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最良の一日  作者: 要徹
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     7



 話を終えるとあいつは憤ったようで、目を充血させ、顔を蛸のように真っ赤にしていた。この目に見える反応は、この話が単なる昔話ではないと考えた結果だ。


「それで? その話をして、俺にどうしろと言うんだ。今の話を聞く限り、自分に何か関係のあるものとは思えないな。体が溶けるだって? 馬鹿らしい、全て御伽噺だ。しかも、何の面白味もない、悪趣味で、低俗な作り話だ。俺は、帰るぞ。約束は今度だ」


 あいつは語気を荒げて言い、相変わらずいやらしい嗤い声をあげ、鞄を手に取り、煙草を咥えながら席を立った。


「待ちなさい。(とぼ)けるのは止してください。今の話は全て真実だ。僕は、罪を再認識してもらう為に話をしたのです。あなたには、罪を償ってもらいますよ」


「はっ。何が罪を償ってもらうだ。人間は、皆罪人だ。罪に(まみ)れて、人生を過ごすものさ。それに、俺はキリスト教で言う原罪以外なら潔白の身だ。何もしちゃあいない。人違いだ。俺はその『あいつ』とやらじゃあ、断じてない」


「見苦しいですよ。人違いならば、何故そんなに慌てて帰る必要がありますか」


「見苦しいのはお前だ。この暑い時に黒い布を被りやがって。それに、その顔は何だ。品はないし、目が離れ過ぎている。唇も分厚い。俺はな、お前みたいな暇人と違って、忙しいんだ。くだらない話にいつまでも付き合っていられるか」


 あいつは片方の眉を吊り上げながら、煙草の煙を僕に向かって吐き出した。臭い。息をするな。いや、もう直にできなくなるのだ。今の内に新鮮な空気を吸って、吐いていると良い。


「それにお前は何だ? その女を弄んだのが俺だと言いたいわけか? 言いがかりも良いところだな。仮にそうだとしても、お前が俺に敵う道理はないだろう? 復讐だなんて、笑わせてくれる」


 空を切り、あいつはごつごつとした拳を僕の目の前に突きだした。


「それに、お前は何故その話を知っている? 誰に聞いた? 誰からも聞いていないはずだ。そうか、あの気持ちの悪い男の友人といったところか。あいつは死んだか? いや、生きているはずが――」


「僕は、あの気持ち悪い男ですよ」


 一瞬、呆気にとられたような表情になり、その後、怪訝そうな顔になった。信じられないようだった。


「嘘をつくな」


「おや、どうしてそんなに慌てているのですか? その気持ち悪い男は、死んだと思っていましたか。嫌だなぁ。行方を(くら)ましたからといって、そいつが死んだとは限らないでしょう。ほら、あの子だってそうだったじゃないですか。あんな醜い体になりながらも、ずっと生き続けていた。もっとも、どんどん液状化していて、生きているかどうか、定かではないですけどね。いや、彼女は死にながら生きているんだ」


「あの子――」


 あいつは明らかに、何かを知っている風な顔をした。


 隣の椅子に置いてある匣を撫でる。


「生きているはずない。あいつは親にも何も言わずに行方を晦ませたんだ。行方不明として処理されたんだ。そんな奴が、こんな長い期間、どこでどう過ごしていれば生きていられると言うんだ。それに、ちゃんと確認を――」


 言葉を遮る。


「――廃屋、ですよ。あなたがあの子を運んだ、あそこです」


 あの子を刺したあの時と同じような、狼狽えた顔になった。冷房がきいているはずなのに額からは汗が滲み出し、息遣いが荒くなっている。


「嘘だ。あんな食糧も何もないところで、生きていられるはずがない。常識的に考えてみろ。何も飲まず食わずで、生物が生きられるわけがない。あそこには誰も立ち入れないし、あんな奴に食糧を持って行く奴もいない。そんな奴、異常だ」


