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#3

 出会いと別れは表裏一体だ。

 進級時のクラス変えで数人の姿を見なくなれば、その分だけ新しい顔が目に付くようになる。職場においても、誰かが移動になればそのポジションを埋めるためにまた別の人間が補充される。


 境遇や時期、目的などでその間隔はまちまちだが、例えば最も親しい人との別れに胸を痛めた後、半日も経たずに今度は別の誰かの事で頭が一杯に、なんて事も珍しくは無い。



「持ち合わせが無くてすみませんが、よろしければ使ってください」



 それは、とある国の、とある一高校生においても例外ではない。



「いや、だからもう大丈夫だって。そんなに痛くないし、もう血も殆ど止まってるから」


 両手をパーの形に広げて、猛は差し出されたハンカチを押し返した。このやりとり、実に4回目である。


「そんな酷い痣の付いた顔では説得力がありません。未使用ですし、何もしないよりは雑菌の侵入を抑えられます。どうか意地を張らずにっ」


「ちょ、あ」


 痺れを切らしたのか、直接手の中に押し付けられてしまった。直前まで喧嘩をしていた野郎の体に触れてしまった時点で、中古品の烙印は避けられない。観念して、綺麗に折りたたまれた純白の布を頬に当てつける。意地っ張りなのはどっちだ。


「……どうも、ありがとう」


 ぶっきらぼうなお礼だったが、少女は満面の笑みで答えた。


「こちらこそ、さっきは危ない所を助けて貰って……どうかしましたか?」


「……つくし?」


「えぇっ!? な、なんでしょう!?」


「いや、刺繍でそう書いてあったから。もしかして、名前?」


「あ、あぁ。そういう事ですか。あはは、突然の事でびっくりしちゃいました。そういえば自己紹介がまだでしたね」


 大声を出されてびっくりしたのはこっちのほうだ。この娘、お嬢様系の見た目に反して意外と忙しい子なのだろうか。

 それよりもこのハンカチ、デザインだけでなく肌触りまでとてもよろしい。ひょっとすると、財布の中の諭吉数名が犠牲になるかもしれない。


「改めまして。王源学園高等部1年、隼美つくしです。ハヤブサと美しいでハヤミ。下は平仮名です」


「穂村猛。稲穂の穂と村、猛犬注意の猛でタケル。同じく1年。名字の通り田舎からやってきました」


 特筆する事はない口頭での名刺交換だったが、


「わあっ、同級生だったんですね! 私、中等部からの上がりなので、学園の事で困った事があれば何でも聞いてくださいね!」


「隼美」


「はい、何でしょう!?」


 大きな眼を一層輝かせている少女に、アドバイスを提供してあげた。


「少し静かにしよう」


「…………はっ」


 沈黙。

 その間、車内にはエンジンと走行音が申し訳程度のBGMとして流れていた。


「す、すみません運転手さん! 私ったらなんて行儀の悪い事を……っ」


 赤面した顔を両手で覆うつくし。運ちゃんのおばさんは「なぁに、そんなの騒いでる内に入らないし、他に客もいないから好き放題青春トークでもしなさいな」と器の大きさを見せてくださった。確かに、御婦人方の集いに比べたら一女子高生の小はしゃぎなど可愛いものである。

 ちなみに、乗客2人のみで出発した駅前発の本便には、数か所の停留所を通過した後も未だに途中乗車する人の姿は無い。


「だってさ。お言葉に甘えて、でも落ち着いて話そうか。で、質問OK?」


「は、はい、どうぞ……」


 火照りを覚ますように手団扇で煽ぐ少女に、猛は訊ねた。

 どうしても聞いておかなければならない、胸の内を。



「さっきのアレ。……どう思った?」



 駅前のバス停で。

 1人の少年が、2人の不良を完膚なきまでに叩きのめしてみせた、つい先程の出来事。


「今更こんな事言うのもなんだけどさ。最初はあそこまでやる気はなかったんだ。そりゃ、話し合いで解決するなんて思ってなかったし、とりあえず連中の気を引いて時間を稼げば後は大人や警察の力でどうにかなるだろうって。……万が一、ヤツらが危険な行動に出ようとしても、それを捩じ伏せるだけの手札は持ってたから」


