Case.1 それでも、あなたは(3)
「――!?」
何だ!?
ぞわり、とする気配。何か……異質なモノ、が妃の部屋に充満している。
――私は躊躇うことなく、扉を開けた。
***
「――陛下!?」
娘が叫んだ。私は、あり得ない光景に目を見張った。
「何だっ、これは……っ!!」
サーヤが横たわっているベッドを中心に……金色の光が円を描いていた。鈴の音のような、不思議な音が部屋にさざ波を起こしている。
女官達は、皆、気を失って、床に倒れていた。近寄ろうとしたが……身体にびりっとするような感触が走り、前に進む事ができない。
「……サーヤ……さやかさんを、元の世界に戻します」
娘の言葉に……私は声を荒げた。
「何を言ってる!? サーヤに何かあったら……っ!!」
真っ青な顔で、苦悶の表情を浮かべているサーヤは、身体を曲げて震えていた。
「……このまま、ここにいては、さやかさんもお子さんも助かりません」
「!!」
思わず拳を握りしめる。娘の顔は……冷静、だった。
「……元の世界では、医術がここよりも発達しています。そこなら、お二人の命を救う事も可能です」
「……しかしっ……!!」
ずっと窓の外を見ていたサーヤ。元の国に戻ったら……恐らく……
得体の知れない恐怖が、私の心を縛ろうとしていた。
「……私は、さやかさんとお子さんの命を最優先に考えます。あなたがどう思うとも……お二人が生きている事が、一番大切です」
ぎり、と奥歯を噛みしめた。サーヤの様子を見る。この苦しみを……救える者は、ここには誰も、いない。
「……その世界ならば、助かるのか」
「……恐らくは。時間がありません、転移を開始します」
娘が、何か、を呟いた。金の円から光の帯が立ち昇る。
「……私は、もう一度、この世界に戻ってきます。その時に全て説明します」
娘が左腕の腕環に向かって、言葉を紡いだ。
「……座標軸、固定。転移先、確認OK。転移……開始」
ふわん……聞いた事のない、音、がした。金の光が中心に向かって、集まり始める、娘とサーヤの姿を、光が覆っていく。
「サーヤ……っ!!」
手を伸ばした私の目の前で……二人の姿は、霧のように、かき消えた。
***
――時空捜査係の部屋に、緊急転移した私達を見て、東郷係長が言った。
「……倉橋、救急車はすでに着いている。担架で運ぶぞ」
「はい!」
救急隊員が、苦しむさやかさんを担架に乗せ、暗い廊下を出口に向かって行った。その後を私も追う。
「倉橋さん、後で身体検査受けろよ! 緊急転移したから、身体に影響が出るかも知れないぞ!」
水野君の声に、振り返って「わかった!」とだけ返し、そのまま私は廊下を走った。
***
「……ふう……」
私は溜息をついた。さやかさんの緊急帝王切開が終わり……母子ともに無事、と医師に告げられたからだ。
『かなり、体力が落ちていたみたいですね。しばらくは入院して、様子を見ましょう』
担当医はそう言っていた。へその緒が赤ちゃんの首に巻き付いて、心音が下がっていたらしい。必要な措置をしてもらい、さやかさんも赤ちゃんも、今状態は落ち着いていた。
ノックをした後、さやかさんの病室に入る。目を瞑っていたさやかさんが……薄っすらと目を開けた。
「……さやかさん、判りますか?」
覗きこんだ私の顔を……じっと見つめていたさやかさんは、はっとしたように表情を変えた。
「こ……こは」
私はゆっくりと頷いた。
「……元の世界です。あなたと赤ちゃんの命を救うために、緊急転移を行いました。その影響で、身体も疲れているでしょうから、暫くは入院してゆっくりして下さいね」
さやかさんの瞳から、一筋の涙、が流れた。
「戻って……これた、のね……」
「……はい」
さやかさんの左手を握りしめた。さやかさんは……ただ、泣いていた。
(……さやかさんに……確認、しないと……)
「……さやかさん。赤ちゃんは今、新生児集中治療室に入っています。産まれる時に仮死状態になっていたので、暫く様子を見るそうです」
ぴくり、とさやかさんの手が動いた。
「さやかさんによく似た……女の赤ちゃんでした」
「……」
「……さやかさん……」
「……っ、だ、め……なの……」
さやかさんの唇が震えていた。
「……わ、私……彰一さんを……裏切った……」
