73 俺が町を歩いていると、思わぬ事態に遭遇したんだが
「あれって、もしかしてキサナティアお嬢様の靴じゃあ……ムグッムグッ!」
俺は慌ててリノアの口を手で塞ぐ。
幸いそれ程大きな声では無かったため、男の耳には届いていない様だった。
男はこちらに気付くことなく、もしくは気にする事無く背を向けたまま、袋を担いでその場を足早に立ち去ろうとしていた。
リノアの言う通り、確かに、あの靴には見覚えがある。
ここラドンツの町に来る間、最初の日に出会ったとき、馬車から降りてきたキサナティアお嬢様が履いていた白い靴だ。
あんな雨上がりのぬかるんだ森の地面に降りるには随分もったいない靴を履いているという印象が強く残っている。
「リノアは店の表にいる筈のベーシウスさんかエニムさんか護衛の人に知らせて」
俺は小声でリノアに耳打ちする。
「うん。でもフォルトちゃんは?」
状況を理解して、俺の意を汲んでくれたのか、リノアも小声で答えてくれた。
以前だったらごねていたかもしれないが、リノアも成長しているようだ。
「俺は気付かれないように後を尾けてみる」
「あぶないよ」
それでも癖なのか、リノアが、俺の服の裾をギュッと握ってくる。
「だから、急いで呼んできて」
時間がない。
俺は真剣にリノアの目を見てお願いした。
「……うん、分かった……気を付けてね」
「ああ」
俺のいつもと違う緊迫した様子を察してくれたのか、リノアが頷き離れていく。
リノアが静かに路地を戻り、建物の角を曲がり、姿が見えなくなった。
これで助けは呼べるだろうし、リノアも安全になると俺は後を尾けながら少しだけ安堵する。
それにしても、リノアが戻っていく際、もっと音を立てて、あの人攫いに気づかれてしまうのではと冷々したが、リノアはそんな俺の心配を他所に物音一つ立てずに走っていたな。
俺たちと一緒になってやっていた剣の稽古の賜物だろうか?
それはさておき。
白昼堂々、人攫いとはやはりこの世界、前世日本より格段に治安が悪い様だ。
ああ、でも前世、外国とかでは結構大きな都市でも昼日中の誘拐があるんだっけか。
つくづく、日本は良い国だったんだなと思う。
女の子が一人で夜に近所のコンビニに気軽に出かけたりとかしてたしな。
まあ、それはそれで違う問題があるのかもしれないけど。
さて、これからどうすべきか。あまり路地裏の奥に逃げ込まれても危ないし。
かと言って7才児が大人相手にアクション映画さながらに大立ち回りを繰り広げられるわけも無く。
となると出来るかどうかは解らないけど、足止めしないと。
今俺に出来る事。
俺は空間収納から手ごろな石を取り出して投球フォームを取り、袋を担いでいる男の反対側の肩から頭ら辺を狙う。
初めからデットボール狙い。人を狙って石を投げるなんて、褒められた事じゃないが、状況が状況だ。
大きく振りかぶり、
左足を前に、
思いっきり投げた。
行け!
「ぐはっ!」
見事に男の首から後頭部の左辺りに当たったらしく、男がよろめいてバランスを崩し、左に崩れるように倒れる。
しまった! キサナティアお嬢様は無事か?
幸い男が下敷きになったようなので大丈夫……だよな。
俺は石を投げると同時に駆け出す。
この辺は前世、バント対策で何度も練習していた。
生まれ変わって多少身体の感覚は変わったけど、意外とスムーズに動けたみたいだ。
そして追いついた俺は恐らくキサナティアお嬢様であろう女の子に被せられている袋を取りにかかった。
男は軽い脳震盪を起こしているみたいで、まだ動きが無い。
だが、悠長なことを言ってられない。
俺は袋に手を添えた瞬間に、キサナティアお嬢様であろう女の子に被せてあった袋を空間収納にしまう。
足が出ていたおかげで、完全に閉まっていたわけではなかったから、俺の能力が使えた。
男はまだ幸いなことに脳震盪を起こしているみたいだし、キサナティアお嬢様はこの袋で目隠しされている訳だから恐らく大丈夫だろう。
「キサナティアお嬢様? 大丈夫ですか?」
声を掛けながら取り除いた袋の中から出てきたのは、予想通り、キサナティアお嬢様だった。
「??? フォルト、だったかしら?」
キサナティアお嬢様は俺を見て取るなり声を発する。
あっ、俺の名前、憶えていてくれたんだ。
それにしても、病弱なはずなのに意外と肝が据わっているのか、怯えた様子はないな。
さすが貴族のお嬢様というべきなのかな?
なんて、そんな悠長な感想を思い浮かべている場合じゃない。
「ああ、そうだ、です。話は後。兎に角、逃げるよ!」
今のうちに出来るだけ通りの方へ。
俺はキサナティアお嬢様の手を取り、やや強引に起き上がらせる。
よしっ!
俺はキサナティアお嬢様の手を握ったまま走り出そうとした。
身体を俺とリノアが来た方向へと向け、一歩踏み出す。
行ける!
そう思った。
その瞬間。
いきなり足首を掴まれた様な感覚を覚える。
思わず前のめりになり、俺は キサナティアお嬢様が巻き込まれないように、咄嗟に手を放した。
「この!」
と同時に足から引っ張られ後方へと振り回されるような感覚が襲ってくる。
その直後、思いっきりぶん投げられた。
「かはっ!」
壁に叩き付けられ、肺から息が漏れる。
次の瞬間、後頭部に鈍い痛みが走った。
立て続けに襲ってくる激痛に、俺は思わず呻き声を上げた。
「フォルト!」
キサナティアお嬢様の叫ぶ声が聞こえる。
「このガキ、よくもやってくれたな!」
早く立ち上がらないと。
でも、体に力が入らないや。
まずい! 目も霞む。
首筋にぬめっとしたものが流れるのを感じた。
7才児の身体だ。
いくら、能力値をあの薄紫ツインテール少女天使のパスティエルが多少高くしてくれたといっても大人に比べればまだまだたかが知れてるだろう。
キサナティアお嬢様を連れて逃げ切れなかった時点で、負けは確定したが、
目の前の男が、懐からナイフを取り出すのが分かった。
ギラリと刃が光る。
目が霞むのに、なんでそういうのだけはちゃんと分かるかなあ。
「お礼がてら、じっくりと弄ってから殺してやりたいところだが、時間が無いんでな。手早く殺してやるぜ。感謝しな」
そう言って男が振り上げたナイフの動きがゆっくりに感じられる。
また、この感覚か。
「逃、げろ! キサナ……ティア」
俺は声に出そうとしたがどうもうまく行ってない様だ。
この際、呼び捨ては勘弁してほしい。
この期に及んで、間の抜けた考えをしている自分がいる。
それと、
ごめんなリノア。
そう思った次の瞬間、目の前の男が崩れ落ちる光景が映った。
「?」
そして、その後ろから、足を男の頭辺りに振り挙げた態勢のベーシウスさんの姿が現れる。
「間に合った……ってないか。エニム、警備の兵と神殿の神官を呼んできてくれ。家名を出していいぞ。むしろ使え」
「はっ!」
ベーシウス様とエニム様。
どうやら、リノアは間に合ったみたいだな。
俺の口角が少し上がったような気がする。
「フォルトちゃん!」
そんな時、ベーシウスさんの後ろにリノアが泣きそうな顔をして立っているのがボンヤリと見えた。
ほんと、目が霞むのに、何でそういうのだけはちゃんと分かるかなあ。
リノア、そんな……顔……するなよ。
俺はそのまま意識を失った。