 忙しなく、煙草を吹かし始めた。灰が長くなってきているというのに、一向にそれを灰皿へ落とそうとしない。これこそ、狼狽えている証拠だ。


「世の中、常識では説明のつかないことだらけですよ。あなたの行動も、あの時あなたの取り巻きがとった行動も、何もかも常識なんかでは説明できない。異常だ。ならば、僕が異常な存在であっても、おかしくないでしょう。ああ、そうだ。生物で納得がいかないのであれば――それが、生物でなかったとすれば、どうですか?」


「生物じゃない?」


 眉間に皺を寄せ、怪訝そうな顔をする。


「冗談ですよ。それより――」


 匣の紐を解く。かたかたと、音がする。


「何故、廃屋に誰も立ち入れないと分かっているのですか? あそこはH小学校の子供くらいしか一つの抜け道を除いて侵入口がないことを知らない。あなたは、僕の探しているあいつではないのでしょう? なら、何故知っているのですか。それに、何故、僕を知っているのですか。それに、あの話を知っているとはどういうことです? まるで、あなたが全てを知っているようだ」


「ア……」


 本当に、馬鹿だ。普通の人間であれば、こんな誘導に引っかかるようなことはない。


「いつまで白を切り続けるつもりですか?」


 あいつは額一杯に玉のような汗をかき、拳が砕けんばかりの力で手を握っている。顔は見る見るうちに紅潮し、怒りと真実を突きつけられた恐怖が滲み出している。


「こ、こいつ。殺してやる!」


 あいつは何を思ったのか、椅子を蹴り飛ばし、唐突に飛びかかってきた。酒瓶とグラスが落ち、砕けた。攻撃は無意味だ。あいつの拳が僕を打つが、痛みは全くない。腕に巻きつけていた暗幕にも似た布を取り払い、右腕で、あいつの顔を鷲掴みにした。あいつが、聞いたことがない程の痛烈な叫びをあげ、僕の触れた箇所が溶け始めた。鼻や頬がどす黒く変色し、赤身が(あら)わになっている。


「ア、ア、ア……」


 相当効いたのだろう。これが、僕と彼女の憎悪だ。あいつは倒れ、その場で暴れまわった。そして、カウンターの裏へ逃げるように回り込むと、再び叫んだ。今度は、戸惑いの中に悲しみが含まれているようだった。堪らなく愉快だ。


「おい、どうかしたか? 友達でも死んでいたか?」


 今までの紳士的な話し方をやめ、問うた。


 事実、カウンターの裏では、彼女を廃屋へ運んだ二人の男のうち一人が――店主だ――半分骨になって死んでいる。店主は長髪を乱し、苦悶に満ちた表情だ。こいつは僕が思い切り抱くと、粘液によって、殺虫剤をかけられたゴキブリのようにのたうちまわった後に呆気なく命の灯を消した。この店を貸し切ったなんて、真っ赤な嘘だ。正しくは、奪い取ったのだ。


「お、お前が殺したのか?」


 あいつは恐れと驚愕を込めた口調で言った。僕は黙って頷いた。


「後で騒がれちゃ困るからな。さっさと殺しておいた」


「じゃ、じゃあ、角張男も、まさか――連絡が取れないのは」


 なかなか(さか)しいではないか。


「僕が殺したからだ。最近、お前が角張男を廃屋へ送り込んだんだろう? 急に訪ねてくるものだから、驚いたよ。お前がまさかまだ僕のことを覚えていて、尚且つ恐ろしく思っているなんて考えてもみなかったよ。用心深いもんだ。やっぱり、そこに何者かがいるという、あの時発覚した現実が怖かったか? ――それにしても、角張男を廃屋へ送り込んでくれたのは、僕にとって都合が良かった。お前ら三人の居場所が全く分からないんだからな。角張男のおかげで、残る二人の住所や勤め先を知ることができた。それと、お前と店主、角張男とのメール履歴も見せてもらった。(しき)りに僕が生きていないかどうかを確認していたな。もっとも、本人は死んでいるから返信なんてできなかったんだけどな。ということは、だ。お前をここに呼び出し、嘘の報告をしたのは僕というわけだ。『あいつとあの子は骨になっていた』。たったそれだけの返信でお前は安堵したことだろうな。だからお前はさっきから、僕が死んだものだと信じていたんだ。今日は、確か祝杯をあげることにしていたかな?」


