第一話 作者不明の楽譜
中世の頃。
森深くひっそりと佇む、
かつて王家の離宮だった建物。
その場所は、
長い年月の中で主を失い、
やがて貴族の管理下に置かれた。
だがその貴族もまた途絶え、
建物は忘れられていった。
鬱蒼とした茂みに覆われたその建物に
ある夜、火の手が上がった。
やがて——
その建物は燃え尽きた。
人々は炎の原因を探りに焼け跡を調べたが、何も分からないまま。
その代わり
焼け落ちた床の下から、
地下室へ続く石階段が現れた。
人々は
冷んやりした冷気を感じる地下室へと
ライトの明かりを頼りに下りて行く。
そこで見たものは
無数の書物だった。
天井まで積み上げられた本。
羊皮紙に記された楽譜。
作曲家自身の手で
書かれたとおぼしき譜面。
そして、誰の目にも価値が分かる
初版本の数々。
部屋の隅には、
朽ちた机と椅子が残されていた
地上の建物は灰になった。
だが地下には、
ひとつの図書館が眠っていた。
やがて書物は持ち出され、
各地の収集家の手へ渡っていった。
———
それから百年余りの時が流れた。
楽譜収集家のアルベールの屋敷で
小さなパーティが開かれた。
演奏家たちや他の収集家たちが招かれた。
アルベール
「何百年か前に火事になった貴族の
屋敷から持ち出された楽譜が
幾つか我が家にあるのです」
得意気に話す。
「皆さん、火事から免れた楽譜たちを
見てみたいと思いませんか?」
他の収集家や演奏家たちの
目の色が少し変わる。
そして誰かが言う。
「ほぉー、それは是非
見てみたいですな」
アルベールはニヤッと笑うと
「それでは書庫にご案内致しましょう」
アルベールの後を集まった人々が
書庫へと着いていく。
廊下を歩き、
ある扉の前でアルベールは
ポケットから束になった鍵を取り出し、
そのひとつを鍵穴に差し込み
ドアを開けた。
その部屋は
作曲家別に年代別にきっちりと
並べられた楽譜が幾つもある。
アルベールは
部屋の奥へと歩いて行くと
さっきとは違う棚の前で
「皆さん、こちらが先ほど話した楽譜の数々です」
誰かが言う。
「これは素晴らしい」
「売ってほしいくらいだ」
アルベールは、
ますます得意気になる。
その時
演奏家のエスターシュは
棚の奥に押し込まれた古い楽譜が
目に入った。
エスターシュ
「何故、これだけ無造作に置いてあるのですか?」
アルベールや他の人々が目を向ける。
確かに、
他の楽譜に比べて乱雑に置いてある。
アルベールはその楽譜を手に取り
演奏家のエスターシュに見せながら言う。
「こちらは作者不明なのですよ」
エスターシュ
「見せて頂いてもいいですか?」
アルベール
「どうぞ」
エスターシュは楽譜を受け取る。
他の楽譜のような豪華な装丁ではない。
革張りの表紙は色褪せ、
角は擦り切れていた。
題名もなければ、
作曲家の名前も記されていない。
ただ、
何度も開かれたのだろう。
表紙には手の脂が染み込み、
背表紙は不自然なほど柔らかくなっていた。
エスターシュはページを開いた。
そして書き込みがある。
演奏の跡がある。
何度も開かれた形跡がある。
小さな文字。
誰かの書き込み。
演奏メモ。
運指。
修正。
消された跡。
何百年も前に
この楽譜を弾いた誰か。
初めて見る旋律。
そして。
目が離せなくなる。
エスターシュは、
弾いてみたいという衝動に駆られる。
思わず
「これを..
この楽譜を譲って頂けませんか?」
アルベールは、
少し驚いてから言う。
「…いいですよ、
価値もない楽譜ですから」
「正直、整理のついでに処分しようかと思っていたくらいなので」
エスターシュ
「ありがとうございます」
暫くしてパーティはお開きになった。
———
パーティも終わり
外は夜になっていた。
ランタンの灯りが夜道を照らす。
石畳を走る馬車。
膝の上には作者不明の楽譜。
エスターシュは帰り道ずっと
楽譜に目を落としたままだった。
そして
エスターシュは家に着くと、
もう一度その楽譜を開いてみる。
かすれたインク。
消えかけた書き込み。
どんな曲なのか
その考えが頭から離れなかった。
でも、もう夜も遅い。
明日にしよう。
そう思いながら、
エスターシュは
楽譜を机の上に置いた。
だが。
数歩、歩いたところで足が止まる。
そして振り返る。
一度だけ。
最初の一頁だけ。
そう自分に言い聞かせ、
エスターシュは楽譜を譜面台に置いた。
ヴァイオリンを手に取ると
肩に当てた。
そして最初の一音。
静かで柔らかい。
どこか懐かしい感じもする。
(なんだ、綺麗な曲じゃないか)
そしてエスターシュは
書き込みに従って弾く。
運指の通りに。
テンポの指示通りに。
最後の音を弾き終えた。
部屋が妙に静かに思う。
そして。
エスターシュは息を吐く。
美しい曲だった。
異様なほど
そして
楽譜へ目を落とす。
エスターシュは
ページをめくる。
書き込みがある。
それも
一つじゃない。
十でもない。
更にページをめくる。
また文字。
また別の筆跡
さらに別の筆跡。
まるで
何十人もの演奏者が
同じ楽譜へ書き続けたようだった。
エスターシュ
「なんだ......これは」
あまりの驚きで
数歩、後退りしてしまう。
だが、もう遅い。
その旋律がエスターシュを離さない。
つづく…
お読みいただきありがとうございます。
次回は、第二話「再び」




