#4
バスを降りてから、どれくらい歩き続けただろうか。
まだ4月の頭とはいえ、太陽が良い具合に昇る時間帯で超が付く程のこの快晴。半袖で丁度いいくらいの陽気の中、のんびり自分のペースで散歩するにはもってこいの日和である。
……この荷物さえなければの話だが。
「だー、畜生め」
今現在、猛の手には諸々詰め込まれたキャリーバッグの取っ手が握られている。密度自体は大した事がないのだが、そこそこ大型のものであるため、本体だけでもそれなりの重量を誇っている。「沢山入って尚且つ長く使えるように」と思い、サイズ・耐久度重視で購入したものがここに来て進行の足枷となっていた。腕に伝わってくる振動も、完全に真っ平らとは呼べない歩道の上で長時間引き続ける事でその蓄積ダメージば馬鹿に出来ないものだ。
さっさとこの地味な苦痛から解放されたい。そして、自由に動き回りたい。
「穂村さん!」
そんな猛の願望を、彼の少し前方を行く少女は全身で表現していた。
「あともう少し、ファイトです!」
純白のワンピースから覗く、透き通るような細い手足。両手を広げてくるくる回ってみせるその姿は、さながら妖精の円舞。
許されるならばいつまでも眺めていたいくらいの光景だが、場所が場所なだけにそういうわけにもいかない。
「わかったから、前見て歩いてくれ。ほらそこ段差」
「大丈夫ですよ~、っと」
軽快なステップで転倒の危機を回避するつくし。さっきからずっとこの調子で、猛は幾度となく肝を冷やされている。
この状況で足でも捻られたら、必然的に荷物が増える事になる。その旨を伝えては「そうなったらキャリーに入れてください」とタチの悪い冗談を言って聞かないのだから、どうしようもない。初見の清楚でおとなしいイメージは、何処かへ飛んで行ってしまった。
「えへへ。お疲れなら鞄お持ちしますよ?」
「それだけは勘弁してください。男にもプライドって物があります」
小さく溜息をついて周囲を見回してみる。
どうしても、思わず目に止まってしまうものは、足を進める毎に量を増していた。
「隼美。これってやっぱり」
少し表情を曇らせ、つくしが頷く。
「はい。この辺りまで来ると、やっぱり目立ちますよね。……何年経っても、そうそう簡単には片付けられないものなのでしょう」
2人の視線の先。
大小様々な瓦礫の山が、至る所に点在していた。7年以上の時を超えてもなお、当時の状況を生々しく訴えてくる、それらが象徴する出来事。
関東大震災。
1世紀以上前、大正時代の一度目、大津波と原発事故で甚大な被害をもたらした東日本・西日本大震災を経て関東地方を襲った二度目の大地震は、来るXデーに向けて何十年も行われていた対策が全くの無意味であったかのように、一瞬にして首都圏を地獄に変えてしまった。
当時小学校低学年だった猛が住んでいた地域も、直接的な被害こそ受けなかったものの、物流を始めとする様々な形で日本全国がその余波を受ける事になった。
地震の規模、被害総額、被災者・犠牲者数は研究機関の想定値を軽々と凌駕し、世界各国の援助を受けながらも未だに完全復興には至っていない。
それでも、こうして年月の経過と共に、一歩ずつではあるがかつての姿を取り戻しつつある。
「テレビで見てた程度だけど、子供心に『日本もついに終わるのか』なんて考えてたな、俺」
電気、ガス、水道、食糧、交通、インフラ……。生きてさえいればまたやり直せるのだと、震災の度に人間はその逞しさを見せつけてきた。
「私も。みんな死んじゃうんだ~! って一日中泣き叫んで、周りの大人を困らせたそうです。ちなみにそんな記憶はありません」
「容易に想像出来るけどね」
「むっ。どういう意味でしょうか? ……まあそれは置いといて。ちょっと話題を変えましょう」
並んで歩きながら、何の気なしと言った語調でつくしが訊ねる。
「震災後間もない頃、日本各地でとあるブームが発生しました。さて、それは何でしょうか? 募金活動じゃありませんよ~」
まさかのクイズタイムだった。それも、突発的な。
少しだけ考えて、しかしタイミングや自分の置かれた状況から察するに、答えは一つだった。
