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別れの日

 2月中旬のまだ寒いある日、残業を終えたゆかりと玲は遅めの食事という名目で鳥豪族で飲んでいた。

「もう・・・月曜、火曜と週の頭から忙しすぎ!」

 玲が右手の生ビールをキューっと飲み干しつつ、左手の焼き鳥をパクつく。

「ねぇ、3月前なのになんか忙しいわよね。遥ちゃんはまだお仕事なの?今日は直帰?」

「ああ、あいつ。今日はまだ船橋で仕事だからこっち着くの遅くなるんじゃないかな」

「あら、大変なのね」

 残念そうにゆりは呟く。

「ん?でももう八時か。ちょっと遅くないか。直帰するように言っておくか・・・」

 と言ったところで玲は考え込む。

「あいつ・・・、船橋競馬場寄ったりしてないだろうな?怪しい」

「まさか、そんなことはないでしょ・・・。いや・・・」

 ゆりも断言できずに言い淀む。

「まぁあいつ、仕事中にさぼれるタイプじゃないしそもそも真面目だしな」

「そうそう、船橋は冬もナイター競馬あるけど遥ちゃん真面目だからね」

 互いに黙り込む。ゆりはスマホで何かを調べ始めた。

「今週は大井開催。船橋競馬は・・・やってないわ」

 安心したようにゆりは告げる。

「それは良かった。私は微塵も疑ってなかったけどね」

 そう言いながら玲は2杯目のビールをのどに流し込む。

「そうそう、私もそんなこと露ほどにも思ってなかったけどね」

 ゆりもそう言いながらワインを一口飲む。

 その時・・・

「先輩方、お待たせしてすいません。もう総武線混んでて混んでて遅くなっちゃいました」

 駆け足してきたのであろう。遥が少し息を切らせながらその場に現れた。

「いやいやお疲れぇ。ほら荷物預かるよ。上着もこっちによこしな」

 玲が立ち上がって甲斐甲斐しく世話を焼く。

「遥ちゃん、優しいオレンジジュースでいい?アルコール度数低くて飲みやすそうよ。注文入れておくわね。あ、ポテトもあった方がいいわね。注文しておくわね。ほか欲しいものはない?」

 ゆりも最近は遥任せだったオーダーをテキパキと入れてゆく。

「わわわ、何かありました?なんか落ち着かないんですけど」

「え、何もないわよぉ、仕事熱心な後輩をいたわるのは当然じゃない」

 ふたりはニッコリと微笑むのだった。


「そうだ、先輩方2月28日空いてますか。中山のボックスシート押さえたので行きませんか」

 ようやく落ち着いて、つくねをおいしそうに食べながら遥が尋ねる。

「ちょっと予定があった気がするわ、ちょっと確認するわね。何かあるの?」

「ええ、最初で最後の一大イベントがあるんです、すいません、ちょっと化粧室行ってきます」

 遥は外との寒暖差のせいであろうか、席を立つと足早にトイレに向かう。

「ねぇ、ゆり。ボックスシートとは遥も奮発したね。何かあるの?」

「うーん、まだ二週前だけど柴田善臣騎手がオーシャンS騎乗予定なのかしら?あまりこの時期に出走確定しそうな短距離のお手馬いなかったと思うけども」

「じゃ、あれか。いつものオープンクラスってことはピースワンデュックあたりが出るのかね」

「ありえそうね。芝のオープンだったらあの馬しかいないわよねぇ」

「菊花賞を狙っていた馬がマイルどころかスプリント戦か。折り合いつかないもんな。ついに来るとこまで来たのか。私、現地まで連れていかれたのもあるけどあの菊花賞は一生忘れないわ。悪夢だったよ」

 例は苦虫を嚙み潰したような表情で言う。

 一昨年柴田善臣の菊花賞参戦を受け現地で三人は観戦していたのだ。

 レース内容は・・・ピースワンデュックの独り舞台と申し上げてもよいものであった。スタートから出遅れ、その後も延々と折り合いを欠き常にレース展開を左右したのであった。

