幼馴染み(3)
「むりだよ! っていうかないよ! そんな、押すとか好きとか絶対にない!!」
「そうかしら……」
私の否定の言葉にも、朔ちゃんがペースを崩すことはなく。どこか不思議そうな表情すら浮かべながら、朔ちゃんはこてりと首を傾げる。
「私は直接会ってはいないけれど、中々魅力的な相手のはずだわ……」
「う…………ま、まあ……確かに、第一印象とかは……」
「でしょう……?」
朔ちゃんの意見は否定しかねる……まだほんの少ししか言葉も交わしてはいないから、完全に同意することもできないけれど、第一印象だけで言うなら、月くんはすごく素敵な人だった。
同世代の男の子とは……一般の男の人とすら、確実に一線を画す人。例えば神に愛されたっていうのが最上の表現になるのなら、それは月くんに使うべきなのかもしれない。内面を知れば、更にその認識が確固たるものになる可能性だってある。
……だけど、と。
そこで一度、熱を宿した思考を止めて、私はそっと笑顔を浮かべた。
「…………でも、やっぱり、それはないと思うけど……」
耳に届いた声からして、きっと曖昧な……もしかしたら、苦味すら含んだ笑顔になっていたのかもしれない。そう感じる程、私の声は弱々しかった。
――『好きになったら』。
それはもちろん、友達や家族に対するものじゃない。トクベツな意味での――恋愛的な意味での『好き』だ。
今朝見たユエくんの顔を思い出す。
綺麗な男の子だった。どこまでも綺麗な顔立ちで、歩き方一つにすら気品があって……強い瞳をしてる人。揺らぐことのない何かが宿っていそうな印象と相まって、酷く大人びて見えた。それだけで言えば、きっと彼は素敵な人だ。誰が恋に落ちたって不思議じゃない。私が惹かれることもあると思う――純粋に、それだけであれば。
彼は特別な人だ。纏う雰囲気から、既に普通の人とは違う。
――そういう人に、私は絶対に釣り合わない。
「私はともかく……ユエくんの方は、選ぶとすれば、もっと違う子だと思うし……」
あれ程の人だ。例えば女優さんとかモデルさんとか……そこまで特別な相手は選ばないとしても、相当良い相手を選べるはずだ。それこそ、私みたいに平凡な人間とは比べるまでもない程の。そう、例えば――……と、自然に思い浮かんだのは、どこまでも可愛い、この学校内でもアイドル的な存在となってる女の子。そして、目の前にいる親友にして幼馴染の朔ちゃんだ。二人ならきっと、月くんと並んだらすごく絵になるんだろう。今朝のマッチと倉前くんのように。
容易に想像できたその構図に、私は思わず苦笑した。例えば友達だとしても、何となく……私と月くんじゃあ、誰の目から見ても不釣り合いなんじゃあないだろうか。そんな考えが頭を擡げる。
そんな不安のようなものが顔に表れていたんだろう。朔ちゃんはどこか案じるような大人びた表情を浮かべながら、じっと私のことを見据えた。
「相性というものは、どちらか一方の想いで決まるものではないわ……」
「……うん…………それは、きっとそうだけど……」
「でしょう……? だから……」
そっと私の手を包む、小さな朔ちゃんの白い両手。外の空気に触れたせいか、少しだけひんやりとしているそれを何とはなしに見下ろしながら、私は一人で考える。
最高の相性。朔ちゃんのその占いの結果が本当であれば――こう言うと自信過剰みたいで気が引けるけど――私だけじゃなくて、今のところはユエくんの方も私に対して悪い印象は抱いてないはずだ。多分。
だって朔ちゃんの言う通り、どちらかが本気で相手のことを嫌だと思っていたとしたら相性が良くなるはずがない。一方がどんなに相手のことを好きだと思っていたところで、もう一方が拒絶をすれば良い関係になれるはずがないんだから。
そんな結論を朔ちゃんは最初から導き出していたんだろう。迷いのない眼差しと静かな微笑を浮かべながら、朔ちゃんの目が私を見据えた。
「そういうことよ……きっと、お互い幸せになれるわ……」
「……そう、かなぁ……」
理論上は納得できるんだけど、果たしてそのまま私に当てはめて良いものなのか。何がどう、って具体的な理由はないけれども、いまいち自信をもって頷けない。
最高の相性……それは本当に、純粋に嬉しい。仲の良い相手が増える、そう考えただけで幸せだ。
ただ、だからといって恋愛感情を抱くとか、好きになったら押していくっていう選択肢が私の中にあるかといえば、答えは否。
強気に行動する以前の問題。
――私は誰かに、恋をするつもりなんてない。
どうしても前向きに考えられないでいる私の手を、そっと包み込む朔ちゃんの両手。小さくて白いそれに、ほんの僅かだけ力が込められた。
「……自信を持って、姫」
"自信"。
朔ちゃんの口にした単語に、私は無言で私を見つめる朔ちゃんへと視線を当てた。
真っ直ぐに私を映し出す青い瞳を見つめれば、微かに私の表情が見える。決して明るいだなんて表現できないようなそれは、朔ちゃんの言う自信なんて欠片も見当たらない。
例えば朔ちゃんの言うように、私が誰かを好きになるような未来が訪れたとしたら。
私はそれを告げることはできるのか……一歩踏み込む勇気を出すことが、果たして私にできるのか。