「う、嘘だ。そんなこと」


「嘘だと思うならあの子を捨てた、思い出深い廃屋へ行ってみれば良い。今頃、完全に白骨化したお友達が数人待っていてくれているだろうよ」


「この、悪魔め!」


 あいつは蔑んだような顔になり、その身に似つかわしくない台詞を吐いた。


「黙れ」


 僕は右手であいつの両頬を鷲掴みにし、どろどろとした粘液を肌に伝わせた。すると、さっきと同じように黒煙と悲鳴があがった。


「なあ。体が溶けるなんて、御伽噺なんだろう? この目の前の現実をどう受け止めるんだ? え? お前の大好きな論理や常識で説明できるのか?」


 もうあいつに、情状酌量の余地はない。僕は黒い布を破り捨て、その体を露わにした。右腕は完全に爛れ、ぼたぼたと粘性のある液体が滴っている。そして、右手で触れてしまった顔の一部や体は、赤い肉を外気に晒している。そこからも、徐々に溶けていく感触がある。今では、首から胸のあたりそして足の先まで、とても人目には晒せないほどに醜く変化している。しかし、何故彼女と同じ年数の苦痛を味わいながらも人としての形を維持しているのか、考えてしまう。だが、すぐに結論を出した。僕がまだ人でいられるのは、あの子の為に復讐を果たすという責務があるからだ。その責務を果たした後に液状化するか、それとも死んでしまうかもしれない。死は怖くなかった。むしろ喜びであるようにすら感じる。


 あいつは僕の体を見るやいなや、今まで信じ切れなかった現実を受け入れたのか、掌を返したように態度を変えた。


「た、頼む。許してくれ。全部認める、認めるから。お願いだ――。あの時のあれは、全部きまぐれだったんだ。本当だ。ちゃんと罪も償う! 警察に言ってくれても良い!」


 目を赤く充血させ、左手で顔を押さえながら、右手で僕を制止している。もっとだ。もっと怯えると良い。その恐怖に歪んだ顔こそ、今まで僕が望んできたものだ。


「ふうん、警察ね。そこに通報すれば、お前を拷問にでも処してくれるのかい? 僕はね、警察で真っ当に罪を償うことなんて、そんなことは望んじゃいない。僕はお前に苦しんで欲しいんだ。ほら、彼女も許してくれないって。ほら、匣の中で、怒っている。そんな生温い罰で、償えるわけがない」


「エ――」


 無慈悲に、手に持っていた匣を床に落とした。からん、という乾いた音と共に、どろりとした中身が溢れ出した。匣から零れた赤黒い色をした液体は、僕の愛しい彼女だ。少し前に、完全に液状化してしまった。あの時は、慌てたものだ。どの部位を拾わなければ死ぬのか、そんなことを考えながら手近にあるもので必死に体をかき集め匣に詰め込んだ。少し取りこぼしてしまったが、死ななくて良かった。それに、美しさも損なわれていない。


「久しぶりに会えたね。君、私のこと、好きだったんだってね」


 彼女は、じりじりと、ゲル状の体をくねらせ、嗤いながらあいつに迫っていく。一体どこから動く力が湧いてくるのか、どの器官を通じて話しているのか解らない。目も、鼻も、口も、耳も、頭も、四肢も、何もないのだ。彼女は人間を超越した存在なのだから、どうやって生きているのか、話しているのか、聞いているかなどという問題は瑣末なことだ。彼女のことは、誰も理解できない。いや、僕だけが理解できる。そう、僕だけが。


