第三幕 7
7
昨晩は結局、宿の大広間で寝転がって眠った。
シュリィさんが、軍病院に泊まってもいいのよ、と言ってくれたが、僕にはどうしても、シュアナの近くにいるのが辛く感じられた。そんな資格があるとは、僕には思えなかったのだ。
大広間で目覚め、建物を出て、昨日シュアナと話した、庭のスペースに座り込む。
朝日を浴びた庭の草木は、昨日とはまた違った、健やかな印象を僕に与える。しかし草木の表情を眺めている余裕など、今の僕には無い。
昨夜は例のごとく、現実感があまりなかったが、夜が明けて、頭が整理されていく。同時に、直視に堪えない現実が、僕に重く圧し掛かってきた。
レミが死んだ。
ミコチが死んだ。
シュアナが重傷を負った。
レミが死ぬべきじゃ無かった。
ミコチが死ぬべきじゃ無かった。
シュアナが傷つくべきじゃ無かった。
死ぬべきだったのは僕、ただ一人だけじゃなかったのか。なのに。
それでも、当事者である、僕たち兄妹は今こうしてのうのうと生きている。
僕の仲間を傷つけ、殺したのは僕の妹。
妹が僕を狙ったのは兄を守るため、僕の裏切りを危惧してのこと。
僕の裏切りが疑われたのは、僕がダーレトの誘いにのこのこ乗ったから……。
最悪じゃないか。僕が帝都までわざわざ出て来て、やったことと言えば、僕の周囲の人たちをめちゃくちゃにしたことくらいじゃないか。
それに僕は、僕の仲間に、僕と兄弟のことをちゃんと話してもいないじゃないか。なんてことだ。彼女たちは、僕の素性も話されないまま巻き込まれたって言うのか。
革命以外の生き方なんてとんでもない。結局、みんなを暴力の渦に巻き込んでいたのは僕じゃないか。
だったらいっそのこと、僕が、僕だけが傷つき、死ねばよかったのに。僕は仲間を守ることも出来ず、だからと言って、おとなしく殺されようともせず、妹に傷をつけたうえで生き残ってしまった。
シュリィさんはああ言ったけれど、僕には、僕自身の生還が全然嬉しくない。今、僕がこうして居ることを、嬉しいと思える気持ちは皆無だ。
ふと眩い陽光が、瞼をチクチクと突くように照らした。
朝日……。眩しい。
そう言えば、朝目覚める度に煩悶しなくなって久しい。
アテナイに居た頃は、起きていても寝ていても同じような毎日で、毎朝のように自分探しの厭世詩人になっていたっけ。
それに、夢も見なくなった。あの夢。
一年前の出来後を繰り返し繰り返し見続けてきた……、あの夢。
旅に出てからというもの、毎朝のように煩わしい思いをしていたアテナイでの日々が嘘のようになっていた。あの頃とは、やっぱり違う。
「レミ……、ミコチ……」
僕は一人つぶやいて立ち上がる。
歩き出す。このままシュアナの許に行かなければ、それはあまりにも薄情ってものだろう。シュアナと対面するのは心配、と言うよりも恐怖ですらあったが、向かい合わない訳にもいくまい。思考に沈んでばかりもいられない。まずは、行動しなければ。
僕は簡単に身支度を整え、ダーレトに用意された帝国要人専用の宿を後にし、軍病院から歩いてしばらくの場所に、新たに宿を取った。シュアナはしばらく入院することになるだろうから、病院の近くに宿を取っておくことにしたのだ。西岸の一等地の宿は、値段が高いわりに、先の宿とは部屋が見劣りするけれど、文句は言うまい。
時間はもう既に正午になろうかという時だった。新たな宿の部屋に荷物を置いて、軍病院へと向かう。病院に到着すると、シュリィさんが出迎えてくれた。シュリィさんに連れられて、シュアナの病室へと向かう。病院の廊下を歩きながら、シュリィさんがシュアナの容態を説明してくれた。
「徹夜で回復魔法の集中治療が行われたわ。半分くらい傷が塞がった、といったところかしら。いったん時間をおいて、今日の午後からもう一度集中治療を受けることになっているの。今日中には傷は塞がるでしょう……」
「そうですか……。シュアナの意識は?」
「まだ気を失っているままだわ……。正直、シュアナちゃんの傷の回復は驚くほど速いのだけれど……、意識が戻らないのよね。外傷の推移だけなら、数日間リハビリをすれば動けるようになるくらい、まったく、大した体力なのだけれど、目覚めないんじゃあねえ……」
「……状況は良く無い、ってことですか……」
「……まあ、意識が戻りさえすれば、すぐに退院できるわ。」
「はい……」
シュリィさんは、ほら着いたわ、と一室の前で立ち止まった。
「ここよ。私は他の仕事があるからもう行くわね。」
言いながら、僕の背中をバシッと叩く。
「ほら、しっかりしなさい!シュアナちゃんが目覚めたときに、辛気臭い顔を見せるんじゃないわよ?」
そして、じゃね、と言いながら、シュリィさんは踵を返して、手をひらひらさせながら去っていった。まったく、シュリィさんには励まされてばかりだ。
