて楽しかったです」
満面の笑みでそう言い切られ、顔が真っ赤になる。
「綱は意地悪だわ!」
憤慨すれば、宥める様にポンポンと頭を撫でられた。
「そろそろ行きましょう。次のお客さんが入ってきます」
私は差し出された手を取って立ち上がった。
「姫奈の手、温かいですね」
「……寝てたから」
綱に言われて、神経が手に集中した。恥ずかしい。さっきまでは全然そんなこと思わなかったのに。
なんなのよ! これ!!
思わず手を振り払う。
「姫奈?」
「あ、な、なんか、汗! 汗かいてて、き、汚いし……」
「いまさら何を」
綱が呆れたように笑った。
そうなんだけど! 今更なんだけど!
「だって、」
「迷子になったら?」
「……強制終了……デス」
「よくできました」
私は慌ててスカートに手のひらを擦り付けた。そして深呼吸する。
大丈夫。今更。恥ずかしくなんてないし、普通。普通なんだから!
ただ、迷子防止のために手をつなぐだけなんだから! 深い意味とかないんだからね!!
私は勇気を振り絞って、そっと綱の手に触れようとした。その瞬間、綱と目が合って、思わず怯んでサマーニットの裾を掴んだ。
「ひな?」
「だって、だって、これで迷子にならないもん」
ギュッと目を瞑って俯く。恥ずかしくてたまらない。どうしてこんなに恥ずかしいんだろう。
「……そんなの、ダメです」
綱が深く溜め息を吐いた。顔をあげれば、怒っているのか口元を手で覆って、ソッポを向いている。
「つな?」
顔を覗き込めば、チラリと私を横目に見て、強く目を閉じ、頭を緩く振る。そしてもう一度、長い溜め息を吐いた。
上着の裾を摘まんだ手を取り、綱の手が握りこんでくる。さっきまでとは違う触れ方。
私の指と指の間に綱の指。
これって、こ、こ、恋人繋ぎと言うやつでは!? 前世でもしたことないのに! 氷川くんともしてないのに!!
「っやだ、つなっ!」
「貴女はこれくらいしないと何処かに行ってしまいそうです」
ツンと綱に言い切られ、自意識過剰だったとわかった。
そ、そうだよね。別に、恋人とか、とか、なわけないよね。ただの迷子防止。他の意味なんかあるわけない。
動揺しているのは私一人で、綱なんていつも通りだ。当たり前。今までだって、ずっと手を繋いで来たんだから。
ホッとする反面で、チクリと痛む部分もある。そこには気がつかないふりをして、絡んだ手を小さくあげてみる。
私には恋人繋ぎにしか見えないソレをじっと見た。
綱は誰にでもこんなことするんだろうか。桝さんにもするんだろうか。
きっと面倒見の良い綱は、誰とだってするんだろう。
「ひな?」
綱は怪訝な顔をして私を見た。私は小さく頭を振って、そっと手を下ろす。
「あのね、ソフトクリーム食べたいの」
「ええ、行きましょう。デパートの前に有名なところがありますよ」
私たちはそのまま手を繋いで歩いた。ソフトクリームを買って、店前のベンチで食べる。ミルクたっぷりのソフトクリームは、見た目も可愛くてデートにはぴったりだ。
目の前を同じくらいの年のカップルが、ソフトクリームを舐めながら楽しそうに歩いて行く。
デート、良いなぁ……。
怨めしげに眺めていれば、綱が私を見て笑う。
「どうしました?」
「カレシいて良いなぁって思って」
「お付き合いしたい人がいるんですか?」
「それはいないけど! 彼氏は欲しいわ! でも、モテないのよ!」
クサクサしてやつ当たる。
「氷川くんに望まれたのでは?」
「また、前の話を。あれは取引だもの。嘘でも氷川くんとなんて無理すぎるでしょう?」
「そうですか?」
「そうよ。私は普通に普通の彼氏が欲しいの! 氷川財閥の御曹司なんて無理だって知ってるわ。高望みなんかしてないのに! なんでよ! 何がいけないのよ!」
「『彼氏が欲しい』時点で間違っているのでは?」
「なによ。綱は彼女欲しくないわけ?」
「私は好きな人とお付き合いをしたいだけです。でなければ彼女なんて意味がありません」
モテ男は全くもっての正論をサラリと言うから、睨み付けた。
