24 俺が日々を過ごす中で、ある人を見かけたんだが
マイクスさんの家の火事の一件からしばらく経ったある日。
モヤモヤした気持ちは残るものの、おれはいつもと変わらぬ日々を過ごしていた。
オズベルト父さんから森や川でのいろいろな技術を教わり、ヒューク司祭から文字や計算、動物や魔物の知識を教えてもらい、ボライゼお爺ちゃんから剣の稽古をつけてもらっていた。
森の奥に行ってみたい衝動には何度もかられたが、前世でもこういう時不用意な行動をした場合、碌な結果にならなかった記憶がある。
だから、そんな時は木剣を振るったり、投げ込みをしたり、人のいない所を思いっきり走ったりして気を紛らわせていた。
あとは鼻呼吸での深呼吸かな。丹田、ヘソの少し下辺りに意識を集中して。
それでも、やはり気になってしまう。
「これじゃあ、俺もデミスとアグレインの事言えないな」
俺はいつもの薬草取りの時に休憩に使っている岩の上に腰を下ろしながら、苦笑交じりに呟いていた。
◇
「人と同じくらいの中型の魔物としては森の身近で生息しているものとして、まず『ユニホンラビー』があげられるでしょうか」
ヒューク司祭……先生が、いつものようにミリアーナ先生から本を受け取り、開いて皆に見せながら魔物の話をしてくれている。
「可愛い!」
小さくて可愛らしい物が大好きなククルが絵を見て思わず感想を述べていた。
「そうですね。『ユニホンラビー』は遠目で見れば、一見どこにでもいる野ウサギのように見えますが、大きさは大型のクマ……人より少し大きいくらいの大きさで、額に一本の鋭い角を生やしています。この角は非常に硬く相手に真っ直ぐ突撃していき、その角で得物を突き刺して仕留めます。どのくらい堅いかというと、この森に生えている皆さんが2人で手を繋いで囲めるくらいの太さの木なら、突き破れるくらいの堅さと威力があります」
「げっ! マジかよ!」
小型だが、アルマジラットという魔物に突撃を受け気絶させられたことのあるデミスが、顔をしかめて言う。
声には出さなかったが、同じ経験をしているアグレインも思い出したのか嫌そうな顔をしていた。
「大きさのことでクマのことを言ったので、こちらを……『アシュランベア』という中型のクマのような魔物ですが、腕が右左3本ずつ、全部で6本あります」
ヒューク先生が本のページをめくって俺たちの方に見せる。
そこには確かに6本腕のクマが立ち上がって腕を広げている絵が描かれていた。
「この『アシュランベア』は力がとても強く……」
……
◇
『『ヒューク先生、ミリアーナ先生さようなら!』』
「はい、さようなら」
「気を付けて帰って下さいね」
ミリアーナ先生がニコニコとヒューク先生の隣で手を振っている。
俺たちは授業を終え、いつものようにヒューク先生とミリアーナ先生に見送られながら教会を出ると、それぞれ家に向かって歩き出した。
今日もいつものメンバーは途中まで一緒だ。
そろそろアムルト兄さんは10歳の誕生日を迎えるので、教会での勉強は終わりとなり、家や他の所の手伝いを本格的に始めることになる。
特に卒業式みたいなものはないらしい。
アムルト兄さんの場合、近所のマーティスさんの畑を手伝うことが決まっている。
「あれ?」
「どうしたのククル?」
立ち止まったククルにリノアが尋ねる。
「あれ見て、馬車が」
ククルの指さす方向、道の先に馬車が見える。
村長の家の前で止まっている馬車は、村に行商に来る馬車と違ってシンプルだが、綺麗に飾られたしっかりとした作りだと分かるものだった。
「すごい! 綺麗な馬車!」
シスカが目を輝かせて言う。
「そういえば、近いうちに村長の家にお貴族様が、森の向こうの別荘に行く途中にこの村で休憩していくって、爺ちゃんたちが話してた」
アグレインが思い出したように皆に聞かせてくれた。
この森には魔物が出現せず、森の周りも魔物が少ないそうで、安全な土地柄、村のさらに向こうには貴族の別荘地があるらしい。
森と言っても広大なため、近くのラドンツの町から別荘地まで馬車で行ってもかなりの距離があるそうで、途中にあるこのパスレク村で宿泊していくことが時折あるらしい。
過去におぼろげだがその光景を見た覚えがある気はするんだけど、赤ちゃんだったため殆ど記憶に残っていない。
馬車を見てみるが、家紋らしきものは付いていなかった。
前世、ネットやテレビでロイヤルウェデイングのパレードの行列の画像を見たことがあったけど、そのときは確か、馬車に誰が乗っているのかを示す為、馬車にその家の家紋を飾るなんて解説があったけど、この世界じゃ違うのかな?
