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Ⅵ:大宴会のご馳走


 厨房の奥でガイウスと百人隊長、執事のクセノスと奴隷達に、さらに細かく次なる作戦のこれからの指示を与えてから、私は食堂へ向かった。


 食堂の入り口から、私はすっかり気落ちしたふうに肩を落としながら、苦悩の表情もあらわに食堂へ入っていった。


「待たせてすまない。手紙の方はいま秘書に清書させているところだ。金を借りられそうな親戚を考えてみたが、これからローマへ連絡するとなると、やはり最低でも一月はかかりそうだ」


 食堂の一番いい寝椅子の席、つまりふだんなら主たる私が座る上等な寝椅子に、手紙を持ってきた赤毛の小男ティオが腰掛けていた。


 座りなれない高価な寝椅子に居心地が悪そうだ。私の指示を受けた奴隷に見張られながら、やはり私の指示で出された濃いめの甘いロドスワインのコップを片手に、呆然と食卓を眺めている。


「ああ、きみ、ティオどの! この光景を見てどう思ったかね。ローマからはるばる訪れてくれる我が友のために、私はこのように大宴会の準備をしていたのだよ」


 まずはパンだ。

 八つに切れ目を入れてある普通のパンを五〇個用意してあった。値段は中級品で、これには我が家の奴隷の食い扶持(ぶち)まで入っているが、このさいだ。これだけ大量にあれば、良い具合にかさばってしょうがないからな。


 それに蜂蜜入りの白いパンを大籠にいっぱい。香ばしくも甘い焼きたての匂いが漂っている。これはガイウス達が訪れたので、私が我が家の料理人に指示して朝から作らせていたものだ。

  ティオは生唾を呑み込んでいる。

 私はつやつやしたパンを一つ手に取り、渡してやった。


「焼きたてだよ。最高の蜂蜜をたっぷり使ってある。さあ、食べてくれ」


 腹が減っていたのだろう、ティオはパンをパクパクと平らげた。はあ、と溜息を吐いている。さぞかし美味かったに違いない。その感動を見計らってから、私はもう一つパンを渡してやり、彼が食べている顔を真剣な目で見つめた。


「きみにぜひとも頼みがある。この料理の数々を、囚われの身である我が友に届けてくれないだろうか?」

「はあ、なんだって!? あんた、正気か?」


 二つ目のパンを平らげたティオは、ワインのコップを落としかけるほど驚いている。


「もちろんだとも! 運ぶための荷馬車もこちらで用意するし、運ぶのは奴隷に手伝わせるよ。お願いだから、私の頼みを聞いてくれたまえ。さすがにあれだけの大金を用意するには時間がかかってしまうんだ。その間、我が盟友はどうなると思う? 大切に扱われるという保証は無いんだ。さあ、いっしょに来てくれたまえ」


私が正気なのだろうかと疑いの目を向けるティオを連れ、玄関へ向かう。

 そこには私の指示で、すでに御者が荷馬車を回していた。


 ほどなく私たちが出てきた食堂から、奴隷が(ふた)付きの(かご)を持ってつぎつぎと出てくる。その籠を荷馬車へ積み込んでいく。


「おお、そうだ。それからあれとあれも、そうだ、あれも籠に詰めさせよう」

「お、おい、あんた何をブツブツ言ってんだ!?」


 そうだ、ブタの(もも)一本分の大きな生ハム料理も持たせよう。すでに薄切りにされ、切ったメロンの大皿に盛り付けられている。時間が経てば経つほど、風味も鮮度も落ちるばかりだ。


 さすがにガラスの大皿ではあぶなくて荷馬車へ積めないので、藁で編んだ敷物をたくさん使い、我が家で一番大きな弁当用の大籠へ詰めた。


 それに宴会用のプラセンタ(チーズケーキ)だ! 