知ってるし。真実の愛を探すんだって、そう思ってるけど、でも、だって、どうやって探したらいいの。好きになってくれる人もいないのに、どうやって人を好きになったらいいの? 好きだと言ってくれる人がいたら、きっとその人を好きになれると思うのに。
特別な人じゃなくていいのだ。ただ、私を大切にしてくれる人。考えてみれば、そんな人は現れる気がしなかった。
「……べつにまだ早いとも思うし、まだいいんだもん!」
言い訳のように付け足す。
「負け惜しみに聞こえます」
「違うわよ!」
私はソフトクリームを不機嫌にペロリと舐めた。綱に言ってもわからないだろう。
「だって家が没落したりするかもしれないし!」
「何ですか、それ。完全に負け惜しみです」
綱は笑った。
「それで迷惑かけたらいけないし」
「馬鹿ですね。姫奈が落ちぶれて困るような奴となんか、付き合わない方がいい」
キッパリとした声だった。
思わず目を見張る。柔らかな黒髪が夕焼けを反射して小豆色に光っていた。
息を飲む。綺麗だ。
でも、私が没落して一番困るのは、綱じゃないか。
あの日。最後のあの日、生徒会室で『困りましたね』と綱が呟いたのを知っている。私は綱を困らせる。
「そうね、その通りだわ」
唇が凍えるようなのも、ソフトクリームのせいだ。綱がカフェオレ色に染まって見えるのも、夕焼けのせいだ。ちょっとだけ胸が苦しいのは、もう黄昏だから。ただ、センチメンタルな気分になっているのだ。
目の奥が痛いのだって、気のせい。
「? 疲れてしまいましたか? そろそろ帰りに向かう時間ですし、行きましょうか?」
私のほんのちょっとの落ち込みを、それでも綱は気が付いて。その優しさに満たされる。
「そうね」
もう終わりだと思うと、グッと寂しくなる。帰りたくないなんて、それこそバカみたいで口になんか出せない。
「帰りたくはないけれど」
ボソリと綱が呟いた。
綱も同じだと思ったら、なんだか少し笑えた。
「そうね。でも、帰る場所は一緒だわ」
「はい」
「明日も一緒だわ」
ずっと一緒にいられないけれど、そんな思いは口には出さない。
綱はニッコリと笑うと、私に手を差し出した。
「帰りは私を案内してくださいね?」
「っ! 頑張るわ! 一人でできるようになるんだもの」
没落しても一人で生きていけるように。
私は気合を入れた。
「困ったら助けてあげますよ」
「わかってるわよ!」
帰りは迷いに迷った。綱は意地悪だから、助けを乞わないと助けてくれない。教えてと言わなければ、どんなに間違っていても、ヒントを出すだけだ。多分、朝の倍以上の時間がかかった。
前世でもそうだった。どんなに道を誤ったって、綱は口を挟むだけでそれ以上はしなかった。しなかったけれど、ずっと側にいてくれた。あんなにデブでブスで嫌な子だったはずなのに、呆れながら見下しながらも、それでも彰仁のように私を居ない事にはしなかった。
自分で道に戻るのを、きっと辛抱強く見守っていてくれたのだ。
やっとの思いで最寄り駅につく。
私はふと足を止めた。
「ねぇ、綱。私もペンギンのカードを買いたいの。どうすればいいかしら?」
その頃には素直に綱に頼れるようになっていた。今までだって頼りっぱなしではあったけど、助けを乞うのは慣れていないのだ。
綱に教わって自分のカードを持つ。
綱とお揃いのペンギン。
これでいつだって電車に乗れる。
嬉しくて、フフフと笑えば、綱もつられるように笑った。
私は早速紙袋を開けて、今日買った板チョコ柄のパスケースにいれた。そして、もう一つのパスケースを綱に押し付ける。
「これ、あげるわ」
思わずぶっきらぼうになれば、綱が目を瞬かせた。
あからさまな驚き顔にムッとする。
「何よ! 気に入らないの?」
「……いいえ、ありがとうございます」
綱はそう言うと、さっそく自分のカードをそこにしまった。
「お揃いなんですね」
ふわりと笑われて指摘され、思わずポッと赤くなる。
「違うもん! 綱はビターだし、私はミルクだもん!」
「ハイハイ、そうですね」
「そうだもん!」
「ハイハイ、わかりましたよ」
綱は呆れながら笑って、もう一度手を握り返した。
もう家に帰るだけ。もう迷ったりしないけど。
私はその熱が心地よく、もう何も言わなかった。







