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結晶の結界  作者: 茅原
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記憶の操作の代価。

「は、はい、そうなんです。こちらのミスで、ビールを出せねばならないところをお茶を出してしまいまして、そのせいでウチとの契約はもう一切しないと……。

しかし、もしその契約が打ち切られてしまいますと、おそらくもう我が社の前途はないのです。で、ですので、どうか、あの方からあの日のお茶の記憶をなくしていただけませんでしょうか……? あなたの先代からよくしていただいていた縁もありますし、どうか引き続き……」


 というくだらない依頼を受けているせいで、呼倉蓮(よびくら れん)は今、周囲には田んぼ以外の何もない、少年時代の原風景のような田舎のあぜ道を――とある男の夢の中を歩いている。


 ――やっぱり、こんなくだらない依頼は受けるんじゃなかったか……。


 どうも気分が乗らない。広大な田んぼの間を行く細い砂利道を歩きながら、蓮は内心で不平をもらす。そして、正面からこちらへ向かって歩いてきている男へともう一度、視線を向けた。


 こちらへとやってくる、この長閑な風景とは不釣合いに高級そうなスーツを身に纏った小太りの男の名前は、村井昭夫。性格は傲慢で、絵に描いたような自信家。とある名の知れた小売会社の社長をしており、妻と、一人の娘がいる。


彼について蓮が知っているのはそれだけだった。しかし、これだけ知っていればなんの問題もない。


 蓮は一定の調子で歩を進めて、村井との距離を順調に詰める。そして、互いの表情もよく見え、声も届きやすいほどの距離までそれが縮まった時、彼に声をかけた。


「村井さん。これからお仕事ですか」


 尊大に胸を張りながら後ろ手を組んで、見渡す限り地平線まで続く田んぼへと目をやりながら歩いていた村井は、やや驚いたようにこちらを向いて立ち止まり、


「ん? ああ、君は確か昼間の高校生か。ああ、そうだ。これからちょっと仕事で日本のほうへね」

「そうですか。ところで、きのう休みがてらに行った取引先の会社で、ビールじゃなくてお茶を出されたそうですね」


 こんな気乗りしない仕事はさっさと終わらせたい。蓮は村井の思考を今日の昼間の記憶に無理やり誘導してやる。村井は顔をしかめながら頷いた。


「そうなのだ。全く、けしからん。わたしが『ビールを出せ』と言っているのに、わざわざお茶を出すとは、わたしを馬鹿にしておるのだ、あの会社は」


 そう言って村井が拳を握ると――場面が変わった。


 景色は建物内、どうやら依頼人の会社のオフィスである。


「さあ、どうぞこちらへ」

「うむ」


 この仕事を依頼してきた男に勧められて、村井は右手にあった扉の中へ入っていった。


『応接室』というプレートが貼られた、高級感のある木の扉が閉められたのを確認してから、蓮は周囲を見回した。


 なんの変哲もないオフィスである。さほど大きくない会社なのか、広くはないが、よく陽も入って明るい、見る限りどこも整然と片付けられている小綺麗な部屋だった。そのどこか温かな雰囲気の部屋の中で、二十名ほどの男性と女性が、それぞれに割り当てられたパソコンと向かい合うなどして労務に勤しんでいる。


 蓮はそのオフィスの中を見渡し、ちょうど一人の若い女性が入っていった小部屋へ目を向けると、そこへと足を向けた。そして、その小部屋――給湯室へと入り、急須から湯飲みへと湯気の立つ茶を注いでいた女性に命じた。


「お前はそこで立ってろ」

「はい」


 この会社のOLらしき女性は返事して、蓮の命令どおり壁際で直立した。蓮はそれを横目に見やりつつ、左手から黒手袋を脱ぐ。そしてその手袋をポケットへしまいながら、


「……これだけのために三百万か」


 溜息混じりに呟き、服の背中に縫い付けたケースから短刀を抜いた。刃渡り二十五センチメートルの、短刀と言えども重く分厚い刀である。


 その短刀を蓮は真上から茶へと突き立てた。濡れた和紙を貫くようなあっさりとした感覚で、ナイフは湯飲みに注がれた茶という空間に突き刺さる。柄の寸前まで突き刺さったナイフを軽く手前と奥へ動かして斬り口を広げてからそれを引き抜き、慣れた手つきでケースへしまう。


 そして、黄緑色の湯面にできている闇色の斬り口に、蓮はその左手を一気に捻じ込み、『喰』った。茶が、水が排水溝へ吸い込まれていくように、湯飲みごと斬り口の中へその姿を消した。


 消してほしいと依頼されているのはつい先日の茶の記憶だ。ゆえに記憶の深度はかなり浅い。十秒ほど『喰』えば充分だろう。


 蓮がそう思った――その時、水道の蛇口がぐにゃりと捻じ曲がって蓮の顔を向き、直後、それから蓮の頭めがけて弾丸が放たれた。


 蓮はそれを頭を少し後ろへ傾けてかわし、背から再び抜いたナイフで蛇口を斬り落とす。と、今度は電子レンジの中から野球帽を被った少年がこちらへ満面の笑みを向けながら這い出してきた。


 ――五、六……。


 十までを数えながら、蓮は少年の頭部へナイフを投げ刺してその頭部を霧散させる。が、少年はまるで頭を失ったことなど気付いていないかの様子でレンジからずるりと抜き出した身を起こし、飛びかかるようにこちらへと突っ込んできた。


 ――まだ少し足りない……!


