第四幕 2
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帝国の追手は翌日現れた。
朝起きると、時間と場所を指定した封書が、部屋に投げ込まれていたのだ。
ギメルにシュアナの護衛を頼むと、今日は屋台を閉じて、ギメルの家でシュアナをかくまってくれる、とのことだった。
僕はシュアナをギメルの家まで送った後、時間通りに集合場所へ向かった。
時間はランチタイム。場所はなかなか入る機会のない、高級レストランだった。
レストランの中に入ると、給仕さんに席を案内された。しかも個室。二人用のテーブルに白い小洒落たテーブルクロスが掛けられ、グラスとナイフとフォークがセットされている。当たり前だけれど、なかなか本格的だ。正直、ちょっと浮いた感じがする。
帝国の使者はもうすぐに席に着いており、僕に座るように勧めた。僕はうなずいて椅子に腰かける。
「もうコース料理を注文してあるわ。メーンは海鮮でよかったかしら」
「はい。わざわざ帝都からありがとうございます。シュリィさん」
やってきたのはシュリィさんだった。今日は看護師姿ではなく、黒の軍装姿。下士官を表す、銀色の刺繍が襟に付いていた。これが、本来の、彼女の姿。
シュリィさんの表情は普段通りで、陽気そうだった。
「遅くなって申し訳なかったわね。待ちくたびれたでしょう?」
「いえ。お忙しいんでしょう?」
「まあね。ラーシュ技官が暗殺されたわ。あなたも面識があったらしいわね」
「それはそれは残念です。ザインでしょうか?」
「いいえ。ザインの殺り口ではないと聞いているわ。なんでも身体を四等分にぶった切られていたとか」
十文字斬り……。それはラメドさんの殺り方だ。あの人、相変わらず大胆なことをする。
そうですか、と僕は適当なあいづちを返しておいた。
「まあ、私からしてみれば、ラーシュ技官は何やってんのか分からないくせに、ダーレト指令に気に入られている、胡散臭い奴だったけれどね!アイツ戦闘もロクにしないくせに、指令の側近ぶっちゃってさ……」
どうやら近衛師団も一枚岩ではないらしい。まあ、軍とは言え、仕事なんだから色々と面倒があるんだろうな。なんだかシュリィさんのグチを聞いているのも、面白いような気がする、なんて考えていると、早速料理が運ばれてきた。
魚やエビを、オリーブオイルをふんだんに使って焼き上げたローストだった。
「で、遠路はるばる、僕に何の用です?シュリィさん」
「ま、シュアナちゃんの件に相場は決まっているでしょう?で、そちらの意思から聞かせてくれるかしら?」
僕ははっきり言ってテーブルマナーなんて微塵も知らなかったが、シュリィさんを見よう見まねで、なんとか海鮮と格闘する。
「直ぐにいい返事が返ってくるとでも?もう少し話を聞かせてください」
「だろうねえ。だから、説得に来た、と言えばいいのかしら?ダーレト指令も、この件は穏便に済ますことを望んでいるわ」
それはダーレトにとって、重要度が低いからなのか、それとも最重要だからなのか。
「教えてください。なぜ皇帝近衛師団内務部門司令官のダーレト将軍がシュアナを欲しているのですか?」
「……あんまり気乗りしないけれど、秘密にしておけと言われているわけでもないのよね……。いいわ、教えてあげる。シュアナちゃんを欲しているのは皇帝陛下よ」
「皇帝が……」
「そう。これは皇帝陛下直々の計画の一環なの。だから私たちとしても、失敗する訳にはいかないのよ……」
「色々大変なんですね……。皇帝が一体何の計画を?」
「私もそこまで詳しくはないけれど、帝国の軍事力強化計画ということらしいわ。なんでも、今の兵力では、ヴァチカン教会連合には勝てないと危惧しているんだそうだわ……」
「軍事力とシュアナが一体何の関係が?彼女は軍人ではありませんよ?」
「……まあね。でもシュアナちゃんだけじゃないのよ。皇帝陛下の計画はもっと大規模に進められているわ。五年前からね。」
そこまで聞いて、僕の身体にまた電撃が走った。
思わず料理をつつく手を止める。
「五年前?それは、レミちゃんと関係がありますね……?」
僕の言葉に、シュリィさんは一瞬怯んだ。だが、すぐにいつもの陽気な顔に戻って言う。
「レミちゃんのことを調べたのね?まあ、確かにレミちゃんは私たちの一員になるはずだったけれど、この件とは関係ないわ……」
……嘘をついている。間違いない。
「レミちゃんの猫耳と関係あるんじゃないですか?」
「いいえ、あれはただの変装よ?」
……嘘をついている。でもいったい、だったらあの猫耳はなんだって言うんだ?
