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結晶の結界  作者: 茅原
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姉の夢の中。part4

「は、はい、愛してますっ」

「ふむ。よい返事です。まあ当然の答えなのですが」

「……は?」


予感もしない会話のやりとりに、蓮は呆然とする。すると、今さら自分が何を言ったか気づいたように琴音が、


「あ――」


 しまった、というふうに口を開けた。だが、椿はそれに構わず、


「では蓮さん、あなたにも訊かせていただきます。蓮さん、あなたは黒瀬琴音を愛しているのですか?」


 やはり来たか、と既にいくらか心構えしていた蓮は、


「い――」


 と口を開いたが、すぐに椿がそれを遮った。


「『いやそもそも愛の定義はなんだ』などと話を誤魔化すのはおやめください。どうしても定義がほしいと仰るのなら、『黒瀬琴音とともに、一対の男女としてこの世の全てを分かち合っていきたいと思えるか否か』ということで構いません。どうですか、蓮さん。あなたは、自分は黒瀬琴音を愛していると一切の迷いなく宣言することができますか」


「…………」


 逃げ道が断たれ、さらに恥ずかしさもあって蓮は何も言えずうろたえる。だがしかし、琴音は先程、流されてとは言え自分を愛していると言ってくれた。


受け入れるか否かとは別問題に、自分はそれに応えねばならない義務がある。そして自分は琴音が好きだ。琴音という人間に、他の人にはない魅力を感じている。だから自分はきっとこう答えるべきだ。と蓮は口を開く。


「ああ。俺は――」

「本当ですか?」


 蓮の言葉はまたもすぐに断ち切られた。椿は蓮を見据えながら、


「その言葉は、本当によくお考えになられての言葉なのですか。あなたは本当に琴音を愛しているのですか。愛する覚悟をお持ちなのですか」

「愛する覚悟……?」


蓮が訝り呟くと、


「はい」


 椿は強い眼差しで頷いた。


「その人を愛し、その人と全てを分かち合うということは、その人の苦しみまであなたも背負うということです。もしも今後、琴音に対するあなたの予測が外れ、計画が失敗に終わったり、もしくは全てを解決しても琴音の目が見えないままだったりした場合、あなたはどうなされるおつもりですか」


「…………」


 想像したくもない現実を突きつけられ、蓮は言葉を失う。椿は続ける。


「ここで目を逸らしても仕方がないので黒瀬琴音には遠慮なく言わせてもらいますが、蓮さん、黒瀬琴音はいわば不具者です。目が見えず、足が動きません。確かに黒瀬琴音は美しいです。あなたが魅力を感じられてしまったのも仕方のないことでしょう。しかし、その事実を忘れてはなりません。あなたは黒瀬琴音の端正な容貌に魅かれ、この世界へと導いた。確かに今はその内面にも魅力を感じているため黒瀬琴音へ思いを寄せているのでしょう。ですが、ですがあなたが黒瀬琴音の美しさに魅かれ、その美しい肉体を我が物にせんがため黒瀬琴音を正常に戻してやろうとしているという根幹は言い逃れのできないもので、そしてそれが叶わないならやはり関わるのはよそうというのは非情に残酷な行いであると言わざるを得ません」


蓮は何も言い返せない。椿は溜息のようなもをついて少し間を置いてから、


「実際、事は既にここまで進んできてしまっております。ですが、それゆえに、私と蓮さんが現実と夢の両面から黒瀬琴音を縛っている問題の解決に取りかかるその時を迎える前に、もう一度――最終最後の転換点としてあなたにお訊かせしていただきたいのです。いいですか、蓮さん、引き返すならばここが最後です。ここを越えれば、あなたはもう戻ることはできません。――蓮さん、あなたは本当に黒瀬琴音を愛しているのですか? もしすべてが失敗し、黒瀬琴音が不具者のままで、いやもしかすると今よりも酷くなったとしても、その黒瀬琴音という、重荷以外の何物でもないものを背負って人生を歩んでいく覚悟がおありですか。どうか正直にお答えください、自分のためにも、そして黒瀬琴音のためにも」


「…………」


 蓮は黙り込んだ。しかしそれは、答えに窮したせいではなかった。椿の勢いに押され思わず息を呑んでいただけだった。ゆえに、落ち着けば簡単に答えることができた。


「当然だ。俺はこのさき何があろうと琴音を愛し続ける」


 蓮は断言し、呆然と目を丸くする琴音を横目に一度ちらりと見やりつつ、やや不意を衝かれたように眉間に力を入れた椿に言った。


「姉さんはそもそも間違えている。俺が琴音に魅力を感じたのは、まずはその顔を見たからじゃない。歌と、そして波の音だけがある、あのこれまでに見たこともない綺麗な夢があったから、俺は琴音の力になろうと思ったんだ。そして俺は言ったことは必ず守る。琴音に『絶対に救ってみせる』と言った限りは、必ず救ってみせる。それはつまり、もし失敗したなら、俺は進んで琴音の目となり足となるということだ。その覚悟なら、とうの昔にできている」


