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象牙の塔で漂うヒトデ  作者: かぎのえみずる
第一章 十八才になるまでの日常
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第八話 美衣の激怒


 白上家だけは綺麗に残っていた。

 下界に降りれば、暴動は収まっていて、皆は諦観している眼差しだった。

 所詮死ねないし、怪我は治るのだと、悲しんでいた。否、悲しむのでさえ峠は越した。

 街は驚くほど、日常へと戻っていて、ただ笑い声が聞こえない世界というだけだ。

 街には綺麗に掃除された痕跡もあるが、多くが痛々しく暴動の名残が見えていた。

 それでも人々は「これからが不老不死が普通なのだ」と言い聞かせるかのように、日常へと戻っていった。

 空は変わらず青くて、雲は優雅に流れていて、太陽は眩しく輝いていて。

 不老不死になって、日常が終わるわけでもない。

 暴動を起こしたところで、命はずっと途絶えない。

 だからこそ受け入れた日常なのだろう。


(もしも、そんな折りに死ねるオレらを見つけたら――)


 ぞわぞわと背筋が凍って、吐き気も寒気もする。何も考えなかったことにしよう。

 白上家の周りだけ綺麗なのは、どうしてなのか判らず、とりあえず光香さんを探した。

 いつも通りに礼儀正しく白上家に入らないと光香さんに怒られそうな気がしたが、そんな場合じゃない。

 白上家に訪れると、光香さんとスーツを着た男がいた。


「龍臣さん、気にしないでいいわ。この男は、お金で雇ってるきちんとした密偵。白上の家に代々尽くしてくれる方です。名前は知らなくていいわ、知ったら駄目よ」

「光香さん、あの話、していい?」

「ええ、あの子も帰ってきてるわ。塔に登るって言って頑として譲らないの。私に逆らうあの子を初めて見ました」


 光香さんはほんのり悲しげな笑みを見せてから、表情を切り替える。

 きりっとした勇ましい表情で、オレへ体を向けた。

 オレは光香さんへ、意思を伝えようと努力する。この人はどんな言葉でも受け止めてくれると信じている。

 受け止めてくれなくても、オレはこの意思を貫こうって思ったから。

 貫きたい言葉を、この人には聞いて欲しいから。


「光香さん、オレね、塔に登らないって決めたけど。でも、美衣には登る体裁でお願いしたいんだ」

「どうして?」

「美衣はオレが登らないって聞いたら、自分だけでも登らなくちゃって張り切るから」

「……そう。龍臣さん、思ったこと言えるようになったのね?」

 オレが塔に登らないと決めた出来事より、オレの成長のが嬉しいと光香さんは笑顔を浮かべた。

 すっきりとした笑顔で、うふふ、と笑う仕草は少し老女にしては色っぽい。

「龍臣さん、判りました。あの子には貴方の意思を隠します。貴方の意思で決めた出来事を、尊重致します」

「有難う御座います」

「それで――美衣さんに会いにきたのかしら?」

「はい。それと、光香さんの話を聞きたくて。ファージスト、セカンド以外に塔を滅ぼす為の存在がいるようなのですが、ご存じでしたか?」

「……そんな事例聞くのは初めてだわ。というより、有り得ない……まさか、刃鐘さんが願ったのかしら。あの方が願ったのなら、可能だわ」

 額を押さえて、光香さんは深呼吸する。

「だとしたら、龍臣さん。これからライバルの塔は増えるのかもしれない」

 深呼吸してから、光香さんは密偵を放っておく。密偵はさっさと何処かへ立ち去っていく。

 光香さんがすたすた歩いて行くので、オレはついていき、光香さんが転ばないように注意を払った。

「美衣さん! いるのなら返事しなさい、美衣さん!」

「はい、何ですか、お婆さま! あっ、テメェ、龍臣!」

「口調が汚い! 何ですか、テメェとは」

「はい!」

 美衣は光香さんに弱いのは相変わらずみたいでほっとした。

 美衣の髪の毛は伸びていて、セミロングくらいになっていた。

 目つきは以前よりやさぐれているが、強い眼差しはそのままだ。

 服は塔に登るためからか、着物をやめていた。

 美衣はライダースーツを著ていて、光香さんは格好にも何か言いたげだったが、流石に着物のままで登れないのだと察してくれたようだ。

 美衣のスタイルの良さがはっきりくっきりと判るが、今、美衣に対して女性らしさや色気などは求めることはできないので誰も得しない。光香さんの怒りしか買わない格好だな、と思った。ただどんな女でも胸ってやつは、大きいと柔らかそうで触ってみたいと美衣相手にさえ思わせる、魔性の存在だと認識した。

「敵情視察?」

「こっちの情報も教える、だから美衣も教えてくれ」

「随分お喋りになったな、いいぜ、教えてやるよ」

「美衣さん……はぁ、まぁ宜しいわ。貴方達にしか話せないこともあるでしょう、龍臣さん例のことはこの子に聞きなさい」

「はい、有難う御座います」

 光香さんの気遣いにオレは深々と頭を下げる――美衣が素のまま話せないだろうと予測してくれたんだろう。

 美衣はほっと胸をなで下ろし、じっとオレへ視線を向ける。

「髪伸びたな」

「一生懸命だったんだよ、アタシが叶えなきゃいけない」

「――忠臣がどうなったか知ってるか?」

「知ってる。だからあいつよりも早く登るんだ、アタシが一番最初に登らないと叶わない」

「ちょっとまった美衣。何でそこまで意固地になっている? 美衣――オレとアンタはいつも同じものを見てきた。同じ価値観だった。だから、オレには簡単にアンタがそんな考えしないって判ってる。アンタの案内人に何を言われたんだ?」