ぎゅっとさやかさんの手を握る手に、力を込めた。
「っ、さやかさんっ! あなたは裏切ってなんか、いませんっ!!」
「……彰一さん……じゃない、男の……こ、ども……をっ……」
さやかさんの瞳が……見る見るうちに生気を失っていく。
「さやかさんっ!!」
「……だ、め……あの、子の顔を、み、見たら……きっと、私」
さやかさんは……真っ青な顔で、私を見た。
「……殺して、しまうかも……しれ、ない……」
「さやか、さん……」
「だめ……だめ……っ……!」
私は思わずさやかさんを抱き締めた。さやかさんは……「だめ……」と独り言のように呟いて、いた。
「……さやかさん。もし、あなたが……望むなら」
「……」
「全てを……忘れることも、できます」
「……え……」
私は身体を起こし、さやかさんを真っ直ぐに見た。さやかさんの瞳に……正気が戻った。
「あちらの世界の波動は……こことは違います。ですから……その波動を打ち消す反波動エネルギーを与えることで、あなたの中から、向こうの世界の記憶を取り除く事ができます」
「……」
「……それを望みますか? その選択をしても……誰も、あなたを責めたりしません」
「……」
さやかさんの瞳が……大きくなった。
「……お願い、します……私、は……みんな、忘れ、たい……」
「……わかりました」
私はさやかさんに微笑みかけ……準備をするために、病室を後にした。
***
さやかさんの御両親に連絡して、さやかさんの無事を告げた。……お二人とも、泣いて喜んで下さった。眠っているさやかさんは……反波動エネルギーを浴び……向こうの世界の事は、おそらく全て忘れただろう。その事も御両親にはお伝えした。
『さやかは……無事、なんですね……』
優しい眼差しの、背の高い男性。この方が……彰一さんだ、とすぐに判った。
『もうすぐ挙式を上げる予定だったんです……なのに、あの日』
式場からの帰り、海を見に寄り道したところで……さやかさんは、異世界へと飛ばされた。彰一さんの目の前で。
『僕は、さやかがどんな目に遭ったとしても……生きてさえいてくれれば、と思っていました』
彼の視線は……私の話を聞いても、揺るがなかった。
『その子も……僕は自分の子として育てられますが……さやかが無理であれば……』
彰一さんは、私に向かって頭を下げた。
『……どうか、さやかの子を……お願いします』
私は御両親と彰一さんに……女の子の居場所を見つけると、約束をした。
***
薄暗い部屋の中。ぼんやりと佇む私の目の前に……金色の光が現れた。
「……っ!!」
光は次第に大きくなり……やがて、人の形を取った。
私は……目を見開いた。
「……お前、は……」
――黒い髪、黒い瞳。私を射抜くように見つめる、意志の強い瞳。白い布に覆われた、……何か、を抱いている、白い服を着た、娘。
「……サーヤ……さやかさんと、お子さんは無事です。命を取り留めました」
私は張り詰めていた息を吐いた。
「そう、か……」
サーヤがいない、と言う事は……私は、胸の痛みを紛らわせるように、唇を噛んだ。
「さやかさんは……元の世界で、元の生活に戻る事を望みました。ですから……」
娘が真っ直ぐに私の瞳を見た。
「彼女は……ここでの事は……全て忘れました」
「何っ……」
サーヤが全てを忘れた、だと!? 私は思わず娘を睨みつけたが……娘の表情を変わらなかった。
「彼女がそれを望みました。全て忘れたい、と」
「……っ……」
何も言えない私から視線を逸らし、娘は、自分の腕の中を見た。
「……さやかさんが生んだ、赤ちゃんです。あなたの……娘、です」
「……娘……?」
娘が白い布を少しはがした。黒い髪に覆われた、小さな頭が見えた。娘が私に近づき……赤子を差しだした。私は……ふにゃふにゃと柔らかい生き物を受け取った。
「……っ、壊れそうだぞっ……」
「……首元を肘のあたりにあてて、安定させて下さい。触ったぐらいで赤ちゃんは壊れたりしませんから」
こんなに小さくて頼りないのに……どうして、こんなに重く感じるのか。私は、畏怖に近い感情を覚えた。
「……あなたは」
娘が静かに言った。
「……どうして、さやかさんを……ここに連れてきた時に、ご自分の心を伝えなかったのですか」
「……なに……」
自分の心……だと?