「超人ブーム?」
「正解です。御褒美を差し上げましょう」
それは次の質問です。と来るかと身構えた所、案の定だった。察しが良いですねと褒められてもそこまで喜ばしくない。
日本全体が沈んだ空気に包まれていた頃、ある珍妙なニュースが列島を駆け巡った。
鳥のように空を飛んでマンションに取り残された人を救出した者がいる。
手のひらから水を噴射して火事を食い止めた者がいる。
車や瓦礫を簡単に持ち上げ、人命救助をしている者がいる。
今考えても、一体何の戦隊物ヒーローの話だとは思う。だが、それは事実であり、現実だった。
膨大な目撃数は被災地を中心に寄せられ、一般人が動画投稿サイトに一部始終をアップロードしたのを引き金に、「超人」の存在は日本のみならず世界中の人々の知る所となった。「え、これ現実なの?」「レベルの高いCGだな」「ついに放射能の人体への影響が」「これがいわゆるジャパニーズNINJA」などの大反響に加え、「超人」本人が自分自身を撮影して投稿し、更に連鎖が起こるなど収集が付かない状況になり、世界最多の利用者数を誇る動画サイトが一時的にアクセス制限を行うなどの事態にまで発展した。
やがて、老若男女を問わない「超人」の出現は全国な拡散を見せる。どのようにして「超人」になったかついては、「突然、力が発現した」「知らない内になっててビックリ」「逆に教えて欲しい」という話ばかりで、素人から研究者まで解明に乗り出した者は数あれど、そのメカニズムは現在に至るまで解明されていない。
説明不可能な能力を見せつける「超人」はその後も増え続け、自粛ムードが漂っていた国内の光明となり、あらゆる話題を独占していたのだが、事態は急展開を迎える事になる。
「さて、その『超人ブーム』ですが。あのまま行けばメディア露出は勿論、観光の目玉など経済効果がとても期待されていたにも関わらず、そうはなりませんでした。何故でしょう?」
「『力』を悪用する連中が現れた、でしょ」
うむ、と首を縦に振る出題者。というかこのノリはいつまで続くのだろう。
権力を持つ者が、みな世の為人の為にそれを行使するとは限らない。財力を持つ者が、必ずしも経済循環のために消費をするわけではない。それと同じだ。
「超人」の出現から程無くして、持て余す「力」を歪んだ形で振るう連中が現れ始めた。
窃盗、詐欺、猥褻、傷害、そして……殺人。
日を重ねる毎に悪い知らせは増え続け、また、事件の中には悪意が無い「力」の暴走によるものも多々含まれていたが、彼らの事情など、一般人からしてみれば知った所ではない。結果、何も罪を犯していない善良な「超人」でさえ、世間からは「危険」「化物」「怪物」と腫れ物扱いを受けるようになる。
やがて「超人」は、その力を隠すようになってしまった。周囲に知られたら普通の生活が出来なくなってしまう。本人だけではなく、家族も、友人も。力の発現や発覚を苦に自ら命を絶つ者さえいた。
持て囃され、賞賛されていたはずの「超人」は、最終的に迫害され、拒絶され、社会から抹殺されるべき存在へと変わり果ててしまったのであった。
「勝手ですよね。表面しか見ようとせずに、歩み寄る事を放棄して、敬遠して、除け者にするなんて。守ろうとしてくれる人も、まるで幇助だと言わんばかりに酷い扱いを受けるんですから」
悔しいですよ、とつくしが呟いた言葉の上に、猛はある人物を重ねていた。
「……いつの日か、みんな理解してくれるといいのにな」
全てに絶望した自分に救いの手を差し伸べ、決して見捨てようとはしなかった恩人の姿を。
「……そうですね。では、連続正解の御褒美に良いものをお見せしましょう」
今度は何だ? と訊ねると、急に立ち止まって周囲をキョロキョロと見まわし始めたつくし。
何かを探しているというよりも、誰も見ていない事を確認しているような挙動だ。
「見られるとマズいような事でもするのか?」
「一応、校則違反ですので。……他に誰もいないようですね。さ、ちゃちゃっと済ませちゃいますか。穂村さん、両手を貸してください」
