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第六夜

 城内は百姫が連れ去られたという事実が明らかになり騒然としていた。

 大殿は報告を聞くなり酷く狼狽したが、そのすぐ後に左京ノ進が百姫を連れ戻し、かすり傷一つなく無事であることを知らさせると、安堵のあまりその場に力なくへたり込んだ。そして自分の目で無事を確認しようと百姫の寝所に駆けつけたが、突然の出来事に動揺していると左京ノ進から聞き、結局は障子越しに無事を確認することしかできなかった。

 今回の事件を受けて、婚礼の日まで蟻一匹通すこともあってはならないと城内の警備は一層厳しくされた。そして百姫の寝所前には念を入れて常に左京ノ進を控えさせておくことになった。


「百姫様。少しお話をよろしいでしょうか」

「左京ノ進だな。入りなさい」


 左京ノ進は許可を得ると辺りを警戒しながら寝所へと入った。百姫は布団の上で横になって背を向けていたが、体を起こす事なく首だけを左京ノ進がいる真後ろに向けた。それは普通の人間では到底出来ない芸当であった。


「で、その後首尾はどうだ」

「何も問題ありません」

「我らの正体に気がついている者はおらぬな」

 

 二人の表情まるで人形のように冷淡で無感情に見えた。


「城内にいるのはほとんど心弱き者ばかり。操るのも易いものです」

「そうか。この国を手に入れられるのも時間の問題じゃな」

「はい。全て母様の思惑通りです」

「この国を手に入れればあの小娘を捕らえることなど造作もないことだ」


 百姫は初めて表情を崩すと唸るような低い声で笑った。


「ただ……」

「ただ、どうしたのだ? 」

「家老の桐山多聞(たもん)とその息子の主馬(しゅめ)。こいつらは一筋縄では行きそうにありません」


 百姫はようやく体を起こして左京ノ進に向き合った。


「お前の睨眼(げいがん)を持ってしてもか? 」

「申し訳ありません。母様ほどの力がなければ難しいかと」

「ほぉ、ならば他の手を打つしかあるまいな」


 百姫は再び低い声で笑うと、二つに割れた舌をちろちろと出し入れした。



 城内で馬廻りを務めている桐山主馬(しゅめ)は家老の桐山多聞(たもん)から、奥の小部屋に呼びだされた。


「父上、こんな所に呼び出すとは一体何の用ですか」


 そこは昼間にも関わらず日が差し込まない薄暗い部屋だった。両腕を組んで座していた多聞の眉間には、深い皺が刻まれている。


「まぁそこに座れ」


多聞は立ち上がり障子を開けて廊下に人影が無いことを確認すると、音を殺すようにそっと障子を締めて再び腰を下ろした。


「呼んだのは他でもない。今朝の事件についてお前の意見を聞きたいと思ってな」

「百姫様が連れ去られた件ですね」

「お前は何かおかしいと思わんか」


 主馬は父の言葉を聞いて小さくため息をついた。心配性の多聞の事だから、また今夜から寝れぬ日々が続くのだろうと容易に想像できたからであった。


「賊による金銭目当ての仕業だったと聞いておりますが」

「うむ。だが誰にも気付かれずどうやって城から連れ去ったのだ?」

「父上は城内に協力者がいると? 」

「それは分からん。だが肝心の百姫様も寝所に閉じこもったまま出て来られぬ。左京ノ進に問いただしたが、賊に逃げられたためそれ以上のことは判らんの一点張りなのだ」


 主馬は腕を組むと首を傾げた。


「確かに左京ノ進が取り逃がすとは珍しいですね……」

「お前は左京ノ進と旧知の仲であろう。何か聞いておらんか」

「そういえば……」


 実は望月左京ノ進について、奇妙に思うことが一つあった。

 左京ノ進が城に召し抱えられて以来、同い年ということもあって二人は互いに武芸を研鑽(けんさん)し合ってきた。主馬が十代にして馬廻りとなり、左京ノ進も百姫の従者となった今でも、顔を合わせれば必ず言葉を交わすほどの親しい間柄だ。

 しかし先ほど城内ですれ違った際の左京ノ進の様子は明らかに普段と違っていた。視線が合ったにも関わらず、左京ノ進はまるで見ず知らずの者に接するかのように何事もなく通り過ぎようとしたのだ。その様子を妙に思った多聞は背後から声をかけた。


「左京ノ進、朝からご苦労だったな。で、百姫のご様子はどうなのだ」


 しかし振り向いた左京ノ進の目は、生気の抜けたこれまで見たことが無い虚ろなものだった。


「それは言えませんね」


 その返事もまるで他人行儀のようで感情がこもっていなかった。主馬は一瞬(ひる)んだが、気を取り直して問いかけた。


「まさか姫の身に何かあったのか? 」


 しかし、その問いかけにも左京ノ進は首を傾げるだけで、少しも表情を崩さなかった。


「どうした左京、返事をしろ!黙っていては分からんだろう!」


 普段から左京ノ進がまさに身を粉にして百姫に仕える姿を見てきただけに、まるで他人事のような彼の態度は到底理解できなかった。しかし左京ノ進はそんな主馬の気持ちを全く意に介していないようで、詰め寄る主馬を振り切った。


「急ぎますのでこれで失礼」

「待て、様子が変だぞ! やはり何か隠しているのではないのか! 」


 そう言って左京ノ進の肩をつかんだ瞬間、主馬は得も言われぬ恐怖を感じた。すぐに手を引いた主馬を左京ノ進は鋭く睨みつけて言った。


「命を粗末にしたくないのであれば、これ以上私に近寄らぬことですよ」 


 それはまるで蛇が獲物をみるような冷たい視線だった。主馬は背筋が一瞬で凍りつき、そこから一歩も動くことができなかった。


(あのときの左京ノ進の様子……やはり何かおかしい)


 主馬は左京ノ進とのやり取りを思い返しながら、しばらく顎に手をやり思案していたが、やがて膝をぽんと叩くとおもむろに立ち上がった。


「父上、それでは私がこの事件の真相を確かめて参りましょう」

「頼めるか?」

「百姫が寝込まれてからというもの、大殿は(ふさ)ぎ込んでおられます。こんな時こそ父上が大殿のお側でどっしりと構えていただかなくては」

「ほぉ、お前に助言されるとはな。ならば大船に乗った気持ちで任せるとするか」


 多聞は息子の言葉を頼もしく思い笑みを浮かべたが、同時に一抹の不安もよぎった。多聞は主馬を見上げると真剣な口調で言った。


「良いか、決して無理をするな。嫌な胸騒ぎがしてならんのだ」

「心配ご無用です。すぐに解決してご覧に入れましょう」

「おまえのそういうところが心配なのだ」


 主馬の人並みはずれた洞察力と剣の腕は父である多聞が一番認めていたところである。しかしその若さ故に未だ恐れというものを知らない。それが父の唯一の心配であった。


「この件に城内の者が関わっているとなれば、それは常に敵に狙われているということだ。もしお前に……」

 

 そこまで言いかけて多聞は口を閉じた。


「自分のことはわかっているつもりです。誰よりも、もちろん父上よりもです」


 主馬は力強くそう言い放つと部屋を後にした。

 

(やはり真相を知るにはもう一度あいつに聞くしかあるまいな)


 主馬は中庭を眺めながら腕を組んだ。






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