僕は少し間を置いてから、シュアナの病室の扉を開け、中へと入った。個室へ踏み入ると、すぐにベッドが目に入ってくる。同時、まるで置物であるかのように横たわる、シュアナの姿も。まるで、部屋の調度品であるかのように、部屋を飾っているかのように、治療中であるにも関わらず、シュアナは美しい顔をして眠っていた。
僕は歩みを進めて、ベッドの脇に立ち、シュアナを見下ろした。再び現実感に襲われる。目の前の光景によって、取り返しのつかないことになったという思いが僕の思考を支配する。重い。僕ごときの人間が背負うにはあまりにも重い。
僕は自然両ひざを折り、床に跪く。上半身をだらしなくベッドに投げ出し、頭を抱え、顔を伏せる。懺悔するかのように。
――僕のせいだ……。
やっぱり、僕のせいなのだ。
最初から最後まで、疑いなく、僕の行いこそが、今の事態を招いた。
――正義を成す者は責任を負う者のみだ……。
どこからか、ダーレトの言葉が思い出される。
僕は、無責任だ。どこまで無責任だったと言うのか。
「シュアナ……、シュアナ……」
自然、名を呼ぶ声が漏れる。
「…………」
しかし後は無言の時間が続いた。
僕はシュアナにかけるべき言葉なんて持っていない。
いつもそうだ。僕は他人に寄り添う言葉を最初から持っていないのだ。
他人の不幸、悲しみ、苦痛。
僕はいつだって、言葉もなく立ち尽くすばかりだった。
そう。今も同じ。
成す術もなく、他人の思惑に流されてばかり。
――メムを、許してやってくれ――。
自然と、ザインの言葉が思い出された。
僕は、メムを許せるのか?
僕は、メムを許さなければならないのか?メムを許しても良いのか?
そもそも僕は、メムをそれ程に怨んでいるだろうか?メムに対して、憎しみの感情を僕は抱いている?
メムは正真正銘、僕の妹だ。ずっと一緒に暮らしてきた。一緒に育ち、一緒に戦った、僕の家族だ。シュアナとレミは言わずもがな、ミコチよりもずっと長い時間を過ごした。
だったら、僕はメムにこそ味方すべきなのか?レミとミコチとシュアナよりも?
それじゃあ、あんまりにも彼女たちが報われないってものじゃないか?
レミとミコチは、メムを怨んで死んだだろうか?シュアナは?
許すってなんだ?
僕にはもともと、メムをもう一度追いかけて、復讐するつもりはあっただろうか?
許すっていうのは、復讐をしないこと?
だったら、何もしないのが許すってこと?
僕は一体、どうすればいいって言うんだ……?
刹那。
「…………イン君?……イン君なの?」
「シュアナ……!」
僕は思わず顔を上げる。
驚いた。昏睡状態だったはずのシュアナが目を覚ましたのだ。
「……ここは?……ああ、来たことある場所だね。……そっか、わたしミコチに斬られちゃったんだっけ?…………ミコチは?」
「ミコチは……、亡くなった。あれからまだ、一晩しか経っていない」
「……!、……そう……」
驚愕の表情を一瞬だけ浮かべながらも、すぐに落ち着いた顔に戻り、あいづちしながら、シュアナがむくっと上半身を起こした。
「お、おい!動いて大丈夫なの?」
「うん。なんか痛いけど、全然動けるよ……?」
まったく、大した体力……。自然シュリィさんの言葉を思い出した。シュアナはやっぱり、人外の回復力を持っていると……、そういうことなのか。
「カイン君、わたしを置いて行かないでくれたんだね……?」
「……ここで君を置いて行ったら、僕は本当に屑だ……」
「ねえ。聞かせてもらえるかな?カイン君の話。わたしはまだ、君の口から聞いていないままなんだよ?」
僕は無言でうなずいた。そして、シュアナに全てをかいつまんで話した。
僕の素性。メムのこと。革命軍に居た過去。ザインと帝国軍に挟まれた複雑な関係。
こうして、僕の全てを、僕の口から他人に話すのは、初めてのことだった。
そして、一年前の戦争のことも、そもそもの始まりについても、話しておくことにした。
「あの時、革命軍には帝国軍の工作員が入り込んでいたんだ。姿を偽って人々の中に紛れ込み、正論らしい言葉を並べて人々を煽っていた。徹底抗戦を、と。典型的なアジテーションによる破壊工作だ。」
シュアナは時折あいづちを打ちながら、僕の話を黙って聞いていた。
「僕にはデマゴギーが見えていたんだけど、人々は徹底抗戦に賛成していった。人々を止める方法は簡単だったよ。僕が嘘をついて説得すればよかったんだ。僕の嘘ならば人々は信じるからね。でもさ、僕は気付いたんだよ。それって結局、奴とやってることが変わらない。僕は、人々を説得するための正当な言葉を持っていなかったんだ」
「……それで、一年前の大反乱につながったんだね……?」
