ケーキが食べたい
レイヴィスが私と共に家庭教師の授業を受け始めた初日。
授業中、彼にはノートを取りながら静かに聞いていてもらった。
授業後に、理解できなかった部分と過去に習ったことを私が教えていくつもりでいた。
私も復習になるので無駄にはならない。
だがしかし、何ということでしょう。
レイヴィスは授業内容は全て習い済みだったらしく、理解できたと言う。
王都の初等学校はレベルが高すぎではないか。
「こちらの学校と王都の学校では、こんなにも進み具合が違うとは思いませんでした……私はもっと頑張らないといけませんね」
これでは王立学園に行っても、授業についていけないかもしれない。
ちょっと……いや、だいぶショックを受けた。
「俺は、家で勉強している時間も長かったから、先に進んでいただけだと思うよ。とにかく、今のリアーナの勉強についていけそうで安心したよ」
「そうですね」
一緒に勉強しても問題なさそうなのは良かった。
それにしても、私の方が足を引っ張る可能性が出てきてしまったのではないか。
何を隠そう私の頭脳はかなりショボいのだから。
歴史や語学など、暗記すれば何とかなるものは大丈夫だけれど、数学は本当に苦手でどうしようもない。
人一倍勉強して、やっと並み程度といったところ。
本当に頑張らないといけない。
勉強の後は、夕食の時間まで一時間ほど二人で走ることにした。
レイヴィスはもう、走りながらでも普通に会話をできるくらいに体力がついている。
敷地内は今は花盛りで、走りながら色とりどりの景色を楽しめる。
庭師のおじいさんがすごく沢山花を植えてくれたから。
嬉しくて思わず頬が緩む。
「綺麗ですね。私、今の季節が一番好きです」
「俺もだよ。……あ、あの花の実は甘酸っぱくて美味しいんだよね。食べたことある?」
レイヴィスは、小さな木に咲いている白色の花を指差した。私が幼い時からある木だ。
「はい。ロズベリーですね。何度か摘まみ食いをしたことがあります」
「ふふっ、ご令嬢でもそんな事するんだね」
「もちろん外ではしませんよ」
もちろん、人目が無かったらするけどね。
「そっか。あの実をケーキに入れたら美味しいんだよね」
「もしかして、あなたケーキも作れるのですか?」
「うん。作れるよ」
「!!」
レイヴィスの手作りケーキ……
何それ、そんなの食べたすぎる。
「……私、今年は摘まみ食いは我慢します。だから実が沢山なったらケーキを作ってください!」
「 うん、いいよ」
「やったぁ! 約束ですよ!」
嬉しくてぴょんぴょん跳び跳ねながら走ってしまい、レイヴィスにくすりと笑われてしまった。
「ふふっ、うん、約束ね」
ケーキも作れるなんてすごい。
レイヴィスの手作りケーキ、今からすごく楽しみだ。
早く実がならないかな。
* * *
二ヶ月後。
ケーキを作ってもらえる日がやって来た。
今日は騎士見習いはお休み。私とレイヴィスは休日である。
騎士団は月に七日、好きな日にお休みが貰えるのだ。
朝からかごを持って外に出て、ロズベリーの実を収穫しに行く。
赤い実が鈴なりになった木の前には看板が立ててある。
『この実、食べるべからず。食べた者には天罰を。リアーナ』
大きな字で注意書きしておいたので、誰にも食べられずに済んだ。
沢山収穫することができ、ほくほくしながら建物内へと戻った。
ラウンジの調理場で作ってもらうことになったので、私はそれを見学する。
レイヴィスはてきぱきと準備を済ませると、手慣れた様子で卵を割った。
「すごい……上手ですね」
「そう? これくらいならすぐにできるようになるよ。リアーナもやる?」
レイヴィスが卵を一つ掴んで私に差し出した。
「遠慮します。私、卵を割るの苦手なんです」
不器用なので、卵に限らず調理全般、手作業全般が苦手だ。
「そうなんだ。一度やって見せて」
すごく爽やかな笑顔で卵を手渡された。
(うう……どうしよう)
かわいくて断れないので、割ってみることにする。
結果はといえば、もちろん想定した通り。
殻は砕けちり、中身は潰れてどろどろになった。私の手もどろどろである。
「ごめんなさい……卵一つ無駄にしちゃいました」
「大丈夫だよ。ザルで濾せば使えるから。リアーナは力加減が苦手なんだね」
「……はい」
恥ずかしさと申し訳なさでショボンとなる。
レイヴィスは何を思ったか、また私に卵を手渡してきた。
「次はさ、優しく割ってみようか。卵の中に君の好きなかわいい生き物が入ってると思いながら」
「かわいい生き物……」
ふわふわのヒヨコとかだろうか。
私は手の上にコロンと転がる卵を見つめた。
この中にかわいいヒヨコが入ってる……
「かわいい生き物を潰したくはありません」
「うん、優しくしたら大丈夫だよ。まずは台の上で優しくコンコンッとして、小さな窪みを一つ作ってみようか」
私はマリー達を抱きしめる時のように、優しく優しくコンコンッとしてみた。
「そうそう。そしたら窪みに親指をそっと当てて。力を入れたらダメだよ、優しく持ってね。親指にだけほんの少し力を入れて。そーっと小さな扉を開く感じで」
ほんの少しだけ。
優しく 優しく、そーっと、優しく。
パカッ
「……きれいに割れました」
殻は少し入ったけれど、中身はきれいなままで潰れていない。