「ケルトの古魔術……、ですよね?妖精の戯れ……、レミちゃんはそう言っていました」
たまらずシュリィさんが顔をしかめる。
「言ったでしょう。私はあまり詳しく知っている訳じゃないの」
「でも納得できませんよ?いったい今までの話と、シュアナの何が関係あるって言うんですか?」
「まあ、帝国の安定と存続のために協力すると思ってさあ……」
今度は逆に、ひょうきんで愛嬌のある口調で言うシュリィさん。
「僕が帝国の安定と存続に興味あるとでも思っているんですか?」
しかし、僕の言葉に、口調も鋭いものへと変わる。
「興味なくてもするものなのよ、帝国に暮らす以上は。大体あなたこそシュアナちゃんと何の関係も無いでしょう?」
「それは心外ですね」
「あなたの心こそ私には何の関係も無いわ」
もう、情報は引き出せない、か……。
そろそろ潮時、ということか。
「平行線ですね」
「いいえ。元々あなたには選択肢はないの。帝国に協力しないなら、あなたは死ぬべき人間でしかないの。あなた、自分の身分が分かっているのかしら?」
シュリィさんも脅しにかかって来た。
これではもう仕方あるまい。
「僕を殺そうって言うんですか?」
「ええ、協力しないなら造作もなく殺すわ」
「……メムの時みたいに、ですか?」
「あら、妹さんが殺されて怒っているのかしら?」
「ええ、怒っています。でも今は全然別件です。僕はシュアナを守ると約束したんです。シュアナが僕を選んでくれている以上、彼女を帝国に渡すつもりはありません」
「笑わせないでくれるかしら?あなたがシュアナちゃんを拉致しているのでしょう?」
「……言葉遊びは止してください」
「あら、お互いさまじゃなくて?」
「…………」
「いい?こちらとしても、あなたには敵に回って欲しくはないの。自分の立場を守るためだと思って、よく考えて頂戴」
「帝国に飼われた僕の立場なんて、守るような物じゃない。僕が守るべきものは他にある。黙ってシュアナから手を引け。自分の脚で引き返さないなら、僕がお前を殺すぞ」
「あら?昼夜堂々、軍人である私と戦おうって言うの?」
何を言っている?