 彼女が通った箇所から、うっすらと黒煙が立ち昇る。憎しみで焼けているのだ。


「く、来るな!」


 あいつは見苦しく、手当たり次第に瓶を彼女に投げつけた。だが、いくら破片が刺さろうとも、瓶が顔を殴打しようとも、意味はない。もはや痛覚なんてないのだ。けれども、愛しい人が傷つけられるのは、見るに忍びない。


 さっと手を振り、粘液をあいつの顔目がけて飛び散らせる。目に直撃した。もう、目は見えまい。鋭い叫びと、狼狽える姿は、見ていてとても愉快だ。今まで、こんなに愉快な気分になったことはない。彼女と再会できた時こそ最良の日だと思ったが、今日、復讐を遂げるこの日こそが、最良の一日だ!


「彼女に手を出すなよ。気持ち悪い。お前は何様のつもりだ」


 あいつに唾を吐きかける。


「ねェ。こいつ、殺しても良いんでしょう? ずっと待ってたんだもん。良いよね?」


 可愛らしい仕草で、残酷なことを言うものだ。このギャップも堪らない。


「良いとも。でも、もう少し待っておくれ」


 あいつの前に屈む。硫黄にも似た異臭がする。


「聞いておきたいことがいくつかあるんだ。違うな、確認しておきたいことだ。言い訳はするな。全て、分かっているんだ」


 あいつは諤々(がくがく)と震え、壁に向かって後退りしている。


「お前が廃屋に来なかった理由は、気まぐれじゃないだろう? 僕は知っているんだ。あれから、お前は確かに来なかったが、彼女と再会してから暫くして、女三人が来た。赤毛の女、金髪の女、そしてお前の女。あの時、お前は本当に変わってないなって思ったよ」


「ど、ど、どういう――」


「黙れ。今は僕が話しているんだ」


 首を掴み、表面を溶かすと、黒煙と悲鳴が上がった。


「お前は、あの女連中を口車に乗せ、廃屋の様子を見に行かせたんだ。では、何故女連中だけで、男たちは行かせなかったのか。何故、お前は直接行かなかったのか」


 荒い息遣いだけが聞こえる。店内に流れていたはずのクラシック音楽はいつの間にか終わりを迎え、静寂が支配していた。恐ろしいほどの静寂だ。


「お前は、栗鼠女の行方が分からなくなったことだけが気がかりだったんだろう。あの女連中は、栗鼠女と仲良くやっていたからね。あのまま放っておけば、そのうち騒ぎ出す。恐らく、廃屋にまだいるかもしれないと言って、彼女らを言い(くる)めたんだろう。そして、女たちは集団で廃屋を訪れた。栗鼠女が見つかればそれで良し。見つからなければ、女たちが騒ぎ立てないよう、自分の手か、誰かを使って殺せば良い。だが、男たちにはそんなこと関係なかった。お前が口止めするだけで十分だったんだ。殺す必要もない。小学生の頃から変わらない性質だな。だが、あの女たちはそう上手くいかない。あいつらは、大学生の時に知り合った奴らだ。お前の見せかけだけの怖さなんて、微塵も知らないんだ。例え、お前が死体を隠すような悪人であると知ってもね」


 こいつは、ずっと変わらない。人を使うことだけに長けており、何よりも自分を優先させる。僕なんかより、ずっと気持ちの悪い生物だ。人間ではない。人の形をした別の生き物だ。


「あの女たちも――お前が殺したのか」


 (かす)れるような声で、あいつが言う。


「そうだよ。僕らの幸せな時間と、僕の償い、生への執着を踏み(にじ)ろうとしたからな。あいつらは僕らを見るなり、あの廃屋に火を放とうとしたんだ。折角生かして帰してやろうと思ったのに、そんな思いはさっと消えたね。邪魔をしなければ、今でも生きていただろうに。もっとも、今頃は死んでいるだろうけどね」


