その17 シード値の不思議
都市伝説ってマインクラフトにもあるけどにわかには信じられないですね。
マインクラフトをプレイしているとシード値に特定の数字を入れると何やら不気味な事が起きるみたいなものをYou Tubeにて観た。
うーん、マインクラフトのシード値ってのは結構色々起きるのだろうか?
筆者はとりあえず、数秘術みたいなものは半分は迷信で、半分はまじないとして認識はしている所はある。
昔の人々は数字にも何らかの意味はある、という考え方もあるし、いわゆる悪魔崇拝の数字でワールドの生成をする外国人の多いこと、多いこと。まあ、何が起きるか『観てはいけないものを観てみたい』は昔から伝わる逸話でもある。
ちょっと今回の話はオカルト話みたいな内容になるが、なかなか興味深いものでもあるので深夜の0時を越えて観ている物好きが筆者。
正直、実生活に響かないならブラックジョークで終わる話かなぁという認識かな。今の所はね。
マインクラフトはのんびり建築をしたり、採取をしたりするだけのゲームでもなくて、宵も更けると平和ボケしているプレイヤーにゾンビやスケルトンが○しにかかるゲームでもある。
それぞれの都市伝説はどこか誇張があると考えるが、あながち理屈だけでは片付かない事もあるとも言える。実際、人間達は昔から目に見えない物事に対するある意味の畏怖の念は持ち合わせているし、筆者は一神教の教徒ではないが、人を罵倒した日は懺悔したい気持ちになるし。
マインクラフトの世界にはおよそ1兆以上のパターンの世界が生成されるという。プレイヤーの分だけ世界があると筆者は解釈するが、それだけのパターンがあれば自ずと『あり得ない世界』も生成されるのだろうと考えている。
それは奇跡でもあるし、ある意味の不幸でもあるし、どちらを取るかでそれぞれの人の解釈は違う。でもそれで良いんじゃないだろうか? 世の中すべて自分自身と同じ解釈の人間ばかりと言うのはいささか怖い。
特に筆者はややもすれば過激論者でもあるし、皆で仲良く生活しましょうなどと戯けた考えと思っているし、だから他所の人間には過度に干渉はしないようにしている。筆者は干渉されるのが極度に嫌なのである。
お節介は自らの身を滅ぼしかねない。
全く、嫌な世の中になったと思うよ。
どんどん人間らしさが失われていく──。
自ら干渉しない方がいいなんて、とんだ身の守り方だと感じる。そうしなければ悪意の人間に自らを滅ぼされるから、下手すると身内の親にすら信じられる気持ちもない。
多分、筆者は猜疑心に支配されているのだろうな──人を素直に信じる事が恐ろしい。常に疑わしい気持ちを抱くのは不健康ではあるが、地雷を踏んで痛い目を見るのは自分自身だ。
人を信じられないなんて、世界もいよいよ世紀末だなぁ──このままならいつ最終戦争が起きてもおかしくない世の中だよ。核ミサイルが飛んでこないだけでも恵まれているのかね。
筆者は人間という生き物に対しては、呆れてもいるし、そろそろ限界も近いんじゃないのか? と穿った見方をしている。創作物に関しては、それでも限界は感じてはいない。感じてはいないがアイデアが尽きて来ているなぁと考え込む時期でもある。
人間は同じ事を2年、3年としていると飽きがくるのは実感としてある。
だからこそ刺激を求めるか、安らぎを求めるか、はたまたリセットを求めるのか──。
とりあえず、今の筆者にはアイデアが一向に降りてくる気配が無いのは個人的に危機であると痛感しているかも知れない──。