言われるがままに、受け皿のようにして手を差し出す。飴ちゃんでもくれるのだろうか。
しかし、予想に反してつくしは空手。一歩前に踏み出して、それからきゅっと包むように猛の手を握った。
「目を、瞑ってもらえますか?」
「……うぃっ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「ちょっと待ってくれ。もしかすると俺の盛大な勘違いなのかもしれないという事を念頭に置いて聞いて欲しい。……その御褒美はあまりにも吊り合いが取れていないんじゃないんだろうか。たった二つ、簡単な質問に答えただけなんだぞ?」
「んー。一応、先程助けていただいたお礼も兼ねての提案なので。他の方々と同じように喜んで貰えれば私も嬉しいんですけど」
さらり、と言ってのけるおさげ少女。
「なっ、ほ、他の奴等にもしてあげてるのか?」
「はい。学内では結構頼まれたりしてるんです。やみつきになった! って、何度もお願いされる事もありますね。自分でも言うのもなんですけど、最近は上達しましたし……どうしました?」
「……あ、ああ。すまん、ちょっと時間をくれ」
目のやり場、出す言葉を失った猛は、晴れ渡る青空を見上げた。空いた口が塞がらないとは、まさにこの事だろう。
時代の流れとは恐ろしいものだ。年々国際交流が盛んになり、従来の日本では到底受け入れられなかった外国の文化も徐々に浸透しているとはいえ、いざ目の前にした際のカルチャーショックはなかなかどうして破壊力がある。
ましてや同年代の純朴そうな女の子が、それを当然のように受け入れ、行動に移してしまうというのだから。
少しだけ悩んで、猛は視線を戻した。
「……わかった。お願いするよ」
「そんなに力まなくても大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」
これ以上あれこれ考えるのはよそう。
否定から入るのはいけない事だと、歩み寄る事が大事だと、ついさっき話したばかりではないか。人に言う前にまずは自分から行動で示さなければならない。彼女が彼女なりの形で礼をしたいと言うのなら。それが王源学園生のスタンダードならば、今の時点で経験しておくのも悪い事ではないはずだ。
「では……」
促されるままに、瞳を閉じた。
あらゆる光景が遮断され、隼美つくしの姿が視界から消える。繋いだ手から伝わる感触とわずかな呼吸音だけが彼女の存在を認識する術となる。自分がどんな顔をしているのか、彼女がどのような表情をしているのか、猛にはわからない。
少し長めの深呼吸が聞こえた。慣れてる人間でも、やはり緊張するものなのだろうか。
加速する心臓の鼓動が、どうか伝わりませんように。
そう願った直後――。
脳が激しく揺さぶられるような、思わず浮足立つような感覚に襲われる。
今まで生きてきた中で経験した事のない、浮力が増長された水の中に居るみたいな心地良い気分だった。敏感になっているはずの箇所が、触れ合っている事さえ気付かないくらいに。
「もう目を開けても大丈夫ですよ」
暗闇の世界に光が差し込む。真っ先に飛び込んできたのは、少女の微笑み。
「如何でしょう?」
「悪くな……いや、良い。最高に。なんだか宙に浮いてる気分」
「やだなぁ。本当に浮いてるんだから、当たり前じゃないですか」
「ははっ、それもそうだ。………………………………何だって?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。
そして、猛はそこでようやく気が付いた。
正面から向かい合い、手を取り合っている二人。
その体が五十センチ程、何の支えも無く地面から浮いている事に。
「なあ、隼美。こ、これって……」
「はい。私の超能力、『念動力』です」
ワイヤーで吊り下げられているわけでもなく、鳥のように羽ばたく事もなく、人間二人の身体を空中に留まらせている、目に見えない力。それを、隼美つくしは念動力と呼称した。
摩訶不思議を現在進行形で見せつけられている穂村猛だったが、胸の内側から湧き上がる動揺と驚愕を抑えつけて、どうしても訊ねなければならない事があった。
