乙女ゲーの世界から逆トリップした件
乙女ゲーネタ話を纏めようと考え、せっかくだから新作新作と思って書いた話。頭の緩い内容。
妹が学生時代にブヒブヒ言いながらプレイしていた乙女ゲームを押入れの中から見付けたのがそもそもの始まりだ。
今や会社ではマドンナと呼ばれている可憐な妹は元オタクで、二次元から脱出図るために俺の部屋に全てブツを置いていった。売るなよ、と言い残して。
もう手を付けないならいいじゃないかと言いたくもなったが、先手を打たれて「思い出の品を取っておいて何が悪い」発言をいただいた。
悪かあない。ただ、両親に黒歴史を見付けて欲しくないという理由で、マンションの一室でのんびり暮らしていた俺の空間にそれを持ち込むのはいかがなものか。妹の趣味を唯一知っていたせいだろうとも。
まあ、前置きはこれまでにしよう。俺は部屋の掃除をしている時にこれを発見して、何をとち狂ったのかゲームを起動させた。妹から貰ったものの、ゲームなんてせずDVDを見る時しか使っていなかったPS2の起動音が室内に響く。
日常品以外はホラー小説と少年漫画しか置いていないリビング。知り合いからは『枯れ男の棲みか』とも呼ばれている室内に不似合いな明るい音楽。
恋愛シュミレーションゲームなだけあって、OPに出てくるキャラクターは皆顔がいい。ヒロインもそれに見合った中々綺麗な顔をしていた。ボブカットの目の大きめな少女。
毎夜毎夜、暗い部屋の中で血走った眼でプレイしていた妹を思い出す。あれは酷いものを見た。蘇る戦慄の悪夢から逃れようとゲームの電源を切る。暗くなるテレビ画面。再び押入れに封印するためにソフトを取り出そうとする。
画面が砂嵐に切り替わった。それを無視しようとすると今度は一面白くなり、その中央に見覚えのある少女が現れた。あの乙女ゲームのヒロインである。
ずるぅ。
ヒロイン(仮)が突然テレビから上半身だけを出してこちらにやって来た。何と説明すれば良いのだろう。俺は少し考えて非常によく似た光景を見た事があるのを思い出した。
リングの貞子だ。画面には井戸もなく髪も長くはないが、出現の仕方は貞子そっくりだった。知り合いなのか。
「あの」
ヒロイン(貞子)が口を開く。腕をバタバタさせながら。
「何だ」
「腕引っ張ってもらえませんか? 本当はずるるるるって感じで一気に出るつもりだったんですが、どうも引っ掛かってしまいまして」
一気に出てこられたらそれはそれで俺が驚きすぎて心臓が止まる。引っ掛かっての意味が分からんが、結果オーライというものだ。俺はうちのテレビにとりあえず感謝しながらヒロイン(貞子)の腕を掴んで思い切り引っ張った。
ずるるるるるぅ。びたんっ。
ヒロイン(貞子)の全身が露になって、テレビの世界から打ち上げられる。足を床に叩き付けられながらもヒロイン(貞子)は顔を上げた。不思議そうな顔をしている。おい、それはこっちの台詞だぜ。
「ここがゲームの外の世界……」
「何を言っているんだ、お前は」
「申し遅れました。私、このゲームのヒロインを務めてました金平葵と言います」
ヒロイン(貞子)もとい葵が指を差したのは、俺は説明を聞きながらパッケージに戻しているソフトだった。なるほど瓜二つである。とても信じられる事じゃあないが、葵はゲームを消した直後にひょいとテレビから出てきた。嘘ではないようだ。嘘だろと言いたかったが、この目で実際に見ているので言えない。
なので今俺の頭の中を駆け巡る疑問はただ一つ。この女、何故こっちの世界に来たんだ。復讐か。長らくソフトを押入れに封印していた俺への復讐か。塩を用意すべきか考えていると、葵は説明を続ける。
「実はですね、こちらの世界の人間の少女が私達の乙女ゲーの世界に迷い込んでしまったようなのです」
「うん……?」
「異世界トリップですよ、異世界トリップですよ。よくあるじゃないですか。トラックに跳ねられたと思ったらファンタジーいっぱいな世界に飛ばされましたなんて」
「よくある話でもないな。で?」
「早く出してあげないと思ってたんですけど、彼女あっちの世界が気に入ったみたいで『逆ハー王に私はなる!』って妙な事を言い出したんです」
オタク全盛期だった頃の妹もそんな事を口走っていた。顔のいい男共にちやほやされれば、誰でもそいつら全員捕まえようとするのだろう。元の世界に帰れないかもしれないのに優先すべきものを間違っちゃあいないか彼女。
何となく葵がどうしてこっちの世界に来るはめになってしまったのか想像がつく。が、一応聞いてみようと思った。
「ヒロインのお前はどうしたんだ」
「彼女にヒロインの座を奪われてしまいまして、結果ゲームの世界から追い出されてしまいました」
「そんな悲惨な事をよくもまあ、あっさり言えたもんだな」
淡々と答えている葵からは悲愴の色が見えない。お前自分が主役なんだぞ。もっと悲しんだらどうなんだ。