「そう。急に全部が馬鹿らしく思えるようになったよ。嘘だけが力を持ち、正当な言葉は消え去っていく様子を見ているうちにね。僕は、すべてを放り捨てた。結局、僕はあの日から、ずっと逃げ続けているだけなんだ……」
ずっと静かに聞いていたシュアナが、そっと口を開く。
「……じゃあさ、それなら、わたしと一緒だね。わたしもこれからずっと、逃げ続けるんだ」
「シュアナ……?」
「あのね、わたしに言わせてもらえればね、カイン君。君はちゃんと戦っているじゃない?カイン君はちゃんと、お兄さんと会って本を手に入れた……。将軍さんに姿をさらしてまで宮殿に行って、賞金まで手に入れた……。わたしたちを庇って、妹さんとも戦った……。わたしにはね、カイン君。君はちゃんと過去と決別するために、戦っているように思えるよ?」
「僕が……?過去にケリを着けるために戦っている……?」
そんな発想はなかった。
そんなことを考えて行動していた訳ではないのに……。
「それに、カイン君は私を守るために戦ってくれたよ……?もしもカイン君が、レミちゃんとミコチと一緒に、旅を始めていなかったら、わたしはどうなっていたの……?」
「それは……。きっと帝国軍に幽閉されているだろう……」
「イヤよそんなの……!イヤなのそんなの……」
「…………」
「……だからね、わたしは感謝しているんだよ、カイン君。わたしを救ってくれてありがとう。わたしを自由にしてくれて、わたしを塀の外で生きられるようにしてくれて。わたしを普通にしてくれて、ありがとう……!」
「シュアナ……!」
僕は崩れ落ちるようにして、再びベッドに顔を伏せた。
こんな優しい言葉を掛けられるなんて、想像もしていなかった。
僕が、お礼を言われるのにふさわしい人間だなんて、思ってもいなかった。
だから。
だから、僕は、顔を伏せたまま、シュアナに。
「シュアナ……。一緒に帰ろう……?アテナイへ」
「うん。一緒に逃げよう……、カイン君」
シュアナが僕の手を取り、そっと握った。
僕は言う。
「僕と一緒にいると、危険が及ぶ。君も見ただろう?死人まで出た」
シュアナが答える。
「うん。わたしも一緒……。見たでしょう?わたしの周囲でたくさんの人が死んじゃった」
僕は顔を上げ、シュアナを見上げながら、続ける。
「もし君まで失ってしまったらと考えると、気が狂って死にたくなる。僕はどうしても君を守りたい。一体僕はどうしてしまったんだ。こんな感覚は初めてだ……」
シュアナも続ける。
「わたしも初めて……。何百回も聞いたセリフのはずなのに、何百人も同じ言葉を言ったのに。君はどうして、そんなに苦しそうな顔をして言うの?なぜ辛い表情の君は……、わたしにとって特別に思えるの……?」
「シュアナ、君は僕に、何をしたんだ?」
「カイン君、君は他の人たちとは違う……」
「でも、僕はもう君の虜で構わない。君との約束は守る。僕は死なずに君を守る」
「わたしはもう、君に裏切られるのはイヤ……。君を置いて死ぬのもイヤ……」
「僕は君の力になることで、本当に過去と決別しようと思う」
「わたしも何もできないままでは居たくない……!」
「きっと平穏な日々が来る。その時まで僕は戦いをいとわない」
「いつか君が、微笑みながら同じ言葉を言ってくれるまで……」
「もう一人で逃げるなんて言わない」
「もう離れるなんて、言わせてやらないんだからねっ……!」
「レミとミコチは何て言うかな?」
「考えても仕方がないよ?二人とももう死んじゃったんだから。今君の目の前いいるのはわたしだけ……!」
「シュアナは強いんだね……」
「カイン君も強いでしょ……?」
「僕は、メムにどうすればいいと思う?」
「カイン君が妹さんを殺してしまったら、それこそ本当に、救いがようがなくなっちゃうと思わない……?」
「そう、なのかな……?」
「うん。死者が一人でも少ない方が良いと思っているからこそ、カイン君は一年前の出来事を、ずっと気にして来たんでしょ……?」
「そう、なのかな」
「そうだよ……!」
うん、きっとそうだ。声には出さなかったけれど、心の中でそうつぶやいたところで、僕はシュアナの治療のことを思い出した。
「そういえば、君はこの後また、集中治療を受けることになっているらしい。僕はもう行くよ。怪我人の君をいつまでも起こしておく訳にはいかないからね」
「話し相手が居ないと退屈だよ……」
「大丈夫。病院の近くに宿を取ったから、毎日来るよ」
「うふふ。そうしてもらえるかな?」
僕は、じゃあ、と言って立ち上がった。シュアナも、また明日、と返事をした。
踵を返し、歩き出す。
そういえば、ミコチの埋葬について、軍の文官と打ち合わせをしなければならないんだっけ。今日、呼ばれていたんだった。
僕は病室を後にするために扉に手を掛ける。
扉を開けると。
そこには。
メムが立っていた。