「豪華な宝石やドレス……贅沢な生活……さやかさんはそんなものを望んでいなかった」
「……」
思い出す。何の感情も映していない、空虚な瞳、を。
「もし……もし、あなたが」
「……」
「……怖がらずに、ご自分の気持ちを……『好きだから、傍にいて欲しい』とさやかさんに告げていたなら……」
「……」
娘の口調は責めている様子もなく……ただ淡々と事実を告げているかのようだった。
「……もしかしたら、何かが変わっていたかも、しれません」
「……」
黙ったままの私に、娘が言葉を重ねる。
「……そのお子さんは、異世界の血が混じっています。ですから……異能……こちらでいう、魔力を持っている可能性が高いです」
「……」
私は腕の中の赤子を見た。すやすやと眠る、小さな小さな……娘を。
「その力ゆえに……蔑まれたり、狙われたりすることもあるでしょう。この王宮で……母親のいない王女が、他の側室達に、暗殺される可能性もあります」
「……っ……」
「……それでも、あなたは」
娘が……黒い瞳を私に向けた。その視線の強さに……私は身じろぎ一つ、できなかった。
「……娘さんを、愛する事ができますか。今度こそ、物で誤魔化すのではなく……ご自身の心で、娘さんと向き合う事ができますか」
「……」
「もし……できないと、おっしゃるのであれば」
「……」
「……この世界から、さやかさんの記憶を全て消去し……私が責任を持って、その子の居場所を見つけます」
「……私に……サーヤを忘れろ、と……?」
「……ええ。もしあなたが、その思い出に囚われるあまり、娘さんを愛する事ができないのであれば」
腕の中のぬくもりが、もぞもぞと動き……やがて、目を開いた。
「……!」
息が……止まった。サーヤの……瞳、だ。漆黒の……。真っ直ぐに私を見て……赤子は、にこっと笑った。
「わら……った……?」
確かに笑った。私を見て。心臓が……掴まれた、気がした。
「……産まれたての赤ん坊は……笑ったりしないものですが」
娘はそう言ったが……私の心には、その笑顔が焼き付いて、いた。私は目を閉じ……娘を抱き締めた。
やがて私は目を開け、娘に向かって言った。
「……娘は私が育てる。サーヤの思い出も……消す事は、許さない」
娘はにっこりと笑った。
「……判りました。あなたが……娘さんに心を見せたなら」
娘の眼差しは……優しかった。
「……あなたが、得たかったものを……いずれ得る事ができるでしょう」
ふあん……また、あの音が響いた。きらきらと金の光が娘に集まっていく。
「……では、私はこれで。もうお会いする事もないと思います」
金色の光が娘を覆っていく。私は思わず叫んだ
「お前! ……名は、何と言う?」
娘は一瞬目を丸くしたが……微笑みながら答えた。
「……リナ。リナ=クラハシ。それが、私の名前です、陛下」
――その言葉を最後に……娘の姿は消え失せた。
***
「とうさまーっ!」
元気な女の子の声が、後宮に響く。
「……どうした?」
小さな手が、私の袖を掴んだ。
「ねえねえ、こっち来て! 見せたいものがあるの!」
娘に手を引かれて、私は中庭へと足を運んだ。中庭の噴水の近くまで来たところで、娘は手を離し、中庭の芝生の上へと躍り出た。
「ほら! サクラが咲いたの!」
「……ほう。今年は結構早かったな」
――娘が産まれて一年後。空いたままの妃の部屋に……いつのまにか、荷物が届けられていた。
布に包まれた、コンペイトウ、とか言う菓子と……薄桃色の、五弁の花弁のついた、小さな苗木。
――サーヤが来ていた服に描かれていた……サクラの木だ、とすぐに判った。誰が贈ってくれたの、かも。
試しに中庭に植えてみたところ……何とか根付いてくれた。まあ、娘の『力』があってこそ、だが。
――異能……こちらでいう、魔力を持っている可能性が高いです
そう、あの娘が言っていた通り……この子には、他の者が持たない『力』があった。それは……
「まあ、姫様。またサクラを大きくするのですか?」
呆れた様な女官の声にも、娘はめげなかった。
「うん! 早く満開のサクラが見たいの!」
小さな手が、サクラの幹に当てられる。ぼうっと金色の光がサクラの木を包み……つぼみが少しずつ開き始めた。
「……本当、『神の娘』ですわね、姫様は」