「言えない。千湖が味方であるテメェには特に言えねぇ。なァ、テメェだって千湖から聞いただろ?」

「何を?」

「――まさか、聞いてないのか? じゃあ指輪もない?」

 指輪があるのは隠そうとしたのだが、ばっと咄嗟に隠せなくて、手元を見られてしまう。

 美衣は混乱した目つきで、訝しんできた。

「指輪は持っているのに、千湖が誰か知らないのか?」

「千湖は千湖だよ」

「……龍臣、あのさ知らないんだな、本当に? なら協力してくれ! 千湖と彦が出会うのを!」

「……――それがあの管理人の願いか?」

「いや――彦は、千湖のお腹の子が欲しいって言ってた、命より大事だって。千湖を守って死んだって言ってた」

「流石、伊達男。嘘を吐くのがうまい」

 黒鳩がばさばさと室内にやってきて、人の姿へと変わる。

 美衣は一瞬驚いた表情をしたが、こんな幾度も驚くような事例に出会ったので、驚くのに疲れた様子でもあった。

 リアクションは薄く、オレは黒鳩を紹介する。

「塔のサポートの人、黒鳩って名前だ」

「宜しく美衣様。千湖の過去は己は昔から見てきたから、ようく知っておる。彦は、今で言う……ストーカーと言おうか、気が触れてる、といおうかの……あの男が守り愛したいのは千湖ではなく、千湖の腹の子のみに御座い」

「……は、はぁ!? そんなことねぇよ、彦は千湖をすげぇ愛していたよ! 恋愛下手なアタシでも判る程に!」

 美衣は大きく狼狽えて、咄嗟に助けを求めるようにオレを見やる。

 オレなら同じ視点だからきっと否定してくれるとでも思ったのだろう、オレは彦の存在をあまり詳しく知らないから何も言えないよ、美衣。

 何も言わないオレに、動揺したまま必死で考える美衣。

 ただでさえ饒舌な黒鳩が、よりスラスラと喋りだすのは時間の問題だった。

「恋愛下手だから寧ろ判りやすい嘘で騙されたのではないか? 確かに嘘は申してないかもしれない、けれどあの男が守ろうとしたのは千湖ではなく、千湖の腹の子であるのは間違いない。それ故に千湖はあの男の嘘の恋を知り、苦しんで今も塔で歌わない。千湖の歌は、最高の美であるというのに」

「嘘じゃねぇんだよ、誤解なんだよ!」

 美衣は心底大事な宝物を馬鹿にされたときの怒り方をして、嫌悪を瞳に宿し怒鳴る。

 顔を熟れた苺のように真っ赤にする。照れたときでもこんなに真っ赤にならないのに、よっぽど屈辱だったとみた。

 美衣がそうやって怒るときは人の為だ、自分の大事な人を穢されたときの顔だ。

 昔、美衣の初恋相手が周囲にばれたとき、対象相手が男子にからかわれ――美衣では強くてからかえないから――、美衣が今みたいに真っ赤になり大乱闘になってオレと忠臣で止めた懐かしい思い出が過ぎる。結局その初恋という噂は、根も葉もないものだったわけだが。


 美衣はその後、ここまで真っ赤にはならなかった。

 美衣は極限まで怒ると泣く癖がある。目の端に涙が溜まるんだ。特に口喧嘩のときは、言い返せず、真っ赤にぷるぷると震えて泣く。

 黒鳩相手では――嗚呼、やっぱりぷるぷると震えている。

「――誤解であろうと、千湖が傷ついてしまったのも、あの男が嘘をついたと捉えたのも事実。ならば、千湖にとってはあの男の恋は嘘であろう? 腹の子が欲しいが為に始まった恋なのじゃから」

「むかついた、テメェもこいつの馬鹿話を信じるのか!?」

「美衣にとって彦が味方なら、オレには黒鳩が味方だよ。でも、美衣――」

「もういい、知るか、テメェなんか! 少しは! 少しはアタシと同じ気持ちだろうって、思ったから、アンタなら信じてくれると思ったのに。テメェは昔からそうだ、アタシと同じ物を見てる筈なのに、忠臣の背中より前に出ようとしねぇ。同じ物を見てるンだって、安心感をテメェから与えたりしてくれねぇんだ、アタシが確認するまで。テメェは、いつまでもアタシよりも忠臣よりも、三歩下がって歩いていればいい!」

「美衣、落ち着いて聞け……!」

「うるっせぇ、テメェは塔の中で隠れて、世の中がアタシの手で平和になるのを待てば良い! へっぴり腰の龍臣が好きだったよ、でももうそんな時間は許されねぇ、今はもう敵だ! あばよ、恋の字すらも知らない馬鹿野郎め! 恋を知らないから、そんなアホウドリの言葉に耳を貸すんだ!」

 美衣は休憩しながら食料などを集めたと思われるぱんぱんに膨らんだリュックを背負い、美衣が塔へ帰るために指輪に触れた。

 指輪にはサファイアが嵌められていた。


 美衣が悔しげに泣く直前、オレの胸ぐらを掴んで噛みつくようにキスをした、オレが茫然としていると美衣は消えていた。




 場に残されたオレは、へなへなとその場に座り込んだ。



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