36 俺がロープを登ろうとした時、良い考えが浮かんだんだが
おかしな表現になるけれど、耳がキーンと痛くなるような無音の静寂。
広い室内は地下にも関わらず、身を引き締められるようなひんやりとした冷たさはあるものの、埃っぽさはなく空気が澄んでいるような気さえしていた。
目の前には台座から落ち、倒れた女神像が二体。
7・8マトル以上はあるだろうか。
傍らで、魂の抜けたように呆然と立ち尽くして女神像を見つめながら涙を流して感動に打ち震えているヒューク司祭を横目に物思いにふける。
今日一日でヒューク司祭のいろいろな一面を見た気がした。
いつもは聖職者らしい穏やかな口調で俺達に神様のことや勉強を教えてくれたり、村の人たちの相談に乗ったり病気や怪我の治療をしてくれていたりする心優しい頼れる司祭様。
だけど、ずっと前からこの地に古き神殿があると信じ、一人で探し求めてきた強い意志を持っている人だと言う事が分かった。
一つの物事を長きにわたり追い求め続けられる心。
すごいな。
素直にその言葉が出てくる。
逆に、それ以外の言葉が浮かんでこなかった。
「石造? 女神さま? ……両側に一体ずつ、これ村の教会にあった月の双子母神エボーナ神様とボニーナ神様だよね」
「うん、そうだね」
その表情は慈愛に満ち、穏やかな微笑を湛えている。
「それにしても教会にあった像よりも物凄く大きいね」
「うん、俺達が5人分くらいは有りそうだね」
「倒れちゃってるね。何かかわいそう」
ふと、リノアが俺の隣りでポツリと呟いた。
「可哀想??」
「うん、かわいそう」
俺はリノアの横顔を一度見た後に女神さまの顔に視線を戻す。
ただ単に、石像が地震の影響で倒れたのだろうと漠然と思っていた俺はリノアの一言にちょっとホッコリした。
言われてみればそう見えなくもない。
「リノアさんらしい表現ですね」
やっと意識が戻って来たようで、ヒューク司祭が話に加わってきた。
「でも、俺たちじゃどうしようもないよ。多分、大人が何十人も力を合わせないと動かせないんじゃないかな?」
「うん、そうだね」
俺たちはしばらく、女神さまの像の周りを回ったり、大広間のあちこちを見て回ったりしていく。
「女神さまたちの像は倒れているのに壁や天井は崩れたりひびが入ったりしている様子がありませんね」
それどころか、長い間放置されていたにも関わらず床には塵一つ落ちている様子がない。
「神の力が働いている、もしくは最近まで働いていたと思われますね」
「神様の力ですか?」
この世界には直接的に神の力というものが存在している。
俺がリノアを庇ってイノシシとぶつかり、右腕を折った際、ヒューク司祭が俺の右腕に掛けてくれた治癒魔法がそれだ。
「恐らく、去年の地震か、先程の連続した地震で倒れたのでしょうね」
「でも、それにしては像も床も全然壊れていませんね」
「確かに……変ですね」
ヒューク司祭が顎に手を当てて考え込む。
石の床には女神さまの像が倒れて砕けた石の欠片はおろか埃すら落ちていないように見える。
初めからこの状態で造ったとか? ……ないな。意味が解らないし。
「まるで、神様の像が自分で横になって眠ろうとしているみたい」
「巨大な像が自ら横になって、ですか? リノアさんはおもしろい見方をしますね……そうですか、眠りに……そうかもしれませんね」
リノアが子どもらしい想像力を働かせている。
確かに、倒れていて間近で見ることの出来るようになっている女神様達の表情はとても穏やかで、リノアのいうように見えなくもない。
「あれ? でもそうすると」
「でも、このままにしておくのはやっぱりかわいそう」
「そうですね。ですが、わたし達では動かせませんし。パスレク村に戻ったら、ラドンツの町と中央に手紙を書いて、どうにかできないか頼んでみましょう」
「えっ、でも、ヒューク司祭しかここに神殿があるなんて思ってなかったんでしょ? だいじょうぶですか?」
手紙を書いたところで相手にされるかどうか。
それに、ドラマなんかであった功績の横取りとか。
ヒューク司祭は人が良いから、心配になってくる。
折角、長い間掛けてヒューク司祭が探し出したのだから、それまで見向きもしなかった連中を見返してほしい。
そんな思いが浮かんでくる。
ヒューク司祭本人はそんな事考えてもいないだろうけど。
努力は報われるべきだし、評価は正当にされるべきだと思う。
「フォルト君、心配してくれて有難うございます。その辺りは心配しなくていいですよ。調査隊がここに来て、実際に見てもらえれば疑いようのないことですからね」
「そう言えばそうですね」
ヒューク司祭もその辺はちゃんと考えているのだろう。穏やかに微笑んで言った。
でも、そうだとすると……。
「でも、それなら今はもう神様のお力は失くなっているんですか?」
リノアも同じことを思ったのだろう。俺と同じ考えを口にした。
「そうかもしれません。……いずれにしても、これから詳しく調査していくことになります。心惜しくはありますが、戻りましょう」
「「はい」」
俺たちは本当に名残惜しそうにするヒューク司祭と共に神殿遺跡の大広間を後にした。
「ヒューク先生、見つかって良かったですね」
