68 境界線
暗闇だった。
何も見えない。
音もない。
どこにいるのかも分からない。
まただ。
三度目だった。
以前なら、この場所がどこなのかを探していた。
何かないか。
何か聞こえないか。
ここに意味があるのか。
けれど、もう分かっている。
この暗闇は何も答えない。
鼎がここにいることさえ、知らないように。
だから今回は、何も探さなかった。
ただ、そこにいた。
そのはずだった。
*
気づくと、ホームに立っていた。
夜だった。
古びた屋根の下に白い照明が並び、一本の線路が暗闇の中へ伸びている。
人はいない。
電車もない。
知らない駅だった。
来たことはない。
見覚えもない。
それなのに。
――この先に、階段がある。
そう思った。
ホームの端は暗く、ここからでは見えない。
鼎は歩いた。
足音だけが響く。
やがて、暗がりの中から階段が現れた。
足が止まる。
あった。
知っていた通りに。
階段は下へ続いている。
その先は見えない。
なのに。
――下りたら、右。
また、分かった。
知らない。
来たこともない。
なのに、迷わない。
――俺、ここを知ってるのか?
違う。
知らない。
その矛盾が、妙に気味が悪かった。
鼎が階段へ足を掛ける。
白い照明が消えた。
*
目を開けた。
自分の部屋だった。
「……」
三度目。
また、あの夢。
夢だった。
それは分かっている。
なのに、あの駅に立っていた感覚だけが妙に生々しく残っていた。
「……何なんだよ」
窓の外から、いつもの朝の音が聞こえていた。
*
公民館に着くと、美羽が鼎の顔を見た。
「眠そう」
「ちょっとな」
「また夜更かし?」
「してない」
「珍しい」
「俺を何だと思ってんの?」
「夜中に映画見始める人」
「……否定できない」
美羽が笑う。
鼎も笑って、自分の席へ向かった。
いつもの朝だった。
*
午後。
資料を読んでいた鼎の手が止まった。
昨日、五和から聞いた言葉が頭に残っていた。
――境界を追う理由が、変わった。
鼎は机の上の資料から目を離す。
父親のノート。
その最後に残されていた言葉。
――境界は、存在する。
以前は。
それを父親が辿り着いた答えだと思っていた。
けれど、今は違う。
父親は境界が存在することを、とっくに知っていた。
だから一度。
その言葉は鼎の中で、答えから問いへ変わった。
――父さんは、何を探してたんだ?
まだ分からなかった。
けれど昨日。
五和から一つ、新しいことを聞いた。
父親は最後まで境界を追っていた。
ただ。
その理由が途中で変わった。
「……待てよ」
二つの言葉が。
初めて、同じ場所で繋がった。
鼎は立ち上がった。
*
「五和さん」
資料室の扉を叩く。
「入れ」
鼎は中へ入り、向かいの椅子へ座った。
「昨日の話なんですけど」
「ああ」
「父さんは、境界があることを知ってたんですよね」
「ああ」
「存在することも」
「ああ」
やはり。
「父さんのノートの最後に」
鼎は五和を見る。
「『境界は、存在する』って書いてあるんです」
「ああ」
「……知ってるんですね」
「ああ」
五和は否定しなかった。
鼎は少しだけ視線を落とした。
「俺、ずっと」
「あれを父さんの答えだと思ってました」
境界を調べ。
境界へ辿り着き。
その存在を確かめた。
だから最後に。
あの言葉を残した。
「でも、違う」
五和は黙って聞いている。
「父さんは、その前から境界を知ってた」
「ああ」
「それでも、境界を追い続けた」
「ああ」
「そして途中から」
鼎は昨日の言葉を思い出す。
「追う理由が変わった」
「そうだ」
一つずつ。
これまで別々にあったものが繋がっていく。
「だったら」
鼎は五和を見る。
「最後は、境界そのものが目的じゃなかった?」
五和は答えなかった。
けれど。
その沈黙を、もう拒絶だとは思わなかった。
鼎は待った。
「五和さん」
「何だ」
「父さんは最後、何のために境界を追ってたんですか」
五和の目が鼎を見る。
「境界を調べること自体が、目的じゃなくなった」
「じゃあ……」
鼎の鼓動が少し速くなる。
父親がなぜ消えたのか。
何を見て。
何を知ったのか。
まだ、その答えは分からない。
けれど。
その手前にあるものへ。
ようやく触れようとしている。
「父さんは」
鼎は聞く。
「最後、何を調べてたんですか」
「調べていた、とは少し違う」
鼎の眉が動く。
「違う?」
「ああ」
調べていたんじゃない。
境界そのものが目的でもない。
それでも。
父親は境界を追い続けた。
なら。
「……探してた?」
五和は答えなかった。
部屋が静かになる。
時計の針が進む音だけが聞こえた。
鼎は目を逸らさない。
五和も逸らさなかった。
「五和さん」
「ああ」
「父さんは、何を探してたんですか」
長い沈黙。
それでも、鼎は待った。
もう急かさない。
五和が。
話すと決めるまで。
やがて。
五和が口を開いた。
「あの人が最後に探していたものなら」
一拍。
「分かっている」
鼎は五和を見る。
「……何ですか」
五和も。
鼎を見ていた。
「探していたのは――」
僅かな間。
「お前だ」
⸻
第一部 終
ここまで『Marbling』を読んでいただき、本当にありがとうございました。
これにて第一部完結となります。
第二部開始まで、少しお休みをいただきます。
また、第一部の文章や構成を見直し、より読みやすくまとめた改訂版も公開予定です。こちらも楽しんでいただけたら嬉しいです。
物語は、まだ続きます。
また境界の向こうで、お会いしましょう。
赤足




