別れ、そして別れ
あれから時節は巡り、林泉寺も草木も枯れる冬の中にある。
数年前、虎千代の目に写った新鮮な草木や花の数々も今となっては次に咲き誇る準備をしている。
そんな静かな冬に似合わぬ子供がいた。
ヒョウ......フッ
バチィン...
「お、おお...また皆中だ...」
「すげえや...いくら武家の子供といっても出来すぎてるだろ...」
僧たちは皆、一人の子供に次々と称賛の言葉を口にしている。
「うん、今日も中るな!」
皆さんもお察しだろうが、この弓に長けている子供も虎千代である。
「虎千代様、その素晴らしい弓、誰から教わったのですか?」
林泉寺の誰かしらが、知ってか知らぬか尋ねた。
「天室光育様からですよ」
虎千代は天室光育のお気に入りであり、この二人の仲は林泉寺の者なら誰しも知っていた。
「おお...やはり天室光育様でございますか。しかし、春日山にいたころは弓を教わっていなかったのですか?」
「んー、一応教わってはいましたけど、この射型を天室光育様から教わってからというもの、ものすごく中るようになりまして」
「なるほど...私も天室光育様から教わっているはずなんだけどなあ」
「そうでしたらきっと、自分にしっくりくる型になるときが来ますよ!」
「ええ、そうでえすねえ。私も子供に諭されるようでは...はは」
(ふん、天室光育と"儂"のおかげであろう。お主には一生をかけてもこの命中率は出せん。)
(いや、「儂の存在を他言するな」っていったのそっちじゃん...)
(まあな。儂の存在が他人にバレてしまっては信仰心が薄れて毘沙門堂がなくなってしまいそうだしな。そしてなにより、わしの力にあやかった輩がお前に悪戯しそうでな。)
(えぇ...親心...?)
とは言いつつも、やはり虎千代は毘沙門天の存在は大きいと実感している。
実際虎千代は、様々な遊戯に秀でいたことで知られている。
例えばこのような武芸では皆驚愕するほどの実力であった。
「と、虎千代様!大変です!」
使いの者が大慌てできた。
「どうした!申せ!」
虎千代は恐怖と不安で覆われた。
いつもなら明るい使いの者顔が、今は眉間に皺が寄り、強張っていたからだ。
「た、為景様が!」
「!」
この時点で、大方察してしまった。
いつか来るとは分かってはいた。
「お、お亡くなりになられました...!」
「そうか...。そうかぁ...。」
虎千代は天を仰ぎ、涙をぐっと堪えた。
父である為景との思い出が頭の中に駆け巡る。
思えばそんなに近くにいなかった気もするが、いつでも虎千代の憧れであった。
しかし、天室光育からはこうも習った。
「無駄な殺生など、我々には必要がないのです。一方で必要な殺生も存在します。つまり何が言いたいか。そなたが持った力は、そなたのためでなく、そなたが他を守るために使うべきです。」
続けて天室光育の言葉を思い出す。
「そなたは凄い才能をお持ちです。その力を私利私欲に使えばたしかに巨大な刃となるが、他につかえば巨大な盾となる...。このことをいつでも念頭においてほしいのです。」
(うむ、良い考えだ。儂も大いに賛成だ。)
毘沙門天。今はすっこんでろ。
虎千代にとって為景も、天室光育も、どちらも人生にいなくてはならない大切な師であったことに間違いはない。
一方で、二度も下剋上をした為景を全面的に肯定し、憧れてしまうことは虎千代にも躊躇われた。
この迷いが虎千代の涙を食い止める堰となったのかもしれない。
数日後。
為景の死は、すぐに越後国全体に広まった。
虎千代も為景の葬式に出席するため、林泉寺を一旦は後にせざるを得なくなった。
そんなとき、天室光育に虎千代は呼び出された。
「天室光育様、何用でございましょうか。」
「そなたはそろそろ初陣を経験する時期です。」
「...え?僧として育てられた私が...?」
「ええ、しかしそなたはただの僧ではない。並々ならぬ武芸の才、学問の才を持っています。」
「し、しかし...」
「今の越後の情勢を知っていますか?」
「は、はい。大まかには...」
このときの越後の情勢はかなり険しいものであった。
特に下越に本拠地がある揚北衆はたびたび守護の上杉家、守護代の長尾家と対立しており、越後国の最大の不安要素であった。
