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心火をかける者たち  作者: はまちゃん
二章:野球編

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普通はいらない

数日後。


久々のオフ。


本来なら、身体を休める日だった。


夏の大会が終わってから、毎日のように練習している。


右腕の調整。


左腕の練習。


身体の疲労は確実に溜まっていた。


それでも。


休む気にはなれなかった。


あの日。


最後の一球を打たれた瞬間。


あの悔しさが、まだ胸の奥に残っている。


143km/h。


自分の最高の球。


それでも届かなかった。


だから。


もっと強くなる必要がある。


そのために――


俺は街へ出ていた。


目的は一つ。


両利き用のグローブ。


普通の選手なら必要ないもの。


でも。


俺には必要だった。


右で投げる。


左で投げる。


その両方を武器にするなら。


一つのグローブで戦えるようにしなければならない。


最初のスポーツ用品店。


店員に聞く。


「すみません」


「はい」


「両利き用のグローブってありますか?」


店員は少し困ったような顔をした。


「両利き用……ですか?」


「ああ」


数秒の沈黙。


そして。


「すみません、そういうのは取り扱いがなくて……」


予想通りだった。


次の店。


また次の店。


大型店も回った。


有名メーカーの商品も見た。


だけど。


答えは全部同じだった。


「そういう商品は作られていないですね」


店を出る。


夕方の風が吹く。


俺は空を見る。


やはり普通はいらない。


右も左も投げるやつなんて、ほとんどいない。


そもそも。


そんな無茶なことを考える選手自体が少ない。


俺は歩き続ける。


そして。


最後に辿り着いた場所。


古びた個人店。


大きなチェーン店とは違う。


小さな看板。


少し色あせた文字。


店の前には、長年使われているような木製の看板が置かれている。


正直。


営業しているのかすら分からない。


でも。


なぜか。


足が止まった。


理由は分からない。


ただ。


ここには何かある気がした。


「……ここが最後か」


俺は扉に手をかける。


カラン。


小さなベルの音。


静かな店内。


瞬間。


革の匂いがふわっと広がった。


新品のグローブ。


使い込まれた革。


職人が手を入れた道具。


その全部が混ざったような匂いだった。


店内を見渡す。


並んでいるグローブは、どれも普通の商品とは少し違って見えた。


新品なのに。


最初から手に馴染んでいるような雰囲気。


数十秒。


誰も出てこない。


「……留守か?」


そう思った瞬間。


「あ!!」


突然、奥から声がした。


「キミは!」


「……え?」


奥から顔を出したのは、同い年くらいの少女だった。


明るい表情。


大きな瞳。


そして。


俺を見るなり、目を輝かせる。


「鷹浜中の2年の剛腕!」


「嶋口勝くんだよね!」


「……ああ、まあ」


少女は一気に距離を詰めてくる。


「やっぱり!」


「テレビで見た時から思ってたんだよ!」


「本物だ!」


「……」


少し困る。


こういう反応には慣れていない。


少女は気にせず続ける。


「あ、私の名前は悪石凛!」


「今はこの店のお留守番してるんだ!」


「留守番って……店員なのか?」


凛は少し胸を張った。


「一応、ここの娘!」


「お父さんが店主なんだ」


「今日は仕入れに行っててさ」


「へぇ……」


俺は店内を見る。


凛は俺の視線に気づいた。


「気になる?」


「いや」


「絶対気になってる顔してる」


「……」


図星だった。


並んでいるグローブ。


どれも普通じゃない。


「この前の決勝見たよ」


突然。


凛が言った。


俺の動きが止まる。


「惜しかったね」


「……まあな」


短く返す。


それ以上は言わない。


でも。


頭の中にはまだ残っている。


最後の一球。


陽田蘭のバット。


スタンドへ消えていく白球。


凛はそんな俺を見ていた。


「最後」


「真っすぐだったでしょ」


「……」


「逃げなかったんだね」


俺は少しだけ顔を上げる。


「逃げる理由がなかっただけだ」


凛は少し笑った。


「いいね」


「そういうの」


そして。


少し真剣な表情になる。


「でも」


「だからこそ、次が必要なんだよ」


「次?」


凛はカウンターに肘をついた。