 が、仕方がない。蓮は空間に開いた斬り口から左手を抜き、戸口のほうへと飛び退いて少年のタックルから逃れた。


そして左手に手袋をはめ直し、腰の裏に携帯していた銀のオート拳銃を両手に握り、攻撃を空振りして前のめりに転倒した頭のない少年へとその二つの銃口を向けた。瞬間――


 ぐるん、と世界が回転した。戸口の前に立っていた蓮は、背中から冷たい水の中へ落下する。


 中々やる。苛立ちと楽しさの混じった感情に、蓮はギリッと歯噛みしながら笑う。


 すると、やはりこちらを追って、給湯室の戸口から少年が水の中へ飛び込んできた。が、その直後から少年の体はまるで水流に翻弄されるように波打ち始め、同時に巨大化し始めた。そして気付けば、そこに一匹の鮫が現れていた。


「くっ……!」


 あれに『喰』われるのはマズい。蓮は下を向き、走って海の底へと潜った。しかし、速い。鮫は蓮が走るよりも数倍のスピードで背後に迫ってくる。


 蓮は両手から銃を捨てると、無人で並走する競輪用自転車を横に出現させ、それにまたがり思い切りペダルを踏んだ。しかし鮫のスピードには敵わない。じりじりと差が縮められていく。


 だが、これでいい。蓮は、懸命な様子で逃げる自分とそれを追う巨大な鮫を離れた場所で眺めながら、水面から白い蛍光灯の明かりを輝かせる給湯室の入り口へと泳いで上っていった。


 そうして、やっと給湯室へと戻ってきた――かと思いきや、そこは給湯室などではなく、どうやら全く別の建物の中、その廊下だった。


 血のように重い赤色の壁と薄汚れた白と黒の大理石張りの床を、天井から鎖でぶら下げられた白い蛍光灯が時おり明滅しながら薄暗く照らしている。


 その細長い廊下の突き当たりには、金色のノブが付いた黒いドアが一つある。だがその扉の前には、緩く吊り下げられた操り人形のような姿勢で、全裸の女性型人形が一体、立っている。


 床を向いていた人形の顔が、つつと上がり、生気のない二つの目が蓮を捉えた。


 動くもの何一つない、張り詰めた静寂が間合いに詰まる。だが、


 パチッ――


 と、蛍光灯が光を瞬かせてその静けさを破った刹那、人形が跳んだ。十メートルほど離れている蓮へと向けて、ほぼ直線軌道で頭から突進してきた。


 ガラス玉らしき目だけは貼り付けるようにこちらに向けたまま、体をきりもみ状に回転させながら突っ込んできた人形に、蓮は素早く両手に握った拳銃の引き金を躊躇いなく引いた。


 だが、その直前、人形は軌道を急激に変えて弾丸をかわし、まるで重力が逆転したように天井に張り付いた。そしてすぐさま、まるでクモのように天井と壁を這いながら再びこちらへと向かってくる。


「チッ……気色悪いんだよ!」


 と、思わず言いながら何発も弾丸を放ったが、その素早い不規則な動きに狙いが定まらず全く命中させることができない。蓮は拳銃に見切りを付けて投げ捨て、壁を這って突っ込んでくる人形へとこちらからも突っ込んだ。


元から縮まっていた間合いはほぼ一瞬で縮まる。無機物のはずの人形の口が、唾液の糸を引きながら不気味な音を立てて開いた。瞬間、


「っ!」


 背中から抜き右手に握った短刀を、蓮は人形の口へ突き刺した。肉を切る弾力的な感触とともに、人形の頚部から炸裂するような勢いで鮮血――黒色の液体が吹き出す。


 背を弓なりに反らしながら体を硬直させ、鼓膜が破れそうなほどの甲高い悲鳴を上げる人形から素早く短刀を抜き、床へと崩れ落ちた人形のその首根を蓮は踏み付けた。


 血の滴を滴らせる短刀を床に投げ捨て、蓮は、やけに生々しく血走る恨みのこもった目で足の下からこちらを見つめてくる人形の首を踏みつけながら左手から手袋を剥ぎ、その手で人形の頭を鷲掴んだ。


そして――『喰』った。


蓮の左手へと吸い込まれ、人形はその足先からゆっくりと消えていく。


 人形を完全に消し去ると蓮は立ち上がって、右手に滴る黒い血はそのまま、左手に手袋をはめながら奥の扉へと向かった。


扉を開けると無事に給湯室が見えて、蓮はほっと溜息とも安堵の息ともつかない息を小さく吐いた。


 無事に給湯室へと帰還して、目的の作業を再開する。お茶のあった場所に付いている斬り口に、再び手袋を脱いだ左手を突っ込む。そして、


 ――まあ、こんなもんだろう。


 と思った所で斬り口から左手を引き抜き、手袋をはめてから、その斬り口を右手で撫でて空間を綺麗に元通りにすると、蓮に命じられたままマネキンのように壁際に立ち続けている女性に言った。


「冷蔵庫からビールを出して、それを持って行ってやれ」

「はい」


 女性は返事して、空になった盆の上に缶ビールを一つとコップを載せてそれを持ち、普段どおりのオフィスが見える戸口から出て、応接室のほうへと歩いていった。


 女性が応接室に入っていくのを見送ってから、蓮はオフィスの出口へと向かい、そのガラス張りのドアの取っ手を掴むと、思わず眉をひそめた。


 くだらない。


 応接間から響く馬鹿笑いに嫌悪感さえ感じながら、蓮はオフィスを――村井の夢を後にした。

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