 早朝からかまどでじっくり焼いていたのが、ちょうどできあがっていた。一人では絶対に持ち運べない形状も重さも、今回の土産として持たせるには絶好のごちそうだ。


 私はまだ温みの残る特大のプラセンタを、直径が三ペース半(約一メートル)の特製木皿に載せ、奴隷二人がかりでもったいぶって運ばせた。


 プラセンタが通り抜けた後には、香ばしいチーズとはちみつの甘い香りがただよった。

 一二、三歳の子どもと同じくらいの重さがある巨大なプラセンタを、赤毛の小男にたっぷり見せつけてから、荷馬車の真ん中へ堂々と置くよう、指示した。その上から大きなリネンの四角いナフキンをかぶせ、編み籠製の蓋をしておく。これで少しくらい揺れてもだいじょうぶだ。


 ティオは目をまん丸に見開き、移動していくプラセンタを食い入るような視線で追っていた。

 さもありなん、貧しい生活をしている庶民の彼には、生まれて初めて目にした最大にして最高に高価な、すばらしく良い匂いのプラセンタである。


 とびっきり新鮮なチーズと蜂蜜をたっぷり使ったプラセンタなど、海賊の手下をやっているティオは見たことはおろか、聞いたことさえ無かったに違いない。

 これだけ見せつけておけば、荷馬車が揺れすぎないよう、速度に気をつけて走らせることを忘れまい。

 少なくとも、自分が食べる前に料理が損なわれるようなことはけっしてしないだろう。





「すまないが、これらは必ず今夜中に、我が友の口へ入るように届けてくれたまえ。特に蜂蜜を混ぜたチーズは傷むのが早い。明日腐ってしまったら特製のチーズと蜂蜜だけで三〇デナリウスの損になる」

「あれが30デナリウス!?」


 ティオがサッと顔色を変えた。たかが一夜の宴会に飾るケーキ一つにものすごい大金を掛けるローマ貴族の信念は、とうてい理解できないのだろう。


「おおそうだ、ルガネガも忘れてはいけない。普通のソーセージに燻製のソーセージもだ。悪いが、これらもすでに料理してしまったので、もはや日持ちがしないんだ。持ち帰ったら、すぐに我が友に与えて欲しい。もちろん、君たちも皆で食べてくれたまえ。これだけあれば君もじゅうぶん食べられるだろう。なに、それで我が友の苦難が少しでも軽くなるなら、安いものだ」

「へい、承知しやした!」


 何度も生唾を飲み込んでいたティオはシャキッと背筋を伸ばし、ハキハキした返事をした。


 私のことをすっかり大金持ちで恐ろしく気前の良いローマ貴族、それも海賊のような荒仕事からはほど遠い世間知らずの若造だと信じ込んでくれたようだ。


 私はもっと荷馬車に積める傷みやすい食べ物はないかと、台所へ行って食料置き場を見回した。


 昨日、客人が来ることを考慮し、我が家の食い扶持も込みの計算でイチジク一二ダースを購入したっけ。

 私はこの別邸の備蓄用に干しイチジクにするための半分を残し、あとは運ばせた。


 これは一人ではとても持てない量だから、奴隷二人がかりで丁寧に荷馬車へ運ばせた。


 つぶれやすいブドウも一籠。これも熟し切っているから早く食べないと傷んでしまう。


 さてさて、ほかには?


 こっちの(なし)を一山。と思ったら、さきに執事が熟れきった赤いスモモを籠ごと食料庫から運び出していた。このスモモも足が速い。暖かい場所に一晩放置すれば、たちまち傷んで柔らかくなる。


 サラダの大鉢には、若いブドウの酢で作ったドレッシングをかけたレタスとキャベツとバジル、真っ赤な二十日大根を飾ったサラダ。

 これこそ夜更けまでに食べてしまわなければ、野菜はグチャグチャ、明日の朝にはとうてい食べられないものに成り果ててしまうだろう。


 エンドウ豆はさやから()かれてゆでられていた。ひよこ豆とレンズ豆はさきに煮込まれてスープになっていたが、頑丈な(かめ)に入れ、これも荷馬車に積ませることにした。


 とっておきのロドスワインは、(アンフォラ)から我が家の宴会用の、大きな混酒器(クラテル)三つに移し替えてあった。奴隷が二人がかりで運ぶほど大きな混酒器である。

 すでに蜂蜜で甘みをつけ、たっぷり泉の水を混ぜてしまった。こちらは三個小隊にも振る舞うつもりだったから、しかたない。時間が経つとワインの風味は悪くなるばかりだ。


「もう蜂蜜と水を混ぜてしまったから、今夜中に飲まないと酸っぱくなって飲めなくなってしまうだろう」


 嘆く私へ、ティオは真剣な顔で何度もうなずいた。


「おまかせください、旦那。おれがかならずお友達に届けまさあ!」


 荷馬車の荷台は、そろそろ隙間が無くなっていたので、私はこれ以上積めるものを探すのは、諦めた。食堂に残された分は我々で片付けるとしよう。


「きみ、ティオくん、なにとぞ頼んだよ。これらの料理はすべて親友の大好物なんだ。もちろん君たちも食べてくれてかまわない。だが、わが盟友も必ずご相伴にあずかれるように、お願いだからきみが取り計らってくれたまえ。きみを信用するからね。我が友が無事に助かったら、こっそりここへ来てほしい。私から特別にお礼をしようと思うからね」