色々と思考を巡らせていけば、やっぱり最後に辿り着く結論はいつも一つ。そしてそれは、決して朔ちゃんに対して告げられるようなものじゃない。
だけど、と。
そこで一つ思考を区切った私は、ゆっくりと視線を足元に落とした。
ほんの少しだけ、胸の中に小さな光のようなものがある。曖昧で、ともすれば今にも消えていきそうなそれは、けれども必死に存在を示し続けていて、無視することは難しい。例えて言うなら、そんな印象の感情が。
自信があるわけじゃない。何か確固たる理由が、確信があるわけじゃない。それでも、もしも……と希望を持ってしまうのは、きっとそれが私の本音だからなんだろう。
もしも朔ちゃんの占いが、今回も当たったとしたら……と。
本当に、そんな出会いだったら……なんて。今は夢としか思えない程の儚い希望を捨てきれないのも、事実だった。
今は本当に、笑われてしまうような、夢にしか過ぎない望みだけど、それでもと。
「……うん」
一つ、しっかりと首肯する。
例えば私が、誰かを好きになったとしたら……相手が誰であれ、朔ちゃんの示してくれたような未来が、もしも訪れたとしたら。
自分に自信は全然ないし、どうなるかも想像すらできないけれど。
――でも、いつか私も、前に進みたいからと。
そういう気持ちを、込めながら。
「ありがと、朔ちゃん!」
きっと私よりも私のことを心配してくれていて、幸せを願ってくれてる幼馴染。私よりも一回り以上小さなその手を握り返して笑えば、朔ちゃんもちょっとだけ笑ってくれた。
近しい存在だからこそ言えていないこともあるけれど、それでも朔ちゃんは何も聞かずにただ近い距離にいてくれて、何かあればそっと背中を押してもくれる。何よりもただ、それが私にとって一番嬉しい。
「……と、そろそろ時間かな……」
まだ予鈴も鳴っていないから余裕はあると思うけど、腕時計を着けていない私には詳しい時刻が分からない。ぐるりと周囲を見回してはみたものの、校舎の外壁にわざわざ時計が備え付けられているはずもなく。
戻るしかないか、とすぐに諦めた私の隣で、朔ちゃんは少しだけ首を傾げた。
「私は、空き教室に寄って戻るわ……」
「そっか。また占うの?」
「ええ……少し、気になることがあるから……」
ふつりと一度言葉を区切った朔ちゃんは、僅かに視線を落としながら少しだけ思案するように目を細める。それは決して楽しげなんて言葉で表現できるような表情じゃなくて、すごく気にはなったけど。
「姫は、先に戻った方が良いわね……」
そう続けた朔ちゃんの表情は普段と全く変わらないから、きっとそれほど深刻な内容じゃあないんだろう。そう結論付けた私は、ゆっくりと朔ちゃんの手を離す。
「分かった。じゃあまたね」
「ええ……また後で……」
手を振って、私は自分の教室へと引き返す。きっとまた、明日も朔ちゃんは私に会いに来てくれる。そう分かってるから、何度も振り返ることはしない。
だから、気付かなかったんだ。
朔ちゃんが、小さく息を吐いたことも。
「……一つ、言いそびれたけれど……」
困ったように、ちょっとだけ眉根を寄せたことも。
「……大丈夫よね……」
そんなことにも、何一つ。
* * * * *
廊下にいても分かるくらいの賑やかさに、少しだけ疑問を抱きなからも後ろ側の扉を開く。自然と耳に飛び込んでくるのは、主に女の子の黄色い声で。
「男の子らしいんだけど……何かフランスから来たんだって!」
「えーっ! 何何? 留学生!?」
「ううん、帰国子女だって!」
「何か向こうの人とのハーフっぽい!」
「ホントそれ! どこ情報!?」
どうやら話題はユエくんのこと……しかももう結構な噂が流れてるみたいだ。多分、教職員が話しているのを生徒の誰かが聞いたんだろう。盛り上がっている彼女達の間に割って入ることはしない。特に声をかけることもなく一歩外から聞いていれば、中央にいたマッチが私に気付いたみたいだった。大きな目が偶然私を捉えた瞬間、その顔に可愛らしい笑顔が浮かぶ。
「あ……っ! 姫ちゃんお帰りーっ!!」
「ただいま、マッチ」
声をかけてくれたマッチに返せば、マッチはとたとたと音を立てながら私の元へと駆け寄ってくる。
「今日ね、転入生が来るんだって!」
「みたいだね」
普段よりも幾分明るさを増してるマッチの声に頷けば、マッチはきょとんとした顔で首を傾げた。
「姫ちゃん、知ってたの?」
「知ってたっていうか……」
言葉に迷っていれば、会話が聞こえたんだろう、他の女の子達も視線を私に向けてくる。軽く見開かれている双眸は、どれも意外だと言わんばかりの驚きの色に染まっていて。
「え、何々?」
「白井さんって、転入生と知り合いなの!?」
「……まぁ、少しだけ……」
彼女達の言葉に、私は曖昧に頷いた。
知り合いと言っても、多分差し支えはないと思う。実際母親であるカロルさんとは親しいから、息子のユエくんは知り合いの範囲に入ると思うし。
……けれども、実際のところは私にもよく分からない。
だって私は、彼のことを全然覚えていないんだから。
でもユエくんの口ぶりからすれば、きっと私と彼は本来ちゃんとした知り合いなんだろう。少なくとも、彼の方には私はそう認識されているはず。そんな中で無関係だと言うのも憚られて若干言葉を濁しながらもそう返せば、彼女達は興味津々といった表情を揃って私へと向けてくる。