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第七夜

 百姫と左京ノ進は町外れのとある古寺にたどり着いた。


「ここは……本当に寺……なのか」


 本堂の瓦は所々抜け落ち、漆喰の壁はひび割れも酷い。正門の側にそびえ立つ御神木がこの寺の歴史を物語ってはいたが、その寺の佇まいはお世辞にも由緒ある寺のようには見えなかった。


「はい。こちらに私が世話になった和尚様がおられます」

「だがまったく人が住んでいるような気配がしないぞ」


 百姫は眉に皺を寄せて明らかに怪訝な表情を浮かべた。


「心配ご無用です。昔からこのような寺でしたので」

「そ、そうか。で、その和尚とやらは、お前が言うような信頼できる者なのか」

「和尚様は私のような孤児を引き取りここで親代わりに育ててくださいました。寺はこんなですが、実に立派なお方です」


 そう言って左京ノ進が一点の曇りもない目をして答えたので、百姫は疑ったことを申し訳なく思った。


「お前の育ての親ならきっと素晴らしい御仁なのだろうな」

「もちろんです。さぁ参りましょう」


 左京ノ進に誘われて歩を進めたが、人が住んでいるような気配は全くない。


「ひょっとしたら、もうここには居られないのではないか」

「そんなはずは……きっと裏庭で掃除でもしているのでしょう」

「だといいのだが」


 不安にかられながら裏庭に行くと、そこに一人の老人の姿があった。見事に丸めた頭に反してあごに蓄えた白い髭。その風貌から六十代のようにも思えたが、芯が通ったように真っ直ぐ伸びた背筋が年齢を感じさせなかった。その老人は竹箒を垣根に立て掛けたまま、縁側で丸くなっている猫に何か話しかけているようだった。


「和尚様! お久しぶりです。左京ノ進でございます」


 その声に猫は立ち上がりこちらを注視していたが、よそ者だと気付くと遠くへ走って行った。


「やれやれ、相変わらず大きな声だ」


 和尚はこほんと咳を一つすると、振り返って左京ノ進を見た。


「そんな大きな声を出さずとも、わしの耳はまだ十分聞こえておる」


 左京ノ進はばつが悪そうに頭を掻いたが、和尚に向き会うと深々と頭を下げた。


「実はお願いがあって参りました」

「ほぉ、出て行ったきり顔も見せなかったお前が急にどうしたのだ? 」


 和尚は少し驚いた顔をしたが、それは左京ノ進の側に女性の姿を見つけたからであった。


「その連れの女性は誰なのだ? まさか妻を(めと)ったのか」

「いえいえ!違います!」


 左京ノ進はあわてて素っ頓狂な声で否定し、百姫もその横で顔を赤らめてうつむいた。その様子を見て和尚は笑い声を上げた。


「見たところどうやら訳ありのようだが、いかがした? 」

「それは……すみません。やんごとなき事情によりここでは申し上げられないのです」


 頭を下げたままそう言う左京ノ進を見て、和尚はあご髭を摩りながら百姫をじろじろと見直した。


「やんごとなき……か。まぁ良い、とにかく中に入れ。話はそれからだ」


 和尚はそう言って二人を中へ招くと二人に食事を振舞った。食事といっても麦飯とたくあんの切れ端、刻んだ大根の葉だけの味の薄い味噌汁だったが、どれも百姫が初めて目にするものでその表情はこわばっていた。


「和尚殿、あなたはいつもこのようなご飯を召し上がられているのか」

「左様。今日は急な来客でいつもよりちょっとばかり質素じゃがな」


そう言って和尚は笑った。百姫は最初は箸が進まなかったが、一口食べるとまるで堰を切ったかのように次々と口へと運んだ。


「和尚殿、この味付けはどうやっておるのですか。こんなに美味しいご飯は生まれて初めてです」

「ほぉ、気付かれましたかな。実はある薬味を入れてあるのですが、代々それは秘密でしてなぁ」


 そう言って和尚は目を瞑ると、勿体ぶる様子で顎鬚を何度かさすった。


「良いでしょう。特別に教えてしんぜよう。それは」

「それは?」

「空腹という薬味です」

「クウフク?それは南蛮渡来のものですか?」


 百姫をからかったつもりが、あまりにも真剣な表情で聞き返してきたので、和尚は大きな声で笑った。


「腹も膨れていくらか落ち着いたなら、風呂にでも入りなさい。着物も着替えると良かろう。その身なりのままでは目を引いてしまうじゃろうからな」


 和尚に案内された風呂場は昼間にも関わらず薄暗かった。着物を脱ぎ、湯が張られた木桶につま先からゆっくりと浸かる。すると脱衣場の外から和尚の声が聞こえた。


「昔ここが訳ありの女子を匿う駆け込み寺になっていた時期があってな。それはその頃に着せていた着物じゃ。ちと埃臭いもしれんが我慢しておくれ」


 脱衣所に置かれた竹籠には着物が丁寧に折り畳まれていた。袖を通すとほのかに白檀の香りが漂い、思わず顔を埋めた。

 陽が傾き始めて一層薄暗くなった本堂では左京ノ進と和尚が何やら話し込んでいた。


「大蛇か。にわかには信じられぬ話だが、お主が真顔で言うなら本当なのだろうな」

「はい。全て真実です」


 左京ノ進はどうやらこれまでの経緯を和尚に話したようだった。和尚は座して腕組みをしたまましばらく考え込んでいたが、百姫の気配を察するとそちらへ向き直った。


「おお百姫さま、湯加減はどうでしたかな」

「和尚様、私のこともお聞きになられたのですね」

「こやつに聞かずともあなたが姫様だということは最初に会った時から気づいておりましたわい」

「本当ですか?」

「そりゃ、こやつがあなたに接する態度を見たらすぐにわかりますわい。女子慣れしていないこともな」


 そう言って笑う和尚の横で、左京ノ進は恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「で、儂は何をすればいいのかな」