「ならば話は早い。揚北衆がこの越後に近づいて来ていると噂があります。」
「!?」
このことの重大性は虎千代でも分かった。
揚北衆は、為景のあまりの強さに今は手を引いているものの、家督が完全に兄・晴景に渡ったと知れてしま今、葬儀中を好機と見て攻めてくる可能性があった。
「そのまま為景様の葬式にやつら揚北衆が来てしまったら、まず親族であるそなたの首も狙われやすい。」
虎千代は唾を飲んだ。
「しかしそなたは優秀です。そなた一人でも、そなたに軍を持たせたとしても必ず活躍が見れる。だから私はそなたにそろそろ初陣が来るのではないかと言ったのです。」
「なるほど...だからあんな話をされていたのですね。」
「はい、守る力としてのそなたは強大でしょうから。」
天室光育は相好を崩した。
やはり天室光育様は賢い、と感嘆した虎千代。
その一方で、初陣が楽しみだという気持ちもあった。
(おい、そんな情勢なのか。おっかないなこのえちおという国は。)
(えちごね。状況的には結構まずいよ。晴景もあんなんだし、一体どうなるのか。)
(その割にお前は楽しんでいそうだが)
「...い、...ーい、おーい、虎千代様?どうしました?」
「い、いや、ただの考え事です。それで、本題は?」
「もしかしたら、そなたが今話していらした方かもしれませんね...」
「!」
嘘だろ、そんなとこまで見透かすのかこの和尚は
「な、なんのことですか?」
(いかん、絶対に他言してはならんぞ。儂は神だからな。)
「そなたは林泉寺に来てから心に何かを飼っていますね...?」
「...っ!」
(あーやべえやべえやべえ!これバレるぞ虎千代!)
(いや落ち着け!まだいけるはず!)
「例えば、毘沙門天あたりを飼ってたりするんですかねえ...」
天室光育は顔面にたっぷりの笑みを貼り付けている。
(あー!!!なんだこの坊さん!!!虎千代!なんか言え!虎千代!)
(あーえーっと、えーっと.......)
(ほんまにやばいって!バレたら利用されんぞこのおっさんに!やれ神力だのやれ超能力だのいって操り人形にされるぞ!てかこいつの圧やばい!)
(あ~分かった分かった!)
「天室光育様、根拠はいずこに。」
虎千代は凛として天室光育に言った。
まるで時が一瞬止まり、すべてが静寂かのように思われた。
虎千代の澄んだ目に、天室光育は気分が高揚した。
(うむ、ご立派になられましたな、虎千代様...)
そう思いつつも、やはり確信がある天室光育が言った。
「まあ、虎千代様がお認めにならないのなら良いですが...。私にも確信があるゆえ、伝えたいことがございます。その力は決して誰にでも宿るものではない。ですから、どうか、どうかその強さの使い方には十分すぎるほどお気をつけてください。」
「...」
虎千代は肯定するわけにも否定するわけにもいかず、少し黙った。
(ほう、私の飼い方...とな。)
「では、私から教えることも以上でございます。それではこれからの人生、ご武運を。」
「ど、どういう...こと...ですか......?」
虎千代は訳がわからなかった。
私から教えることが以上...?一体どういう意味だ。
「あ、言ってませんでしたか?私は為景様がお亡くなりになるまでしかそなたの師匠でいられない。これは為景様から賜ったご命令です。あとはそなたの正しいと思う方へ全力に、と。」
またしても天室光育は満面の笑みで言った。
「ぅ......ぅ......」
虎千代は急に涙が込み上げた。
二人の父がいなくなったような気がして。
しかし、虎千代は、これを最後の言葉にしないつもりで放った。
「私は......っ、まだまだ...未熟者です...!また私が迷えば...その時は.......師匠と呼んでもいいですか...っ!」
年相応の子供のように、大切な恩師との別れに泣きじゃくりながら言った。
「もちろんです。でも、武家の子供ともあろう方が、いつもでも泣いているんじゃありませんよ。それでは、お元気で。」
「......はい...っ!」
こうして1542年も暮れようとするとき、虎千代は林泉寺を後にして旅立った。