 蓮は、やや瞠かれた椿の目を真っ直ぐに見返す。


 すると椿は、数秒、頭の中に何やら思いを巡らせているように黙ってから、


「……そうですか」


 やや詰まったような声で言った。


「解りました。ではこれより、黒瀬琴音は蓮さんの愛する人、つまり私も愛する人と考えて行動していきます。琴音も、それでよろしいですね」

「え? は、はい」


 琴音はまたも流されるような表情で頷く。


 蓮はこの恥ずかしいやりとりから早く次の段階へ話を進めるためにも椿に尋ねた。


「で、その行動とはなんだ? いやそれより、さっきの『術師』とはいったい誰だ」

「それは、おそらくもうあなたも琴音もなんとなく気付かれているでしょう。その人物です」


 椿は琴音を見やりながら言った。が、琴音は話を理解し切れていないように困惑顔をしているので、蓮が尋ねた。


「琴音の叔父――病院の院長だとかいう、黒瀬雪彦……か?」

「叔父さん……? 叔父さんが、何か……?」


 琴音は呟き、蓮と椿を交互に見る。椿はあくまで平坦に、


「まだ断言はできません。しかし、その男が琴音の自由を奪っている可能性が非常に高いと思われます。琴音もひょっとして、心のどこかであの男に押さえつけられているような気分がしていたのでは――いや、私のそのような勘ぐりに特に意味はありませんね……。ゆえに、まあそれは置いておいて、先ほど言ったとおりなので、琴音、これからはあまりあの男へ信頼を置かないようになさい。けれど、その不信を面に表してはいけませんよ。あくまでこれまでと変わらず、何事もないような顔をしていなさい」


「は、はあ……。い、いえ、でも、叔父さんがわたしの目を見えなくしてるなんて、そんな……! 叔父さんはずっと昔からいつもわたしに優しくしてくれて……!」


「何か意図があって優しくしているかもしれないということです。私はあの男と大学時代に知り合いでしたが、正直、あれにはあまりいい噂がありませんでしたし、私もそのとおりの印象を持っています。蓮さんは、あれと私が裏で繋がって何かを企んでいるのではないかというところまでお疑いになられていた――のかは解りませんが、どうかこの私の言葉を信じ、それは決してありえぬこととお思いください」


 椿ははっきりとそう言った。


 確かに自分はそう疑っていた部分もあった。しかし、椿が嘘をついているようには見えず、嘘をついていると疑う気にもなれなかった。蓮は尋ねた。


「それで……これからどうするんだ? 俺は無論、琴音の中へ潜って過去をやり直す。『火事から犬を救えなかった』というトラウマをやり直し、因果の逆転を正し、琴音を解放する。――つもりだった。でも、術師が絡んでいるんだとしたら……」


「はい。因果の逆転――というその話は初めて聞かせていただき非常に興味が湧きますが、私はこの夢の世界に関しては一文不知の人間でございます。ですので、その件について蓮さんには何も言うことはできませんが、そうですね、犬の死というものを利用して琴音に重い罪の念を抱かせ、無理矢理その『因果の逆転』とやらを引き起こさせている可能性もあります。まだ断定はしかねますが」


「そんな……」


 琴音は呆然としたような顔で呟く。蓮はそんな琴音に、


「いや、充分にありうる。お前がそこまであの男に信頼を持っているのもその証拠だ。催眠というのはラポールのない――つまり信頼を持っていない間柄ではかけることができないものだ。もしお前が暗示をかけられているのなら、必然的に黒瀬雪彦が最も怪しい人間になる」


 蓮は琴音にそう言ってから琴音を向き、


「じゃあ、姉さん。黒瀬雪彦がこの件に関わっていようがどうだろうが、琴音は琴音の中で問題を解決する必要があるんだから、俺たちはこのまま進めていく。というか、さっさとこっちの問題は片付けておいた方がいいだろう。琴音を病院に閉じ込めておくことが黒瀬雪彦にとって最も都合のいいことだとしたら、琴音が回復するということはあれの計画にとって最も痛い最後の一撃となりうるはずだ。姉さんは現実世界の方面から黒瀬雪彦を追い詰め、俺たちは先回りして最終地点で待っている。それでいいか」


「……正直、やはり簡単にはお答えしかねます――が、どちらにしてもいくらかのリスクは必然ですね……。はい、了解いたしました。しかし、琴音の回復が決定打となるのだとしたらそれゆえにあの男が簡単にそれを許すとは思えません。ですので、どうかご用心を」


「解ってる。一度した失敗を二度繰り返すつもりはない」

「そうですね、申し訳ありません。では――と、そうでした。琴音に一つ、尋ねたいことが」

「え……?」

「琴音、あなたの両親は今どこに? あなたの見舞いに来ている様子が全くありませんが」


「え……? あ……お、お父さんと、お母さんは……わか、解りません。い、一度も、わたしの部屋に来てくれたことがありませんから、今どこに、い、いるのかも……」


「一度も?」


 蓮が驚くと、琴音は小さく、うん、と頷いた。


「……そうですか」


椿はそう言って、悄然と視線を落とす琴音をじっと見つめた。が、やおらに腰を上げると、琴音の横へと行き、そのすぐ隣へ膝をついて、そのふくよかな胸へ琴音を抱き寄せた。


「え……?」


「なるほど。あなたは確かに不思議な魅力を持つ人ですね。蓮さんが魅き付けられてしまったことにも納得ができます。まだいくらかは認めかねますが、私もあなたを愛することができそうな気がします」


「あ、あの……」 


「大丈夫。あなたは孤独ではありません。このさき何があろうと、あなたは蓮さんと私の愛とともにあります。しかし、もし私たちの考えが全て間違いであなたを不幸へ落とすことになってしまったら、その時は――まあ、煮るなり焼くなり、あなたの好きにするがいいでしょう」


椿はそう言うと琴音から体を離し、そして蓮を見て、言った。


「では、また」

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