「共演者としては好きですが、恋愛感情は全くない男の子達と恋愛ごっこをさせられててちょっと疲れてたからちょうどいいです」
「共演者ってお前そんな事を考えてたのか。このパッケージの満面の笑みからは全く感じられんが」
「ユーザーの注目を集めるためにはヒロインも可愛くなければいけませんから。ゲーム内では天然で恋愛に疎い心優しい女の子を演じてます」
言えている。俺には乙女ゲームが何かよく分からないが、恋愛ジャンルなのだから男女共々容姿は抜群にした方が人気は高まるはずだ。世の中の不細工を敵に回すつもりはないが、言わせてもらおう。不細工同士の恋愛なんて見ても盛り上がらない。
にしても、本人の意思はどうあれヒロイン役を持って行かれ、元いた世界から追い出されるなんて可哀想に。ほんの少し同情してしまうのは、葵がほんの少ししょんぼりしているように見えたからだ。
何かしてやってもいいと考えている俺を他所に、元ヒロインは机の上にあるみかんをじーっと見詰めている。俺が出来心で猫の顔を描いたみかんを見詰めるその目は「可愛い」とは言ってはいない。「うまそう」と語っている。
みかん一つで誰かの悲しみが癒せるなら安いものである。俺が猫の顔が描かれた橙色の皮を剥いてやって、中の実を渡すと葵は食べ始めた。
帰れないなら仕方ない。葵はしばらく俺の部屋に滞在する事が決定した。食費が一人分増えるだけだ。それなりにいい会社に就職した俺の財布に深刻なダメージはなく、人間なのかさえ分からない存在を外に追い出すのも正しい対処法とは思えなかった。猫か犬を飼い始めたと考えればいい。
「夕飯これでいいですか?」
だが、犬猫は料理は出来ない。帰ってくるとリビングからはいい匂いがして、テーブルの上には夕飯がセッティングされていた。俺が帰る時間に合わせたようで、ほかほかと湯気が立ち上がっている。葵は辛いものが好きな俺のためにエビチリを作った。市販のものではなく、手作りソースという本格派。料理が出来るのか聞けば、デフォルトで料理が得意な設定だと返された。それだけは演技ではないらしい。
見た目がいいだけで中身が大惨事になっていたらと不安にもなりつつ食べてみる。エビチリだ。プリプリした食感のエビとピリッと辛い真っ赤なソース。細かく刻んだネギのシャキシャキ感も良かった。
「美味い」
「本当ですか?」
「これを不味いってんなら、それはそもそもエビチリが嫌いな人間だろ」
「あなたには好感度チェック表が現れないから、何を考えているかはっきりしないから心配で」
好感度チェック表って何だ。葵曰く、ヒロインが何かアクションを起こした時にピロリーンとなったり、攻略キャラの横に出てくるマークらしい。そんなものあるかと一蹴する。そうすればパラメーター表はないのかと、また俺を混乱させる発言が飛び出した。
「あれがないと今、あなたに好かれているか嫌われているかどっちでもないのかすら分かりません」
「そんなものなくたって生きていけるよ。逆にそんなものあったら、人間の本性駄々漏れで生きづらい」
「そういうものですか」
「そういうものさ。あともう少しお前は自惚れてもいいんじゃないか? 普通嫌いだったりどうでもいいと思ってる奴を住まわせたりしないぞ。女だからってな」
別に恋愛感情込みってわけじゃあないがな。そう付け加えてエビを口に入れる。葵と俺とでは年が十近く離れている。年上が好みの俺にとっては葵は恋愛対象には当てはまらない。
俺の話を聞いて安心したような表情で味噌汁を啜る葵に、庇護欲が沸いたのも無意識の内にもう一人妹が出来たようだと思っているからだろう。少し柔らかめに炊かれた白米を噛んでいると、じんわりした甘みが広がった。
俺がいない間、葵は何をしているかというとずっとリビングにある小説や漫画を読んでいるようだった。夕飯時に話題を振られて、話の展開や登場人物の心理を議論するのは意外と楽しい。
父はオタクとは程遠い人種で、母と妹は女向けしか読まない。学生時代の友人とは会っても、あまり長い時間は話せないので誰かと自分の趣味の事で盛り上がるのは久しぶりだった。
思い切ってもう一つの趣味も披露してみた。
「何ですか、これ」
「ジグソーパズル」
「柄何もありませんよ」
「そういうパズルなんだよ。牛乳パズル」
真っ白なパズルの欠片の山に葵が呆然としている。これは共感を得られなかった。少し寂しさを抱えながらも一人でパズルを組み立てる。気が向いた時にやっているので俺にとっては手慣れたものだ。父にやらせたら一時間後に発狂されたが。着々と形を成していく様子を葵は目を輝かせて眺めていた。
「……貴様このパズルやり込んでいるな」
「答える必要はない」
こいつは少年漫画もホラー小説もいける口だ。だったらパズルも、と薦めてみる。
「どうにもなりません」
「そうか」