まさに主役と言っていい走りだった。

 結果は・・・完走、完走しました。大健闘です。

「私、美容院の予約あるけど変更しておかなきゃ・・・、あ」

 ゆりがハッとする。

「忘れてた。2月最終日は引退騎手の最終騎乗日よ。藤岡騎手と怪我して乗れないけど和田騎手、お二人の引退記事は見かけたけど善臣さんもそうなのね」

「えっ、善臣騎手まだ引退してなかったの?2年位前に引退したろ?乗ってるの見たことないぞ」

「いやいや、去年の秋、ピースワンデュックで準オープン勝って一緒に大儲けしたじゃない」

 30倍近い単勝馬券を遥の要望で、いや命令でしこたま買わされたのだった。

「単勝1倍台、いや元返しでもおかしくない馬ですよ」意地でも1番人気にしますよという命令に5千円ずつ嫌々従ったのだが、あれれ、およよと逃げ切り勝ちを収めたのだった。

「ああ、あの節はお世話になったな。菊花賞の負債全部返してくれたもんな。お陰であの恨み水に流せたよな」

「いや、あんたさっき何言ってたか覚えてる?全然流せてなかったわよ」

「まぁでもついに柴田善臣騎手も引退か。辛いだろうによく笑顔で誘ってきたよな。偉いな、あいつ」

「そうね、還暦手前かしら。遥ちゃんは悲しいだろうけど無事に引退するのも一流馬、一流騎手には必要なことよね」

「引退式もあるんだろうね、まぁ最後まで遥に付き合うか」

 ちょっとしんみりしているところに

「すいません、凄く混んでて遅くなっちゃいました」

 遥がトイレから帰ってきた。

「遥ちゃん、二人とも予定空けておくから一緒に中山競馬場行きましょうね」

 ゆりがにっこり微笑む。

「本当ですか。ありがとうございます。ゆりさんも玲先輩もありがとうございます」

 嬉しそうに遥は答えると元気に焼き鳥を食べ始めた。

「悲しいだろうにそんなそぶりも見せないで・・・。入社したころはあんなに頼りなかった感じだったのにね」とゆりは健気な遥の姿に深く感銘を受けたのであった。

「では2月28日は開門ダッシュしますので朝ごはん抜きで8時29分に船橋法典駅集合でお願いします」

 遥の宣言に「え、早くね?」と玲は思うのだったがなんとなく逆らえずに了承するのだった。


そして迎える2月28日・・・

「先輩方、今日は朝早くからありがとうございます。朝ごはん買いに行きましょう。不肖・小金井遥おごらせていただきます、ダッシュお願いします」

というと遥は駆け出すのであった。

「え?」ふたりも戸惑いながら追いかける。

 4Fボックスシートに行くのかと思ったがいきなりB1の食堂街へ走る展開に戸惑いつつ追いかける。

 ようやくある店の前で立ち止まり列に並ぶ。

「いやぁもう皆さん並んでるんですね、でも全然前の方ですね。ダッシュで来てよかったです」

 そう、そこは闘スポ食堂。

 遥たちの後ろにも列はどんどん続いて、ゆりがフッと振り向いた時にはかれこれ1000人は並んでいるようだ。

「え、いったい何が・・・」

 ゆりと玲はまだ戸惑ったまま列を進んでゆく。

 ようやく店頭までたどり着き等身大の柴田善臣の立て看板を見てすべてをようやく悟った。


「なぁ遥。まさかこのためだけに今日ボックスシート取って早朝出勤させたのかな」

 見えないが・・・こめかみに怒りを表すマークをつけながらニコニコと玲は尋ねる。

「おかしいと思ったのよ、善臣騎手の引退報道がないから・・・。まさかこんな事だったとは・・・」

 ゆりも静かに静かに静かに微笑む。

「はい、間に合ってよかったです、とん汁セット三つお願いします」

 遥も笑って振り返ろうとしたが出来なかった。

 そう、玲にスタンディングのスリーパーを決められたから・・・

「すいません、あと追加で餃子とクラフトビールセットも三つお願いします。支払いはこの子が全部しますんで。あとこのパンかまって奴も三つ追加してください」

 ゆりは遠慮なく注文を追加する。

「や、さすがに予算オーバーです・・・」とスリーパーを決められながらも抵抗を試みるがクレジットカードを持った遥の力なくだらんとしている右手をゆりは掴むとそのままお会計に差し出すのだった。


 その光景を、とん汁を両手に大事に抱え優しげな表情で柴田善臣の立て看板は見守っている。今週も世界は平和です。


 追伸 オーシャンSは柴田善臣騎手はカリボール号に騎乗、10歳馬で15番人気ながら0.4差の10着と大健闘でありました。

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