まあ、家紋が付いていたとしても、家紋の見分け方なんて知らないから、何処の誰かなんて分からないけどな。
「なあ、行ってみないか。もっと近くで見てみたいし」
デミスが興味を惹かれたように近付いていこうとする。
「やめておこうよ。お貴族様の馬車だぞ。失礼があったら剣で斬られちゃうかも」
アグレインがデミスの腕を掴んで真剣に止めている。
「そうだな。遠目に見ているだけにしておこう」
俺も同意する。
この村では貴族に会うなんてことはないが、親たちの話で街では貴族の怒りに触れて剣で斬られたという話があるという。
前世じゃ考えられない事だし、良くある田舎の村の小さい子どもに対する躾のための怖目の作り話かとも最初は思ったけど、どうやら本当の事らしい。
そんな事を話していると、俺達からは見えなかった位置、馬車の影から二人の男女が姿を現した。
同じ白色の制服のような衣装をを身に纏っている。
20歳くらいの凛々しい感じの女性と、オズベルト父さんくらいのスリムだが良く鍛えられている引き締まった体つきの男性が馬車の扉の両側に立ち並んだ。
「おい、あれ、本物の剣だぜ。カッコイイな」
ドラゴンやドラゴンが出てくる英雄の話が好きなハワルト兄さんが少し興奮した声で言う。
「ほんと、ハワルトは、こういうの好きだよな」
アムルト兄さんは卒業? が近いせいか、最近、少しずつしっかりした口調になってきている気がする。
馬車の二人をよく見れば、二人とも腰に剣を携えていた。
おそらくは護衛の騎士なのだろう。
木剣じゃない本物の剣を現実に帯剣している人を初めて見た。
森の仕事で、斧や鉈を持っている人にはしょっちゅう出会うけど、あれは何て言うか『道具』という認識が強い。
けど、剣はやっぱり刃物としては俺の中では別物で『武器』のイメージが強い。
カッコイイという気持ちが有るのも確かだけど、前世日本では道端で堂々と武器を持って歩いているという光景は、なんだかとても物騒に思える。
その考えは多分間違ってはいないのだろう。
ただ、この世界ではそうではないだけで。
「馬車の中にはどんな人が乗っているんだろう?」
ククルが興味深そうに言う。
「きっと、カッコイイ王子様よ!」
シスカが更に目を輝かせて答えた。
その時、男性が馬車の扉を丁寧に開けた。
そして、もう一人の女性騎士が中に向かって手を差し出す。
その手を取って馬車の中から現れたのは一人の少女だった。
少女は女性騎士に手を取られて降り、村長の家の中へと入って行こうとしていた。
ここからでも分かる輝くような茶色の長い髪をした理知的な顔の少女。
多分俺たちと同じくらいの歳だろうけど、やっぱり住む世界が違うんだなって感じがする。
「残念だったなシスカ、王子様じゃなくて」
デミスがからかう様にシスカに言う。
言われたシスカは残念そうではあったが、そこまで期待していた訳ではなさそうで、デミスの言葉を軽く流していた。
ふと、チラリとこちらを見たような気がした。
「おい、こっち見たぜ!」
デミスが興奮気味に言う。
「かわいい」
ククルが感動したように呟いている。
「やっぱり、きれいだよねえ。服とか飾りとか」
シスカも興奮しているようだ。
そのまま、貴族のお嬢様は村長の出迎えの挨拶の元、村長の家に入っていった。
◇
日課の野草取りを終えて、少し休憩してから家に帰ろうと思い、座れそうな手ごろな岩場か切り株が無いか探し、手ごろな倒木を見つけたのでそこに座る。
今日は少しだけ森の入ったところに来ている。
別に我慢しきれずに、森の奥に入ろうと思ったわけじゃない。
いつも同じ場所だとだんだん取る物がなくなって来るので、場所を変えているだけだ。
だから、そこまで森の中に入ったという訳では無い。
あれ?
俺が休んでいると遠くにちらっと人影が見えた。
間違いない。
遠くの木々の緑の間に人影が見える。
目を凝らしてよく見てみれば、紺色の服に銀色の髪。
あれはヒューク司祭。
以前にも森の中で出会ったことがあったけど、司祭様が森に何の用だろう?
村に住んでいる訳だから、森に入るのは別におかしい事じゃないけど、いつも教会にいるイメージがあるから、何と無く司祭様と森っていうのが違和感を覚える。
不意に興味が湧き、俺は倒木から立ち上がる。
(後をつけてみよう)
俺はこっそりと隠れてヒューク司祭の後をつけてみることにした。