――シュリィさん。あなたは何も解っていないようですね。
「お前と戦ってなどやるものか。違う、お前が勝手に死ぬんだ」
「はあ?」
僕と会話するということが、僕と言葉を交えるということが、どういうことなのか、シュリィさんはまったく理解していない。僕の能力を、僕の言葉の力を、侮っているにも程がある。まあいずれにしてもすぐに解る。解った時には死んでいるのだけれど。
「シュリィさん、お前は死んだ方がいい」
「寝言を言い始めたのかしら?あんまり私をからかわないでくれるかしら?」
「お前は死ぬべき人間だ。お前に生きている価値は無い」
「……いい加減に――!」
「お前は無価値だ。誰もがお前の死を望んでいる。嫌悪、憎悪、誰もがお前に抱いている。汚らしい人間。気違いめ。誰もがお前を後ろ指さしていたのが気づかないのか?疎ましい。鬱陶しい。嫌気がする。不快だ。存在が罪悪。存在が不愉快。眼前に座っていると考えると鳥肌が立つ。唾棄すべき人間だ。此処に居るべきじゃ無い。存在を止めるべきだ。現前するべきじゃない。お前の呼吸が忌まわしい。お前が視界に入るとうんざりする。ああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ厭だ厭だ厭だ厭だ。頼むから呼吸を止めて欲しい。空気が汚濁に塗れてしまう。僕の眼が腐る。腐臭がする。お前の臭気が堪らない。僕の鼻まで腐敗しそうだ。ああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ厭だ厭だ厭だ厭だ。頼むから死んでくれ。汚い汚い汚い汚い汚い醜い醜い醜い醜い醜い臭い臭い臭い臭い臭い。なんて醜悪なんだ。お前は死んだ方がいい。お前は死ぬべき人間だ。お前に生きている価値は無いお前は無価値だ。誰もがお前の死を望んでいる。嫌悪、憎悪、誰もがお前に抱いている。汚らしい人間。気違いめ。誰もがお前を後ろ指さしていたのが気づかないのか?疎ましい。鬱陶しい。嫌気がする。不快だ。存在が罪悪。存在が不愉快。眼前に座っていると考えると鳥肌が立つ。唾棄すべき人間だ。此処に居るべきじゃ無い。存在を止めるべきだ。現前するべきじゃない。お前の呼吸が忌まわしい。お前が視界に入るとうんざりする。ああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ厭だ厭だ厭だ厭だ。頼むから呼吸を止めて欲しい。空気が汚濁に塗れてしまう。僕の眼が腐る。腐臭がする。お前の臭気が堪らない。僕の鼻まで腐敗しそうだ。ああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ厭だ厭だ厭だ厭だ。頼むから死んでくれ。汚い汚い汚い汚い汚い醜い醜い醜い醜い醜い臭い臭い臭い臭い臭い。なんて醜悪なんだ」
「…………!」
「だから――、お前は――、いまここで――死ななければ――、ならない――」
僕が言い終わると、シュリィさんは生気を失った人形のようになっていた。
焦点を欠いた視線が宙を彷徨っている。
そして、シュリィさんは、おもむろに手元の食器ナイフをつかみ。
それを。
自分の喉元に、突き刺した。
人間の急所にしては細すぎる器官に空いた小さな穴から、血があふれ出す。
ドロドロと。
白いテーブルクロスが鮮血で赤く染まる。
「があ……はぁ……あ……」
シュリィさんの歪んだ口から、苦痛の声と共に、くぱあっと、血が吐き出される。
ボタボタと粘り気のある液体が、床にこぼれ落ちる。
「あ……あ……」
彼女の体躯は張りつめたように力んで、小刻みに震えていたが、しかし直ぐに、緊張が抜けたようにだらしなく投げ出された。
ゴトリ……、と彼女の座っていた椅子から、重い物体が寄り掛かるような音が鳴った。
後は静寂。
彼女の虚ろな目は、虚空を見つめたまま、動かなくなっていた。
シュリィさんは、僕の嘘を信じた。心から信じた嘘で、脳は支配される。
だから、勝手に自殺した。それだけの話。
あんな罵詈雑言の羅列がすべて真実になり、思考を埋め尽くすのならば、それは想像を絶する苦痛だ。僕だってその場で死にたくなる。
――耳を塞いで、眼を閉じれば守られたかも、しれないけれどね。
ふと、違和感を感じ、自分の頬をそっと触れた。
僕の顔にまで、多少返り血が降りかかっていたようだ。
浴びた血をふき取ると、席を立ち、個室から出た。
レストランは何事もなかったかのように営業中だ。
僕は誰も気づかない内に、そっと店を後にした。
ギメルの家に向かわなけば。
僕は急いで、ギメルの家の門に走って行った。
そして。
そこには、ダーレトが立っていた。




