船の上2
「遅いわよ!早くして!」
ティア姉ちゃんの声が背後から響く。慌てて樽を抱えながら、ふと目に入った使われていない部屋に足を止めた。
埃だらけの古い部屋だが、ひとつだけ光る箱がある。手を伸ばすと、緑色の宝石が静かに光っていた。
[なんだ、これ……古いのに箱だけピカピカだ]
そっと蓋を開けると、宝石は淡い光を放ち、手に伝わる重みが妙に心地よい。
「セナァ!そこで何してるの!樽運びなさい!!」
ティア姉ちゃんの怒声に、思わず飛び跳ねる。
「わっ、びっくりした!いるなら言ってよ!」
「この部屋、埃っぽいけど……まぁいいわ、早く運びなさい」
姉ちゃんはため息をつき、部屋を出ていった。俺は再び宝石に目を向ける。手に取ると、温かいような冷たいような、不思議な感触が伝わる。
[なんだ、この宝石……不思議だ……]
その瞬間、眩い光が立ち上り、部屋全体を包む。目を細めると、羽の生えた小さな生き物が浮かんでいた。
「おい!名を名乗れ!」
鳥みたいなそれは、妙に威張った声で俺に言い放つ。
「俺の名は【グビエット・セナ】だ。お前は?」
「おいらは風の精霊【フューズ】!フューズと呼べ!」
フューズは俺をじっと見つめ、何かひらめいたように言った。
「お前、俺と契約しないか?」
「契約……?」
「お前がオイラを楽しませろ。それで、オイラは力を貸す。お前が死ぬまでな」
「楽しませるって……どういう意味だよ……?」
「考えろよ」
その時、またティア姉ちゃんの声が響いた。
「セナ!いい加減にしなさい!早く荷物を運びなさい!」
慌てて宝石を戻し、甲板に向かう。
「ふぅ、ようやく運び終わった……でも、今日の雲嵐はひどいな……」
「おーい、みんな見ろ!島が見えるぞ!」
船長の声に、俺たちは一斉に甲板に駆け上がった。遠くに島が見える――けど、その景色の陰で、何かが動いた。
「船長!黒いドラゴンが周りを飛んでる!」
ティア姉ちゃんの叫び声に、空気が一瞬止まったかのように感じた。目にも見えない速さで、漆黒の影が船の周囲を旋回する。風を切る音だけが耳に残る。まるで化け物――いや、化け物そのものだ。
次の瞬間、巨大な口が開き、甲板めがけて漆黒の炎が降り注ぐ。空気を焦がす熱と、爆風の衝撃で俺は体を地面に押し付けられる。
「みんな、危ない!避けろ!」
ティア姉ちゃんは迷わず前に出て、炎を斬り裂く。火花が散り、板が焦げる音が甲板全体に響いた。船長は舵を切り返し、船を傾けて炎をかわす。
他の乗員たちも超人的な動きで船を守る。樽や道具が宙を舞い、風に煽られて板がきしむ。俺は端で踏ん張り、樽を押さえながら息を整えるしかできない。
[すごい……全員、普通じゃない……]
黒龍は炎を吐き続け、甲板に直撃するたび、木材が焦げ、爆風で樽が飛ぶ。ティア姉ちゃんは炎を斬り裂き、船長は舵を切り返す。火と風と揺れで、船は宙で揺れながら戦場のようになっていた。
俺はただ避けながら、船員たちの戦いを見守る。手は出せないけど、全身で嵐と戦う仲間たちの力が伝わってくる。
[この嵐が過ぎるまで、耐えなきゃ……]
だが、黒い炎は再び甲板に襲いかかってきた。ティア姉ちゃんが剣を振るう。火花が散り、板が焦げる。しかし、今度の炎は簡単には斬れず、剣先に炎の熱がまとわりつく。甲板の木材が軋み、風が唸る。船長は必死に舵を切り、船を揺らして炎をかわすが、火の熱が近くまで迫る。
一瞬、時間が止まったかのような静寂。爆風が通り過ぎた後、船上には焦げた匂いと煙が漂い、仲間たちの顔に緊張が走る。
[なんだよ……これ……さっきの夢と同じだ……]
息を呑む俺の耳に、羽ばたきの音も混ざった声が響く。
「おい、ガキ。約束だ。オイラはお前を助けてやる」
「お前……こんな時に何を──」
「いいから、行くぞ」
フューズの目が真剣に光り、周囲の風を巻き込む。次の瞬間、強烈な風が俺の体を包み込み、足が宙に浮いた。甲板の揺れと炎の熱を背に受けながら、気づけば俺は船から引き離され、空中に浮かんでいた。風に押され、視界の端で黒龍の影が蠢く。
――そして意識が薄れていく。
◇◇◇
「おい、ガキ、起きろ!」
誰かに揺さぶられ、まぶたが重く開く。視界が定まると、フューズが焦った顔で俺を見下ろしていた。小さな羽が風で揺れ、顔には真剣な表情が浮かぶ。
「……なぁ、これって夢だよな?夢だって言ってくれ……」
声は震え、心臓はまだ戦闘の残像でドクドクと打つ。
フューズはしばらく黙り込み、周囲を見渡してから低く答える。
「残念だが、夢じゃない……オイラはお前と契約を交わした。お前を守る代わりに、あいつらを守る契約はもう終わった。お前の家族も、もう……みんな、多分あいつとの戦いで……」
「……」
言葉が飲み込まれる。胸の奥がひりつき、息が止まりそうになる。
「だから、今からはお前とオイラの契約が始まる」
「……なんだよ、それ……」
フューズの目は鋭く、俺を洞窟のような圧力が包む場所へ導く。
「ここに入れ」
「何言ってんだよ……こんなところ入ったって、何も起きないだろ……!」
フューズは羽を広げ、羽根から圧を放つ。空気が振動し、手を触れずともその力を肌で感じる。
「いいから、入れ」
恐る恐る穴に足を踏み入れる。体が吸い込まれるように押され、周囲の光が歪む。
次の瞬間、意識が深い闇に沈んだ――