 自分の掌に視線を落とし、猛は続ける。


「でも、自分を抑えきれなかった。あと何発か黙って殴られていれば、それで満足して帰って行ったかもしれない。もう少し時間を稼いでいれば、誰かが力を貸してくれたかもしれない。それなのに、安い挑発に乗って、感情的になって、必要以上の反撃をしてしまったんだ。あれは、ただの一方的な暴力だった」


 人ではない何かを見るような彼らの表情は、はっきりと脳に焼き付いていた。


「もしも、隼美が止めれくれなかったら、俺は……」


 思わず口走りかけた言葉の先を、寸での所で飲み込む。


 火薬を使うでもなく、油を撒いてライターで火を付けたわけでもなく、突然発生して燃え盛った炎。

 ゲームの中の魔法みたいに、しかし目の前の現実として現れた怪奇。それを引き起こした少年は、衝突した当事者はおろか離れて見ていた周囲の人間までをも恐怖に陥れていた。



 にも関わらず。



「うーん、そうですね。確かに、あの時は少しマズいと思ったので止めには入りましたけど」



 隼美つくしという少女は、あれだけの光景を間近で目撃していながら、少しも苦い顔をする事も無く。



「とっても格好良かったです。正義感が強い上に、凄い力を持ってる人なんだなぁって」



「え……?」



 変わらぬ日常の一風景のように、穂村猛という存在を受け入れていた。


「元はと言えば、10対0で彼らが悪いんですよ。彼らが私に絡まなければ、逆上して暴力を振るったりしなければ、穂村さんが手を下す必要はなかったんですから」


 その寛容さが、警戒意識の無さが、一層彼を追い詰める。


「怖くはなかったのか? あんなヘンテコな力を見て、気持ち悪いとか思わないのか? 今、俺がこうして隣にいるのが苦痛で、逃げたしたくならないのか?」


「勿論。怖かったし、気持ち悪かったし、逃げ出したかったですよ。……あの2人からね。そんな中、あなたは飛び出して来てくれたじゃないですか。見ず知らずの私を助けるために。そんな方を何故煙たがる必要があるのでしょうか?」


「わからない。どうして、俺なんかに……」


 自分でも気付かないうちに、猛は手を震わせていた。強い力で握り絞められた借り物のハンカチに、深い皺が刻み込まれる。


「……私は、穂村さんの心の闇を知りませんし、今後もそれを知り得る機会は訪れないかもしれませんが」


 凍えた心を温かく包み込むように、一回り小さくて柔らかな手のひらがそっと重ねられた。



「あなたがこれから過ごす3年間は、ありのままのあなたをきっと受け入れてくれますよ。だから、大丈夫です」



 こんなに優しい微笑みが。

 声が。

 温もりが。

 今までにあっただろうか。


 いや、確かにあったのだろう。それを優しいと感じる事が出来たのだから。



「…………」



 震えは、止まっていた。


「王源の連中は、俺と同じようなものを抱えていたりするのか?」


「彼らは……私や穂村さんも含めて、みんなそうです。詳しい事はここでは言えませんが。十人十色、とだけ言っておきますね」


 全く不安が無いなんて事はない。


「……そっか」


 似た者同士で傷の舐め合いをしたいわけではない。

 他所様の不幸話で気分を紛らわせたいとも思わない。


「それは、とても楽しみだ」


 ただ純粋に、これからの生活が楽しみで仕方がないから。

 笑顔の似合うこの子が、笑って「大丈夫」だと言ってくれるから。


「これからよろしくな、隼美」


「……はいっ」



 今は、心の底から、笑っていられる。



「さあ、もうすぐですよ。王源学園!」



 新しい世界への入り口は、目と鼻の先だ。



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