 嗤い、さらに続ける。


「僕が大学からいなくなった時点で、お前は計画が上手くいったと思っただろう。ということは、同時にあの子を発見したということだ。まさか、僕がずっとあそこにいたことまでは予想していなかったみたいだけどね。だから、安心して女たちを偵察に向かわせた。だけど――」


 酒瓶の中から適当な瓶を一つ取りだし、中身を飲み、喉を潤す。


「死んでしまった。女たちに見に行かせたものの、帰ってこないから段々と不安になってくる。そこに何かがいることが分かったんだ。彼女は人を襲えない。襲ってきたとしても、その気になれば簡単に逃げ切れる。しかし帰ってこないならば、それ以外の誰かに襲われた可能性が高い。不安で仕方がないが、自分で見に行くわけにはいかない。仮にその誰かが僕であるならば、お前は女同様に襲われることになる。ならば、そのまま放っておけば良い。誰かはいずれ餓死する。事件は風化する。そしてお前は、あの時、あの子にしたように、全てを見なかったことにしたんだ。しかし最近になって、どうしたことか廃屋にいる何者かが気になった。今度こそ誰もいないと確信し角張男を向かわせたが、またもお前の予想は外れ、角張男は死んだわけだ。いやぁ、お前が見に来なくて良かったじゃないか。そのおかげで、今まで生きることができたんだから。有意義な人生だったかい?」


 喘鳴(ぜいめい)がする。今にもあいつの心臓の音が聞こえてきそうだ。僕は煙草に火をつけ、吹かした。まるで名探偵になった気分だった。煙をあいつに吹きかけて、続ける。


「さて、最後の疑問だ。何故、お前は僕を肝試しと銘打った、淫行企画に僕を誘ったのか。しかし、僕らだけにあの廃屋への侵入を禁じた。これは、明らかに矛盾する。入って欲しくないのなら、最初から誘わなければ良いんだからね。お前は、侵入を禁じていても僕がそこへ入って行く自信があったんだ。何故なら、全ての廃屋にはカメラが仕掛けられていたんだからね。そんなところで行為に及ぶ馬鹿はいない。お前は僕が性欲に屈すると確信していたんだろう。実際そうなってしまったわけだから、僕としては悔しい限りだ。さて、許可されている場所全てにカメラが仕掛けられているとなれば、後は禁じられた廃屋しかない。そこにカメラはなく、行為に及ぶ可能性は一気に上がり、留まる可能性も上がる。そして、いずれはあの呻き声に気づく。声に気づかなくとも、臭いで何かおかしいと考える。それを気にかければ、あの子を必ず発見する。あの子こそが、あの時お前の言った良いものだったんだ。あの子の変わり果てた姿を見て衝撃を受け、僕は自殺する。栗鼠女はそれを見て見ぬふりをして立ち去り、お前にとっての最良の一日となる。そこまでがお前の計画だったんだ。お前は、僕があの子だけを生き甲斐としていたことを知っていたはずだからね。自分の生きる意味である女の子が変わり果てた姿になっていれば、きっと死にたくなる。事実として死にたい衝動に駆られたが、残念。僕の彼女への愛情は、そんなものじゃない。お前とは違って、生きてさえいればそれで良かったんだ。お前は、僕を甘く見過ぎたね。いや、ただ短絡的なだけか」


 うふふ、と彼女が笑う。僕も嗤う。


 あいつは顔から血の気を引かせ、真っ青だった。喉が焼けてしまったのか、何も言葉を発さず、ひゅうひゅうと息をするだけだった。今、あいつは絶望の淵にいるだろう。ずっと監視して事件の話をさせないようにして、それに嫌気がさしたのか、他人の手を使ってでも殺そうとしたのに、結果として僕は死なず、逆に今、自分を殺そうとしている。