「二つ程、聞いていいか? どうして、手を握る必要があったんだ?」
「効率の問題です。対象物さえ指定してしまえば視認程度でも力の発動は可能なんですが、その存在をより正確に『把握』したほうが精度も向上するし、負担も軽減出来るんです」
「……目を瞑らせたのは?」
「こちらもそうです。対象が生物の場合、個体によって異なる脳波の一部を同期させる必要があるんですけど、目を開けていると視界から得ている情報の差異による障害が発生してしまう可能性が高くなるんです。それによって、乗り物酔いのような症状を発症する事もあるので、初見の方には私から予めお願いを……って、穂村さん!? 顔が真っ赤ですけど、もしかして具合が悪くなったんですか!?」
「い、いや、違う。違うけど、ごめん。もっかいタイム頂戴」
そうか。そうだな。そうだよな。
二度目のテクニカル・タイムアウトを要求し、片方の手を離して顔を覆う猛。勝手に解釈し、想像し、覚悟した結果がこの大爆死である。
穴があったら入りたい、瓦礫があったら埋もれたい衝動に駆られるが、これ以上の醜態は御免だった。大きく深呼吸し、心を無に近付け、なんとか平常心を取り戻すよう試みる。
「よし、OK。大丈夫、大丈夫、問題ない」
自己暗示をするように口に出してみる。「?」と首を傾げるつくしだが、大丈夫という言葉を聞いて安心したようだった。
「ではこれより、念動力を利用した高速移動を行いまーす。最大速度は100km/h、物理法則無視のため急停車可能ですが、安全を考慮して40km/hに制限しての運行となりますので御了承お願いしますね」
「え、これで終わりじゃなかったの?」
突然のアナウンスに驚く猛。反応を聞いた小さな運転手さんは、ムっとした様子で、
「あのですねぇ、ただ『たかいたかい』するために超能力を使うとでも思ってたんですか!? 『浮遊』程度で満足されては念動力使いの名が泣くんですよ!」
大きな瞳で精一杯睨まれてしまった。
「そ、それは失礼しました。是非とも念動力の本質とやらを見せて頂きたく存じます」
「くるしゅうないです。では目的地・王源学園正門まで、残り距離はおおよそ2km。LEADY?」
わかればよろしい、といった顔で頷くつくし。疑問形であっても拒否権は存在しなかった。
「ご、GO」
掛け声と同時。
後方から思いきり突き飛ばされたような勢いでの急発進だった。
車両のような加速を感じさせず、一瞬で陸上短距離走メダリスト級のスピードに達した二人の身体は、その両足を地面に触れる事なく走行してゆく。
「すげぇ……」
種も仕掛けもわからない、不可解極まりないこの事象に、猛はただただ感激を覚えた。隣で彼の手を引く少女は、その様子を見て満足したようだった。
「えへへ。嬉しいリアクションをありがとうございます。風を切って走るのも悪くはないんですが、安全第一なもので。……服装的にも」
最後のほうは声が小さくて聞き取れなかったが、追及はしなかった。
「いやいや、十分過ぎるって。ていうか、こんな力を使えるんだったらあんな連中、一撃で熨してやれたんじゃないのか?」
「そうしたかったのは山々なんですが、学外で一般人へ向かっての能力使用は厳禁なんです。バレるだけでも反省室行き確定なのに怪我でもさせてしまったら、下手すれば退学モノですから」
「………て事は俺、処分されちゃう感じ?」
「恐らくは。でも」
繋いだ手が、僅かにだが強く握られる。
「穂村さんを退学になんかさせません。見ず知らずの私を身を挺して守ってくれた恩人を、犠牲になんてしたくありません。今度は、私に守らせてください。あなたを。あなたの力、『発火能力』を」
その横顔は、高校一年生の少女らしからぬ頼もしさに満ちていた。
「隼美……」
「えへへ、少しカッコつけ過ぎましたかね」
言うべきタイミングではないのかもしれない。
しかし、この場で彼女に伝えねばならない事があった。
「キャリー。さっきの場所に置きっぱなし……」
「………………台無しです」
消沈した気持ちに呼応するように、二人の体は元来た道を辿って行く。




