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君と契りて 言はで思ふ心の理  作者: はまちゃん
それでもなお証明を諦めない

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6/42

女子高校生の残酷な事実

それからしばらくの間。


玲は図書館に姿を見せなかった。


最初の数日は、海斗も特に気にしていなかった。


「学校が忙しいのかもしれない」


「何か用事があるのだろう」


そう考えていた。


しかし、一週間が過ぎても。


二週間が過ぎても。


いつもの席に玲の姿はなかった。


昼休みになるたび、海斗は無意識に図書館の入口を見る。


明るい声が聞こえてくる気がする。


「海斗くーん!」


そう呼ばれる気がする。


けれど、そこに玲はいない。


机の上には、二人で考えた交互完全数のノートだけが残っていた。


60。


その数字を見るたび、海斗はあの日のことを思い出す。


初めて新しい数を見つけた瞬間。


玲が嬉しそうに笑った顔。


「いい名前でしょ?」


その声。


それが、なぜか少しずつ遠く感じ始めていた。


そんなある日。


大学院の同僚から頼まれていた調査を終えた海斗は、大学病院の廊下を歩いていた。


「海野のやつ……後でレポートの手伝いしてもらうぞ……」


小さく愚痴をこぼしながらも、口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。


研究ばかりの毎日。


その中で、玲と話す時間だけが不思議と息抜きになっていた。


白い蛍光灯の光。


消毒液の匂い。


規則正しく響く足音。


病院特有の静かな空気。


「やっと終わったな」


そう呟き、出口へ向かおうとした。


その瞬間だった。


視界の端に、見覚えのある姿が映った。


一瞬。


本当に一瞬だけ、時間が止まったように感じた。


「……嘘だろ」


足が止まる。


白い壁の前。


病院の廊下。


そこにいたのは――。


「あ、海斗君。」


聞き慣れた声だった。


その瞬間。


海斗の表情から色が消えた。


「……玲ちゃん?」


玲はいつものように笑っていた。


ショートヘア。


優しい瞳。


何も変わらない姿。


けれど、場所だけが違った。


いつもの図書館ではない。


数学書を囲んで話す机でもない。


白い病院の廊下だった。


「なんで玲ちゃんが……」


声が震える。


玲は少し困ったように笑った。


「ちょっと、検査でね。」


そう言って軽く手を振る。


まるで、大したことではないように。


しかし、海斗には分かった。


何かがおかしい。


「検査……?」


掠れた声で聞き返す。


玲は一瞬だけ黙った。


そして、小さく視線を落とす。


「しばらく図書館に行けなかった理由。」


「病院に来てたから。」


その一言で。


周囲の音が遠ざかった。


看護師の足音も。


機械の電子音も。


すべてが消えたように感じた。


海斗はようやく理解する。


玲が来なかった理由。


そして、今ここにいる理由。


ノートの中にある交互完全数。


60という数字。


その輝きが、急に遠く感じられた。


数学では、どんな問題にも向き合えると思っていた。


証明できないものは、証明できる方法を探せばいい。


分からないものは、研究すればいい。


けれど。


目の前の少女の未来だけは。


数式では表せなかった。


「……そうか。」


やっと出た言葉は、それだけだった。


玲はそんな海斗を見て、少し笑う。


「ねえ、海斗君。」


「数学の話、またしてくれる?」


その声だけは、いつも通りだった。


まるで何も変わっていないように。


海斗は小さく頷いた。


「……もちろん。」


病室は静かだった。


窓から差し込む光が、白いシーツの上に淡く落ちている。


個室のドアには、


『浜辺玲』


という名前が書かれていた。


海斗はその文字を一度見つめる。


そして、ゆっくりと椅子へ座った。


「……本当に、ここにいるんだな。」


玲はベッドの上で笑う。


「うん。」


「でも、ちょっとだけ場所が変わっただけだよ。」


その言い方は、いつもの玲だった。


二人はしばらく数学の話をした。


交互完全数について。


次に探すべき条件について。


生成式について。


まだ解明されていない部分について。


病室なのに。


そこだけは、いつもの図書館と同じだった。


玲が笑う。


海斗が考える。


そして二人で数字を見る。


時間だけが、静かに流れていった。


やがて。


海斗はノートを書く手を止めた。


「玲ちゃん。」


いつもより少し低い声だった。


玲が顔を向ける。


「大丈夫なの……?」


その質問をするのが怖かった。


答えを聞きたくなかった。


少しの沈黙。


玲は天井を見上げる。


そして、ゆっくり息を吐いた。


「……海斗君には話していいか。」


その言葉に、胸が締め付けられる。


玲は静かに続けた。


「私ね。」


「病気なんだ。」


「声が、少しずつ出なくなっていく。」


「最後には……話せなくなって。」


少し間を置く。


「そして、亡くなっちゃうんだって。」


その言葉は、とても静かだった。


泣き叫ぶでもなく。


悲しむでもなく。


ただ事実として、そこに置かれた。


海斗は何も言えなかった。


数学の難問なら、何時間でも考えられる。


しかし、この瞬間だけは。


どんな言葉を探しても見つからなかった。


「……そう、なのか。」


ようやく出た声は、それだけだった。


玲は少し笑う。


「そんな顔しないでよ。」


「私、意外と元気だから。」


「だからさ。」


玲は窓の外を見る。


「今は、ちょっと得してる気分なんだ。」


「まだ海斗君と話せる。」


「数学の話ができる。」


「新しい数を一緒に探せる。」


海斗は拳を握る。


「そんな言い方するな。」


玲は優しく笑った。


「でも、本当のことだよ。」


しばらく沈黙が続く。


そして玲は小さな声で尋ねた。


「ねえ、海斗君。」


「数学ってさ。」


「答えが出るものなの?」


海斗はゆっくり顔を上げる。


窓から差す光が、玲の横顔を照らしていた。


「……出るものもある。」


「でも、出ないものもある。」


「それでも。」


海斗は言葉を選ぶ。


「分からないものを追い続けるのが数学なんだと思う。」


玲はその答えを聞いて、少しだけ目を細めた。


「じゃあ。」


「私の時間も……まだ途中ってことだね。」


海斗は答えられなかった。


ただ。


ノートを開く。


そして、一行だけ書いた。


強く。


消えないように。


『交互完全数の続きを、まだやる』


玲はその文字を見る。


そして。


静かに笑った。


「うん。」


「一緒に証明しようね。」


その約束が。


二人に残された時間を照らす、最初の証明になった。

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