 これは私から君への個人的なお礼と、依頼料だ。と、私はティオの左手に、新しいセスティルティウス銀貨二枚をそっと握らせた。

 ティオはピカピカの銀貨を見て、左手をギュッと拳に握った。


「お情けぶかい旦那に感謝しやす。これらの土産はかならずや、御親友のところへお届けしますとも!」

「うん、くれぐれも頼んだよ。あいつは白い小麦のパンしか食べられないんだよ。ああ、かわいそうに、サピエンヌスはきっと今頃、餓えて死にそうになっているに違いない。なにしろ僕と同じで生粋のローマ育ちの貴族の箱入り子息だからね。ローマの料理が食べられないなんて、どれほど辛い思いをしているだろう。一刻も早く金を用意して届けに行くと、しかと伝えてくれたまえ」


「心お優しい旦那に、神々の祝福がありますように!」


 男は御者台へ上ると、手綱をひとふり、荷馬車はゆっくり走り出した。

 私は心配げな表情のまま、大切な家人を見送るがごとく、小さく遠ざかる荷馬車が見えなくなるまで、静かに手を振っていた。


 街道の外側を、騎影が三騎、走り抜けた。西側に二騎、東側に一騎、荷馬車から一定の距離をとりつつも見失わないよう、後を付けていく。ガイウスの部下たちだ。


 街に近い街道沿いには墓や(びょう)がたくさんあり、隠れながら移動するには好都合だ。

 室内へ戻ると、食器や使わなかった弁当籠が散らかった食堂で、ガイウスが腹を抱えて笑っていた。


「だーれが、生粋のローマ育ちの箱入り息子だって? 白いパンしか食べられないって、どこの誰のことだよ」

「そうでもいわないと、あれを運ばせる理由にならないだろう」

「あー、おかしい! こいつとあいつが箱入りのボンボンだなんて、誰が信じるってんだ。どこのへぼ役者かとおもったぜ」

「君には笑われたくないぞ」

「へえへえ、そうかよ。どうせ君も行く気なんだろ?」


 待つことおよそ半時後、ガイウスの部下が戻ってきた。斥候隊の連絡係、第一便だ。


「予想通りだ。あの赤毛野郎は、慎重に荷馬車を進めて、街の郊外にある古い館へはいっていったとさ」

「そこが海賊のアジトってワケか」


 奴隷が大急ぎで警備隊署の百人隊長を呼んできた。ガイウスの後任の警備隊だ。百人隊長は、やはりスキュタロス人の海賊が近海をウロついているのは周知しているが、被害者からの訴えも無く、逮捕できるだけの証拠が無いと言う。


 それにスキュタロスの代官は海賊から賄賂をもらっている。自分の直轄地の市民に被害が出ないかぎり、誘拐行為を黙認するという暗黙の約束をしているのだという。


「そいつの首を切ってやりたいが」


 私がつぶやくと、ガイウスがうなずいた。


「裏で海賊と繋がっているという、確固とした証拠が必要だ」

「そうだな。サピエンヌスを取り戻しても、黒幕が代官だなんて知らないだろうしな」


私は執事を呼んだ。


「クセノス、手紙を書いてくれ」

「はい、ぼっちゃま。して、どのような?」

「実家の父へ。我が友が海賊に囚われて身代金が必要だと。サピエンヌスの実家へ五〇タレント、およそ七五万デナリウスをかき集めるように頼む手紙だ」

「承知いたしました」


「今夜中に書簡を用意してくれ。もし明日の正午までに私が戻らず伝令も無く、次の指示を出さなければ、その手紙を早飛脚でローマへ送って欲しい」


「しかし、サピエンヌスさまは、今夜中に奪還されるご予定ではありませんでしたか?」

「もちろん、救出作戦はこれから決行するさ。だが、万が一の保険は必要だし、協力者に支払う金も必要だからな。そこはうまく文章を考えてくれ」


 私はクセノスの肩を軽く叩くと、クセノスは、めったに見ない渋い顔になり、私とガイウスの微笑をさそった。


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