第26話「商人の提案とコーヒー生産の未来」
KICHIJOJI COFFEEの店内は、いつもと少し違っていた。
最近、貴族や商人の来店が増え、コーヒーが王都で徐々に「高級な嗜好品」として認識され始めている。
「店主、またこの豆を頼めるか?」
「先日飲んだ『パナマ・ゲイシャ』というもの、ぜひ我が館の宴で振る舞いたい」
そんな声が日常になってきた。
しかし、陽翔は心のどこかで不安を感じていた。
――店のコーヒーはなぜ、どこから補充されるんだ?
――仕組みがわからない以上、突然補充されなくなる可能性がある
――新しいコーヒーにも出会ってみたい
そんなことを考えていたある日、一人の商人が店を訪れた。
***
「初めまして、店主殿」
現れたのは、落ち着いた身なりの男性。
目は鋭く、商売の機を逃さない者特有の計算高さを持っている。
「ルートヴィヒ・グリューンハイトと申します。王都で交易を手掛ける者です」
彼は席に座ると、陽翔をまっすぐに見た。
「さて、単刀直入に申し上げます」
「……?」
「この『コーヒー』を、王都全体に広めませんか?」
陽翔は少し驚いた。
「広める……?」
「ええ。この飲み物は、貴族たちの間で話題になり始めている。しかし、現状ではあまりにも流通量が少なすぎる」
確かに、その通りだった。
「このままでは『限られた者だけが楽しめる特別な飲み物』で終わってしまう。
ですが、もしコーヒーを自前で生産できるようになれば、この状況は変わる」
「……つまり、コーヒーの木を探し出して、王国内で生産する、ということか?」
「その通り!」
ルートヴィヒは微笑みながら頷いた。
「私は南方の国々とも交易を行っています。もし、コーヒーの木や種を見つけることができれば、この王都で独自のコーヒー生産体制を築けるでしょう」
「なるほど……」
陽翔は考え込んだ。
***
「しかし、コーヒーの栽培には適した環境が必要だ。どこでも育つわけではない」
陽翔はそう指摘した。
「ほう、それは初耳ですな」
ルートヴィヒが興味深そうに身を乗り出す。
「コーヒーの木が育つには、まず適度な標高と気温が重要だ」
「標高?」
「そう。コーヒーは標高が高い場所で育つことで、酸味や香りが豊かになる」
陽翔は続ける。
「一般的に、気温は15〜24℃程度が適している。あまりに暑い地域では、木が弱ってしまうし、寒すぎても育たない」
「なるほど……となると、王国内で育てるには山岳地帯が適している、ということですか?」
「そうだな。ただし、それだけではない」
陽翔はさらに説明を続けた。
「土壌の質も重要だ。火山灰を多く含んだ土地では、コーヒーの味わいが豊かになる傾向がある」
「火山灰の土地……王国の南部にある火山帯なら、あるいは?」
ルートヴィヒは思案するように頷いた。
「もしコーヒーの木を見つけたとして、その次の問題は?」
陽翔は腕を組んだ。
「収穫と精製だな」
***
「コーヒーの実は、一度に全部が赤く熟すわけじゃない」
陽翔は店の棚から、小さなスケッチを取り出して見せた。
「このように、一本の木でも熟した実と未熟な実が混在している」
「ほう……?」
「だから、手作業で一粒ずつ収穫する『ピッキング』**が必要なんだ」
「手作業……それはかなりの労力になりそうですね」
「そうだ。特に高品質な豆を作るには、人の手で選別することが重要だ」
陽翔は続ける。
「そして、収穫した実をどう処理するか――それが『精製』の工程だ」
ルートヴィヒは興味津々といった表情で聞き入っている。
「コーヒーの精製には、大きく二つの方法がある」
「二つ?」
「一つは『ウォッシュド(水洗式)』」
「ふむ」
「これは、水を使って果肉を除去し、発酵させてから乾燥させる方法だ。
すっきりとした味わいになり、豆の個性が際立つ」
「なるほど、発酵とは面白い」
「もう一つは『ナチュラル(乾燥式)』。
これは、果肉をつけたまま天日干しにして乾燥させる方法で、甘みやフルーティーな風味が強く出る」
「どちらが優れているのです?」
「どちらも一長一短だな。品種や気候によって、どちらが向いているかが変わる」
***
ルートヴィヒは深く頷いた。
「なるほど……コーヒーを生産するには、これほどの手間が必要なのか」
「そうだ。だからこそ、一杯のコーヒーが価値を持つ」
陽翔はカウンターを軽く叩きながら言った。
「もし本気でコーヒーを生産するなら、俺も協力しよう」
ルートヴィヒは目を輝かせた。
「では、私はさっそく南方の国へ向かい、コーヒーの木や種を探してきましょう!」
「よろしく頼む」
こうして、KICHIJOJI COFFEEの次なる展開が動き始めた。
異世界でのコーヒー生産――
それは、単なる商売を超えた、異世界に「新しい文化」を築く試みだった。