「きれいに割れました! すごい、初めてです」
「やったね。それじゃ、次はかき混ぜてみようか」
「え……」
どうしよう。やってみたいけど、でも……
返事に困りながら、ちらっとレイヴィスの顔を伺ってみると、ものすごくいい笑顔で返事を待っていた。
「……やってみます」
私はレイヴィスに教えてもらいながら、一緒にやってみることにした。
彼はすごく教え方が上手だ。
私に合わせて分かりやすくアドバイスをしてくれる。
材料を無駄にすることなく、どうにかロズベリー入りの生地を作ることができた。
丸い型に生地をそーっと流し入れ、上からもロズベリーを乗せてオーブンの中へ。
あとは焼き上がりを待つだけだ。
「私、失敗せずにお手伝いできたのは初めてです。ありがとう」
「どういたしまして」
焼き上がったケーキは、すごくおいしくできたので、父と母の分をお皿にのせて料理長に託すことにした。
夕食の後に食べてもらうのだ。
その前に、おやつの時間にラナとマリーちゃんに食べてもらうことになった。
「わあぁ、おいしそー!」
「レイおにいちゃんとリアおねぇちゃんすごーい!」
二人の天使がキラキラとした目でケーキと私達を見ている。
抱きしめたい。抱きしめたいけれど、二人はケーキを食べようとしているので我慢しないと。
「おいしーい」
「おいしいねぇ」
二人はプニプニほっぺをモグモグさせながら、幸せそうに食べている。
ああ、幸せ。
自分が作ったものを誰かに喜んでもらえることは、こんなに幸せな気持ちになることなのだと知った。
「よかったね、リアーナ」
「はい、レイヴィスのおかげです」
私とレイヴィスも座ってケーキを食べた。
「えへへ、おいしいですね」
「うん」
ずっと楽しみに待っていたレイヴィスの手作りケーキが、自分もお手伝いをしたケーキになるなんて思ってもみなかった。
美味しくて嬉しくて、顔が緩んでしまう。
そんな私のことを、レイヴィスが優しく見つめていただなんて、私には知る由もなかった。
夕食後、父と母にもケーキを食べてもらった。
私も手伝ったと聞くと二人は驚き、瞳を輝かせた。
私の不器用さをよく知っているからだ。
「リアーナの手作りケーキが食べられる日が来るとは思わなかったな。すごく美味しいぞ」
「ありがとうございます。レイヴィスのおかげで、私にも手伝うことができたのです」
私一人では最初の段階でダメだったに違いない。
「本当に美味しいわ。いいお友達ができてよかったわね」
「はいっ」
答えてから、ふと気づく。
思えば、ちゃんと仲の良い友達ができたのは初めてかもしれない。
初等学校では、私一人だけが貴族ということもあり、皆と距離感があった。
お互い気を遣わずに楽しく会話するような、親しい友達はできなかったから。
* * *
「ねぇリアーナ、女の人って何をしたら喜ぶのかな?」
日課の走り込みをしていると、レイヴィスから真剣な顔で意味深な相談を受けてしまった。
「女の人ですか……何でしょう。人によって喜ぶものは違うと思うので分かりません」
「そっか。やっぱりそうだよね……お金は受け取ってもらえなかったんだよね」
「……お金?」
どういうことだ。 なぜお金を渡すという選択になる。
若干十一歳にして、女性に貢いでいるということだろうか。
さすがにそれはショックだし、そういう相手がいることに何だか胸の奧がモヤッとする。
「レイヴィス……好きな人がいるのですか?」
恐る恐る聞いてみたが、彼は顔色一つ変えない。
「好きな人? 好きな人は沢山いるよ。ここの人たちは全員好きだけど、もちろんマリーとリアーナが一番好きだよ」
レイヴィスはどこまでも爽やかに、平然と、とてつもない発言をした。
「……ありがとうございます」
何とか平静を保って返事をしたけれど、内心は穏やかではない。
(わぁ、一番って言ってもらっちゃった! わあぁ嬉しい。嬉しいけど恥ずかしい……!)
爽やかにさらっと好きと言えるなんて、本当に恐ろしい子だ。
将来が心配だ……ではなくて、話を戻そう。
「お金を受け取ってもらえなかったというのは、何の話ですか?」
「宿屋のおかみさんだよ。給料が入ったから少しでもお金を返そうと思って持っていったんだけど、受け取ってもらえなかったんだ」
「……そういうことですか」
至って真面目な相談であった。
それならそうと、最初から言ってくれ。
でも女の人に貢いでいなくて本当によかったとホッとした。
「なるほど。欲しがっていた物とか、喜びそうなこととか思い付きませんか?」
「おかみさんは欲のない人だから、そんな話は聞いたことがないんだ。お客さんの喜びが自分の喜びみたいな感じの人だから」
「それなら、宿に来るお客さんが喜びそうなことをしたらどうですか。客室の備品を新調するとか」
私がそう言うと、レイヴィスは一際明るいぱあっとした笑顔になった。
うん、まぶしい。そしてかわいい。
「それいいね! 足りていない物もあるかも知れないし、何か考えてみるよ。ありがとう」
「どういたしまして。私も何か思いついたら言いますね」
「うん、よろしくね」
辛くて大変だった頃のレイヴィスの恩人である宿屋のおかみさんには、私も感謝している。
喜んでもらえたら私も嬉しい。