 あいつが今まで積み上げてきたものを全て崩す。これこそが、僕の考えた復讐だった。後は、あの子に任せておけば良い。これからは、あの子が恨みを晴らす番だ。


「ねェ、そろそろ良いでしょ?」


 手はないが、もじもじしているように思える。


「あいつにはあらゆる罪業の再確認をしたから――うん、良いよ。もうお話――いや、僕の復讐は終わったから。後はお好きにどうぞ。いやァ……お前に、僕らの幸せな人生を見てもらえないのが残念で仕方がないよ」


 あいつはかたかたと手を震わせながら、僕の足元に垂れる布を掴み、命乞いをし始めた。この期に及んで見苦しい。


「や、めろ。やめ、てくれ。お願い……だ……ヵ。何でもする、だヵら――」


 必死に声を絞り出している。そんな命乞いに、今さら意味はない。


 興奮で口内が渇く。待ちに待った、この時が、とうとう来た。


「――ああ、気持ち悪い」


 僕がそう言ったのを皮切りに、彼女はあいつに飛びかかり、その体ですっぽりと覆い尽くしてしまった。憎むべき奴を目の前にして、我慢できなかったみたいだ。初めは元気良く悲鳴をあげ、ゲル状の彼女を引き剥がそうと必死に抵抗していたのに、すぐそれは止んでしまった。あいつは異臭と黒煙を放ちながら、跡形もなく消え去った。しんとした店内に、人間はいなくなった。


 復讐を果たして清々しい気持ちだったが、正直な話もっと、あいつの藻掻く姿を見たかった。彼女の喜ぶ姿を見たかったのに。あいつはあっという間に溶けて消えてしまった。それだけ、彼女の憎しみが強かったのだろう。まあ、これで全ては終わったのだ。それ以上望むことはできない。本当に、命とは呆気ない。


「こっちへおいでよ」


 ずるずると、赤黒い体を引きずりながら彼女が寄ってくる。僕はそれを匣の中に仕舞い込んでから、頬ずりをした。頬にざらざらとした感触がある。この匣も相当古くなっているし、もう暫くしたら変えてやらねばならないと思った。新しい人生がこれから始まるのだから、新居を構えてやるのも悪くない。もう、復讐を考えて生きることはなく、ただ盲目に幸せを追求できるのだと考えると、胸が躍り、魂が狂喜の叫びをあげるようだった。


「今日は最良の一日だ」


「うん、そうだね。――ふふ、あはは」


 彼女の可愛らしい嗤い声が、最良の一日の幕を下ろした。


 明日からは彼女と共に過ごす、もっと幸福な日々が待っていそうだ。



 (了)



 どうも、要徹です。この度は拙作「最良の一日」をお読みいただき、誠にありがとうございました。

 本作品はジャンルをホラーとしていますが、どうもホラーらしくないと言われがちです。とある友人は「サスペンスに分類されるのではないか」と言っていますが、どうなのでしょう。

 ホラーらしくないと言われる理由には心当たりがありまして、そのひとつが私自身の意識が現れているからだと思います。

 私がこの作品を書くにあたって重点を置いた箇所は「不快感を与えること」「胸糞悪くなってもらうこと」「純粋な恋情を描くこと」の三つでした。それをすべて達成する為に最も適したジャンルがホラーだったのであって、言ってしまえばホラー的な要素を組み込む意識はあまりありませんでした。その意識の所為でホラーにとって重要な要素が欠けてしまったから、ホラーらしくないと言われるのでしょう。

 さて、皆さんはこの作品を読んで、いかがでしたか? 胸糞悪くなりましたか? 不快な気持ちになりましたか? 主人公の恋情をどう思いましたか? 一体、あなたは何を思いましたか? 是非、感想や意見をお聞きしたく思います。


 それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

 読者の方と、創作活動を愛するすべての人に感謝と敬意をこめて。

 また、次回作でお会いしましょう。

 お疲れさまでした。


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