「同じ真っすぐでもさ」


「右の真っすぐと」


「左の真っすぐ」


「全然違うでしょ?」


その瞬間。


俺の表情が変わった。


「……!」


凛は笑う。


「やっぱり」


「図星なんだ」


「何が」


「左」


言葉が出なかった。


「見たんだよ」


「試合のあと」


「キミが左で投げてるところ」


「……どこで」


「学校の裏の壁」


そして。


少し笑う。


「全然入ってなかったけどね」


「うるせえな」


思わず返す。


凛は楽しそうに笑った。


「でも」


「あれ、ただの遊びじゃなかった」


「……」


「悔しかったんでしょ」


「だから」


「もう一個の答え探してた」


何も言えなかった。


完全に見抜かれていた。


凛はカウンターから離れる。


「こっち」


俺は黙ってついていく。


店の奥。


表には並んでいない棚。


少し埃をかぶった場所。


凛は一つの箱を取り出した。


「普通はね」


「両利き用のグローブなんて存在しないの」


箱を開ける。


中に入っていたのは。


少し変わった形のグローブ。


左右対称に近い。


どちらの手でも扱えるように設計されている。


ポケットは深く。


握り替えやすい構造になっている。


「……これ」


「試作品」


「この前、ウチで作ったやつ」


「売り物か?」


凛は首を横に振る。


「違う」


「挑戦者用」


「なんだそれ」


凛は少し間を置いた。


「キミが投げてるのを見て」


「ここに来る気がした」


「だから、お父さんにお願いした」


「……は?」


凛は肩をすくめる。


「だって」


「そういう顔してたから」


「どういう顔だよ」


「諦めてない顔」


言い返せなかった。


凛は続ける。


「でも」


「これは普通のグローブじゃない」


「ちゃんと使えないと」


「逆に邪魔になる」


「中途半端な人には絶対扱えない」


俺はグローブを手に取る。


思ったより軽い。


でも。


芯はしっかりしていた。


まるで。


覚悟を試されているようだった。


「だから条件」


「条件?」


凛はボールを一つ投げてくる。


パシッ。


自然と右手で受ける。


「ここで投げて」


「右と左」


「両方」


「店の中だぞ」


「奥なら大丈夫」


見ると。


奥の壁は分厚いゴムで覆われていた。


「壁当てできるようにしてある」


なるほど。


ただのグローブ店じゃない。


ここは。


挑戦する人間のための場所なのかもしれない。


「逃げたら」


凛は笑う。


「貸さない」


「誰が逃げるかよ」


俺はボールを握った。


まずは右。


「いくぞ」


振りかぶる。


踏み込む。


腕を振る。


シュッ。


ドンッ!!


いい音。


芯を食った感触。


凛は頷く。


「うん」


「それは知ってる」


「じゃあ次」


俺は無言でグローブを持ち替える。


左。


まだ不安定。


でも。


ここで逃げるわけにはいかない。


嶋口(関係ねえ)


振りかぶる。


踏み込む。


腕を振る。


「……っ!」


シュッ――


ドンッ!!


さっきより強い音。


でも少し高い。


「惜しい」


「分かってる」


もう一球。


低め。


コースを意識。


シュッ。


ドンッ!!


今度は。


狙った場所へ。


凛の表情が変わった。


「……へぇ」


ゆっくり近づいてくる。


「思ったより早いね」


「形になるの」


「どの目線で言ってんだ」


凛はグローブを見る。


「それ」


「使いこなせるかもね」


「貸してくれるのか」


凛は少し考えた。


そして。


ニヤッと笑った。


「まだ」


「……は?」


「もう一個条件」


「めんどくせえな」


凛は真っ直ぐ俺を見る。


そして。


「私を甲子園に連れてって」


「……は?」


思わず間の抜けた声が出た。


「いや」


「急にスケールでかすぎだろ」


でも。


凛は笑わなかった。


さっきまでの明るさが消えていた。


真剣な目。


「冗談じゃないよ」


静かな店内。


時計の音だけが響く。


「私」


「ずっと見たかったんだ」


「誰かが、不可能って言われることに挑戦するところ」


凛はグローブを見る。


「だから」


「キミに使ってほしい」


俺は黙った。


「約束ね」


その言葉が。


不思議と胸に残った。


そして。


俺の新しい挑戦は。


一つのグローブと。


一人の少女との約束から始まった。

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