「おめでとうヒューク先生!」
洞窟の天井の穴が空いている所まで向かう途中、俺とリノアは改めてヒューク司祭におめでとうと言う。
俺は何となく今は『司祭様』ではなく『先生』の方が合っている気がしてヒューク先生と言っていた。
リノアも同じ気持ちだったのか、同様に先生と言っている。
「……有難う、ございます」
ヒューク先生も感無量といった感じだ。
◇
洞窟の天井の穴の下。
ヒューク司祭が先にロープを登って上の安全を確認した後、体にロープを括り付け、一人ずつ登りながら引き上げてもらうことになった。
まずはリノアからだ。
「フォルトちゃん、絶対に上を見ちゃダメだからね」
リノアがスカートを抑えて、少し顔を赤くしながら言う。
「えっ、ああ、そうか。スカートか。でも万が一落ちたりしたら大変だろ?」
「だいじょうぶ、お腹で紐を括り付けてあるし、わたし身が軽いもん!」
確かにヒューク司祭が引っ張り上げてくれるし、自分でも登れば大丈夫だろう。
リノアは森と共に暮らすパスレク村の子供らしく、小さな女の子とはいえ木登りも得意な方だ。
俺から見ても運動神経は良いし、身が軽いと思う。
さらに毎日この一年以上、俺と一緒になって朝のトレーニングをやっているから、基礎体力も村の同世代の男子と比べても高い。
「分かったよ。ほら、後ろ向いているから、これでいいだろ?」
見ていた方がもしもの時に安心じゃないかとも思うけど、足場は一応俺達が落ちた時に俺が空間収納から有りっ丈出した草が敷き詰められているのでクッション替わりには十分なのは俺達が落ちた時で証明済みだし、ここはリノアの気持ちを汲んであげることにした。
俺はそんなに鈍感ではないつもりだし。
リノアがロープを伝い登っていく気配を背中で感じつつ考える。
それにしても。
推測でしかないけれど、この神殿が会ったからこそ、この上のアストランの森に魔物が寄り付かなかったのではないのだろうか?
だとすると、今の子の状況。
女神さまの像が二体とも倒れてしまっていると言う事は、この神殿の力が失われてしまったという事なのかもしれない。
それは今後、このアストランの森に魔物が出る事になることを意味しているのではないだろうか?
俺には神様の力とか気配とか、感じ取ることは出来ないけれど、ヒューク司祭なら分かるだろうか?
謙遜しているけど、初級の治癒の神聖魔法を使えるヒューク司祭でも神様を感じ取るのは難しいのかな?
「んっ?」
そんなことを考えていると、俺の『空間収納』の『福袋』の中に何かが入った感覚があった。
少し予想はしていたけれど、やっぱりそうだ!
これはボムビックアントを倒したことによるものだと思う。
多分、アシュランベアの時と同じで、俺が攻撃を加えてから魔物が死んだので、俺が倒すのに貢献したという扱いになったのだと考えられる。
今回の一件で、俺の予想通り魔物を倒すことによって、俺の中の『空間収納』の『福袋』に前世の世界の品物が入ることに間違いなさそうだということが分かった。
えっと、それじゃあ『福袋』の中身は?
俺はどうせリノアが登っている間背中を向けて突っ立っているだけで暇なので、空間収納の福袋の中身を確認する為に意識を集中することにした。
……。
砂糖(上白糖)×5
砂糖(黒糖)×2
全部で7つ。無我夢中で石を投げていたけど、どうやら7匹のボムビックアントに当たっていたようだ。
もしかしたら、当たってはいたけど、崩落に圧し潰されずに逃げ延びたのもいたかもしれない。
でも、砂糖がなんで2種類あるんだろうか?
違いが解らない。個体差? 雄雌? それとも適当?
折角魔物を倒すことで『福袋』に品物が入ることが確定したのに、また疑問が増えた。
「フォルト君の番です! ロープを降ろしますね」
リノアが登り切り、俺の番になったのか、洞窟の天井の穴の上から声が掛かる。
「はい!」
俺は振り向き、頭上から降ろされるロープを眺めていた。
ヒューク司祭の隣りからリノアが心配そうに顔を覗かせている。
~ ~ ~
「倒れちゃってるね。何かかわいそう」
「可哀想??」
「うん、かわいそう」
~ ~ ~
不意にさっきの神殿での大広間でのリノアの呟いた言葉が頭に浮かんできた。
石像が倒れているのを見てかわいそうか。その発想は子供でいて子供じゃない今の俺には出てこない発想だな。
前世みたいにクレーン車みたいなのが有れば元の位置に戻すのも可能なんだろうけど、この世界だとどうやっているんだろう? これだけの建造物を作り出しているんだからそれなりの技術は有るんだろうけど。
……。
「フォルト君、どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
俺が黙り込んで立っていたのを心配してか、ヒューク司祭が声を掛けてくれたその時。
あっ、そうだ!
俺の頭の中に閃くものがあった。
出来るかは分からないけど、良い事を想いついた。
「ヒューク司祭、リノア、ちょっと待ってて。忘れ物を取りに行ってくる。すぐ戻るから」
試して見る価値はあるだろう。
「あっ、フォルトちゃん」
「フォルト君?」
俺は二人に告げると、急いでさっきの女神像の有る大広間へと走っていった。