一時間後、そこにはバラバラのままのパズルが。こいつには難易度が高過ぎたのだろう仕方ない。今度、じっくりコツみたいなものを教えてやる事にしよう。
そう普通に考えてしまうくらい俺は葵を受け入れていた。何度チャレンジしてもパズルを作れない葵を応援しつつ、いつか来るだろう完成の時を待っていた。
だがまあ、葵がこの世界の人間ではないと思い出す時の方が先に来た。乙女ゲームの世界に帰らなければならなくなったらしい。
「私の代わりにヒロインをやっている女の子があまりにも肉食過ぎてR18指定のゲームになってしまいそうなんです。ゲームの世界の神様が帰って来て欲しいと」
「そりゃ大変だ。で、いつ帰るんだ?」
「今すぐにです」
「か……」
帰るな、と口走りそうになって口を閉ざす。元の世界に帰れるんだからいいじゃあないか。バクバクうるさい心臓の音を無視して何かを言おうとして、何も言葉が思い付かない。思い付かないんわけではない。
元気でなとか、じゃあなとか別れの言葉を口にするのを本能が拒絶している。ただ、何かを言わないと葵はいつまでも帰れない。律儀に今すぐ帰らずに俺からの言葉を待っている。ああ、くそ。俺は今からやらせようとしていた白いパズルのピースと型を、たまたまあった紙袋に突っ込んで葵に押し付けるように渡した。
「……土産だ」
「……はあ」
「お前に渡せるようなもんが他にないんだよ。ほら、ええと、ああそうだ。それが完成出来たら何でも言う事を一つだけ聞いてやる」
「それは一生私には完成出来ないって言いたいんですか」
「お前何でこんな時だけ卑屈なんだよ」
「だって、あっちの世界で完成したってあなたはいない」
寂しそうな声にガツンと頭を揺らされる。そんな事を言われたら本気で手離せなくなりそうで怖い。俺はそんなに酷い顔をしていたのか、葵はごめんなさいと謝った。
謝るな。謝らなくていいから側にいてくれよ。本音をぶちまけずに「向こうでも色々頑張れよ」と言えた俺の方こそ頑張った。
色々なものに耐えていた俺の目の前で紙袋片手に葵がテレビに頭突きをした。と思ったら、中に入っていった。出てきた時も衝撃的だったが、帰る時もこれか。涙が引いた。これがヒロインかと呆れていると、ぐちゃと変な音を立てて葵がテレビから頭を出した。
「言い忘れてました」
「何を」
「さよなら」
「やかましい」
テレビの中へゆっくりゆっくり入っていく葵に、手を振って見送る。
また独りだけになってしまった部屋の中で溜め息をつく。土産ならもう少しまともなものをあったろうに何故に牛乳パズル。俺は自問した後、結局答えを見付けられずに寝た。
びたんっ。深夜、リビングの方からの大きな物音に俺は瞼を開けた。が、すぐに閉じる。明日も早い。最近は葵に朝食を作ってもらっていたが、それももうおしまいだ。明日からはまた焼いた食パンで朝を迎える。
「…………………」
気配を感じたので瞼を開けてみる。葵らしき物体が俺の顔を覗き込んでいた。起き上がり、枕元のスタンドライトを付けると、やはりそこにいたのは葵だった。だが、目の下は真っ黒になっていて、どこか疲れているように見えた。数時間前まではあんなに血色がいい顔をしていたのに。気になりすぎて歓喜や驚愕がどこかへ吹っ飛ぶ。
「お前どうしたそのクマ」
「ゲームの世界から完全に追い出されました。追放です」
「追放も気になるけど、クマはどうし」
「こっちの世界はまだ数時間しか経っていないんですね。もうゲームの世界は一週間ぐらい時間が過ぎていたんですけど。やっぱり時間の流れが違うんですね」
「ク」
「ヒロインの件は二代目の肉食さんをお仕置きしたら解決したみたいで、完全に私はお払い箱です」
よく見ると葵は紙袋を持っていた。俺が渡したものだ。その中からは牛乳パズルが姿を現す。だが、渡した時とは違い、それは完成されていた。全て型にピースを填めた状態で透明なビニールテープで固定してある。
「向こうの世界に戻った後、一生懸命これをやってて攻略キャラとのイベント全てスルーしてたら神様にヒロイン失格だって怒られました」
「そりゃ……そうだろ……」
「でも、完成しました。だから私の言う事一つだけ聞いてください」
「お前まさか俺に命令するためだけにこっちに戻ってきたのか」
「当たり前じゃないですか。あ、あなたがいないと、あなたの側にいさせてくださいってお願い、叶えてくれないです、から……」
ぽろぽろと。涙を流しまくる葵は俺と違って、俺と別れてから一週間の時間を過ごしてきた。ベッドの中に潜っても葵の姿ばかりが思い浮かんで、泣き疲れてようやく寝た俺には耐えられないような時間だ。
俺の言葉通り本当に頑張ったんだな。だったら、ちゃんとご褒美をあげないとな。
「俺にはパラメーター表も好感度スイッチみたいなのはないけどな」
「はい」
「それでもいいって言うなら言わせてもらう。……おかえり」
「……ただいま」
おしまいッ!三部作完ッ!