その『力』に気がついたのは……水が枯れた中庭の噴水に、娘を座らせて遊ばせていた時。小さな両手を地面に付けると……白い、花弁のような光が舞い……ごぼっと言う音と共に、水が噴き出してきた。慌てて娘を抱き抱えると、びしょぬれになった娘は、大声を上げて笑った。
娘が枯れた大地に手を触れると……水が満ち、草木が生い茂る。
枯れたオアシスに連れて行った時も……何十年ぶりにオアシスが復活した。見る見るうちに、池の周りに生えていく草を見て……皆は、『神の娘』、と娘を呼んだ。
水と緑の豊かな国。この子は……この渇いた大地を自分の母の国のようにするために、『力』を持って生まれたのかも知れない。
中庭で跳び跳ねながら、屈託なく笑う娘を 見て、私は思った。
もし、この子が……目の前で笑うこの子が、突然姿を消し……どこかに閉じ込められ、意に染まぬ関係を強いられた、としたら……
――相手を殺したい程恨むだろう。
ようやく……この子と過ごして、ようやく理解できた。サーヤに……どれ程罪深い事をしていたのか、を。笑顔を見せなくて、当たり前だったのだ。当たり前の事が……まるで判っていなかっただけだった。
もう謝る事も叶わないが……せめて、サーヤと同じ思いをする女性が少なくなるよう、婦女子に対して暴行を加える事を厳罰とした。奴隷商人にも攻撃をかけ……壊滅状態にすることができた。お陰で、王都の周辺は、女一人旅もできるようになった。
この子がオアシスを復活させたため、諸外国への通行路も開けた。貴族も平民も関係なく、優秀な人材を留学させ、一人でも多くの医師を育てるようにした。この子が子を産むときには……安全に産めるようになっていることだろう。
「ねえ、とうさま?」
「何だ?」
娘は青い空を見上げて言った。
「サクラが大きくなって、満開に咲いたら、お空の向こうにいる、かあさまからも見える?」
私は娘を抱き上げ、右腕に抱えた。
「……ああ、見えるとも」
娘が嬉しそうに笑った。
――あなたが、得たかったものを……いずれ得る事ができるでしょう
「……本当に預言通りだったな」
あれほど見たいと思っていたサーヤの笑顔。今……その笑顔はここにある。
ぎゅっと小さな腕が首に抱きついてきた。
「……とうさま、大好き」
私も小さな温かい身体を抱き締めた。
「……私も愛してる、リーナ」
娘には、あの娘の名前を付けた。……もう二度と、間違うことのないように。
「……陛下」
女官長が頭を下げた。
「西の国、シャルダンから使者が参られました。かの国でも砂漠化が進んでおり……姫様のお力をお借りしたいと」
「……判った」
私は娘を降ろし、手をつないだ。
「お前も一緒に来るか?」
「うん! またいろんなところ、見て回れるの?」
「そうだな……」
私とリーナは、女官長の後を追うように、謁見の間へと歩いて行った。
***
……昔々。このサルターン王国は、周りを砂漠に囲まれた乾いた大地で、人々は水を求めて彷徨っていました。貧しい暮らしに耐えかねて、身売りすら公然と行われていました。
そんなある日、黒い瞳に黒い髪の、それは可愛らしい王女が産まれました。
王女がその白い手を大地に触れると……乾いた土地に水が満ち溢れ、草花が大地を覆うように、その緑の葉を伸ばしました。
王国の人々は、王女を『神の娘』と呼び、宝物のように、大切に大切にしました。
王女の力で、乾いたオアシスも見違えるように蘇りました。作物も沢山採れるようになり、人々の暮らしも豊かになりました。
王は、王女を守る為に、女子供を大切にする法律を作りました。そのおかげで、王女は国のどこへでも出かけられるようになりました。
――ある日の事、王女は王宮の中庭のサクラの木の下に、見知らぬ青年が倒れているのを見つけました。
どこか他の世界から来た、というその青年を、王女は一生懸命、看病しました。
青年が元気になった頃……いつの間にか、王女と青年は心を通わせるようになっていました。
やがて、王女は青年と結婚し……娘を二人産みました。その娘たちもまた、水と緑の力を持っていました。
こうして、サルターン王家には、『神の力』を持つ王女が産まれるようになった、ということです。
――サルターン 昔語り より