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結晶の結界  作者: 茅原
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夢のあと。

 そして、息を荒くしながらベッドで眠りに就いている琴音の肩を掴み、


「おい、琴音、起きろ……! おいっ……!」


 その体を揺らし、やや潜めた声で呼びかけた。


「……!」


 はっ、と浅く速く息を呑んで、琴音は苦悶の表情を解いて目を開いた。


 蓮は、じとりと汗が滲んだ琴音の頬にすぐに手を添え、言葉をかける。


「落ち着け、琴音。もう夢は覚めた。ここは病院のベッドだ。もうどこにも炎はない。どこも火事なんかにはなっていないから、安心しろ。もう夢は覚めた」


「――――」


 まるで限界まで走った直後のように肩で息をしながら、琴音は大きく見開いた瞳の目尻から涙をこぼして天井のほうを見つめる。


「大丈夫。ここは病院のベッドだ。もう安心していい」


 やっぱり念のために来ておいてよかった。そう思いながら言って、蓮はポケットから取り出したハンカチで琴音の涙を拭った。


「あれ……? わたし、泣いてた……?」


 自分の頬を撫でながら、琴音が言った。


「……ああ」


 蓮は力なく答えて、自分への腹立たしさから眉間にしわを刻んだ。


「悪い……。力に、なれなかった。それどころか、お前を危険な目に……」


 いくら夢の中で動くことに慣れているとは言え、それは一人で行動する時だけという話だ。自分以外の人――それも初めて夢の世界を体験するというような人を、安易な気持ちで夢の中という危険な場所へ連れて行った自らの浅はかさに、蓮は憤り呆れ果てる。


 しかし、そう悔やむ蓮に、琴音は柔らかく微笑みを浮かべて静かに首を振った。


「ううん、いいの……。わたしが混乱したのが悪かったんだもの。あなたは悪くないわ……」


 その笑みに言葉をどう返していいか解らず、蓮はその右手を強く握りながら立ち尽くし、やがて琴音に背を向け、


「なんとか……してみせる。俺が、お前を救ってみせる。だからそれができるまで、俺はここに毎日くる。じゃあ今日は、これで……」


 そう言うと、床に置いてある箱をリュックへ入れ、それを背負い、扉へと足を向けた。


「ね、ねえ、蓮」


 と、慌てたように琴音に呼び止められた。


「どうして? どうして、あなた、わたしにそこまでしてくれるの……?」


「――――」


 驚いて、蓮は言葉を失った。琴音の声に驚いたわけではない。自分が、自分でも驚くほどに琴音に執着していたことに我に返ったように気が付いて、驚いたのだった。


「ど、どうして……?」


 ほとんど困惑しながら、琴音の言葉を反芻する。既に一つ簡潔な答えがあるにも拘わらず何か他の考えはなかったかといつの間にか必死に考えて、しかし何ももっともらしい返事を思い付けないことに困惑した。困惑していると、


「あ……う、ううん。えと、い、いいのよ、別に答えなくて――じ、じゃなくて、あ、いや……え、えと……」


急になぜか琴音までもしどろもどろに言葉に詰まり始める。が、無理やり持ち直そうとするように強く頷いた。


「あ、ああ、解った。うんうん、そうか。れ、蓮よ、やはりお主、わらわに仕えたいのじゃな?」

「……は?」


「な、ならば、これからはわらわに仕えて、わらわにも夢の中での振舞い方について教えてくれるがよい。あれはわらわが――ええと……うん。あれはわたしが、なんとかしなきゃいけない問題で……。それにもしかしたら、わたしにどうにかできることなのかもしれないって解ったから……。正直あまり気乗りはしないけれど、でも、わたし、やってみたいわ」


病室は暗く、その表情はよく見えない。しかし、澄んだその声に偽りのない琴音の気持ちを聞いた気がして、おかげで蓮は救われた。


「……そうか」

「ええ。で、でも、そのためには、あ、あなたの――お、お主の力が必要なのじゃ。じゃから、お主はこれから忠実な(しもべ)となりてわらわに仕えるのじゃ。解ったな」

「……ふっ。いいのか? 夢に入るのなんて『変態』なんじゃなかったのか。『変態』なものを教わったりしてもいいのか、お前」


「なんの話じゃ? わらわはそんなことを申したことなど憶えておらぬ。というか、細かいことなぞ気にするでない。お主は黙ってわらわの言うことを聞いておればよいのじゃ」


「……そうかい」


 苦笑して、蓮は扉を開けた。


「おやすみ、蓮」


 後ろから小さく聞こえてきたその声に、蓮は部屋を出かけた足を止めて振り返る。そして非常口の緑色の明かりに微かに照らされる暗い病室を見つめ、その闇に、思う。


 琴音は今、こんなに暗い部屋の中――それよりもずっと暗い場所で、その顔に微笑みを浮かべている。彼女を闇の中から救うことに失敗した俺に対して、だ。彼女の期待を全く裏切ってしまった俺を、それでも信用してくれているのだ。


 後ろめたさのようなものにきつく心を絞め付けられながら、蓮は、おやすみ、と返して扉を閉めた。扉を閉めて、その場に立ち尽くす。


 どうしようもない悔しさで頭が痛くなる。そして同時に、自分は琴音に恋をしているのかという戸惑いが胸に満ちる。それらが混ざり合わさったどうにもならない感情が、背中に重たくぶら下がって前へ歩けない。


「クソっ……!」


 その感覚を振り切るように吐き捨てて、蓮は琴音の病室の前を去った。

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