「城内に居る者と話したいのですが、私が行ってもまた門前払いになるのは明白です。そこで……」

「城にも顔が効く儂に橋渡しをしてもらいたいということか」

「何卒、お力をお貸しください」


 左京ノ進は頭を深く下げた。それを見た百姫も必死に身を乗り出して和尚に懇願した。


「お願いです。早くこのことを伝えなければ父上や家臣の命が危ないのです!」

「やれやれ、姫様の頼みであれば断るわけにはいきませんな」

「ということは……」

「このような年寄りがどれだけ力になれるかわかりませんが使ってくだされ。ここも雨露くらいはしのげる。今夜から宿代わりにされると良い」


 その言葉を聞いて二人は手を取り合って喜んだ。


「ただしお姫様といえども、ここに居る間は炊事、掃除など一切の家事をやっていただきますぞ」

「もちろんです。な、左京、一緒に頑張ろうぞ」

「は、はぁ」


 左京ノ進は、結局自分がすることになるのだろうなと思って下を向いた。


「それともうひとつ、お願いがございます」

「なんだ。まだあるのか?ついでじゃ申してみい」


 左京ノ進は真顔に戻り姿勢を正すと、両手をついて頭を下げた。


「この寺に伝わる名槍(めいそう)鬼貫(おにつら)を貸してはいただけないでしょうか」


 それを聞いて和尚の顔色が変わった。


「なぜ鬼貫を所望するのだ」

「鬼貫には妖怪変化を滅する力があると聞いております。百姫様をお守りするには鬼貫が必要なのです」


 和尚は鼻で笑うとひとつため息をついた。


「やれやれ、そんなことだと思っておったわ。ならば覚悟は出来ておるということだな」


 和尚の問いに左京ノ進は無言で頷いた。


「よかろう。ではついて来い」


 本堂を出て行った和尚の後を追うと、離れにある古びた建物にたどり着いた。その中は外観からは想像がつかないほど整然とした空間が広がっており、良く磨かれた床板は、見下ろした顔をうっすらと映すほど艶やかであった。


「ここで毎日お前を鍛えたな」

「はい。まるで昨日のようです」

「覚えていたのだな。あの約束を」

「勿論です。約束を果たすため今日まで腕を磨いて参りました」


 和尚は壁にかけていた槍を手に取った。


「良かろう。では受け取れ」


 左京ノ進に手渡したその槍は普段の稽古に使う木槍ではなく、一文字の鋭い素槍だった。


「和尚様、一体何をするつもりですか? 左京も止めなさい!」


 止めに入ろうとする百姫を左京ノ進は片手で制した。


「良いのです。もう引き下がる訳にはいきません」

「しかし……」

「後生です。どうか私の我が儘をお許しください」


  左京ノ進が発した感情むき出しの言葉を初めて耳にして、百姫も黙って引き下がるしかなかった。


「では始めよう」


 二人は槍を手に道場の中央に進むと、静かに向かい合った。そして互いに礼を済ませると、ゆっくりと槍を構えた。


「さぁ本気でかかって来なさい」


 左京ノ進は呼吸を整え、摺り足で横へ移動しながら相手の隙を探した。しかし和尚も左京ノ進の動きに合わせて横へと移動していく。二人は円を描くようにして互いの出方を伺っていた。


(この空気に圧倒された瞬間、師匠の槍が俺を貫くだろう。恐れるな左京ノ進)


 左京ノ進は一つ大きく息を吸うと、びりびりと周囲を震わせるほどの気合を発した。そして息も着かせぬ間合いで左京ノ進は和尚の喉元をめがけて槍を繰り出した。

 だが和尚は半身になってそれを余裕でかわすと、横腹めがけて槍を突く。左京ノ進もそれを柄で弾くと、槍をくるりと一回転させ横一文字に斬りつけた。和尚は跳躍してかわすと同時に、上段から槍を振り下ろしたが、左京ノ進はそれを読んで背後に飛んだ。

 

 互いの槍が流れに合わせて目にも止まらぬ早さでぶつかり跳ね返しあう。百姫はどちらかに危険が及びそうになればすぐに割って入るつもりで構えていたが、まるで息があった舞を見せられているようで思わず見とれてしまった。

 これまで御前試合で武芸家たちが繰り広げる試合をいくつも見てきた百姫であったが、これほど熾烈で高貴な闘いを見たのは初めてだった。


 百姫が思わず口を開けたその時、和尚の槍が左京ノ進の視界から消えた。左京ノ進が振り返った時には、その槍は百姫のいる方へ一直線に飛んで行ったのだ。


「姫!」


 槍は百姫の横をすり抜けて床に突き刺さっていた。


 その穂先には真っ二つに切り裂かれて息絶えた蛇の死骸があった。


「その蛇が背後から姫様を狙っておったようだ」


 左京ノ進は呆然と立ち尽くすしかなかった。和尚は振り向くと左京ノ進に言った。


「腕は上がったが周りが見えておらんな。まだまだお前に鬼貫は任せられん」


 和尚は刺さっていた槍を引き抜き壁に掛けると、一礼して道場を後にした。 

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