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境界に眠る光 ━はじまりの外の世界へ━  作者: くいたん


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外伝⑤ ザーラ ーー境界の向こうーー

光は、ここでは形を持たない。


流れているのか、留まっているのかも、はっきりとはしない。


時間も、同じように曖昧で、過去と今とが区別なく重なっている。




ザーラは、その中にいる。




立っているのか、浮かんでいるのかも、もう自分ではよくわからない。


「……」


呼吸の感覚も、薄れている。


胸が上下しているはずなのに、それを実感として掴めない。



それでも。



“ここにいる”という意識だけは、かろうじて残っている。



「……わたし」



小さく、言葉にしてみる。


音は、広がらない。


ただ、内側に沈む。



名前を思い出す。



ザーラ。



そう呼ばれていた。



そう呼ばれていたことは、覚えている。


けれど、それが今の自分とどこまで結びついているのかが、少しずつ曖昧になっている。




「……」




輪郭が、にじむ。



記憶も、感覚も、境界の中に溶けていく。



自分が“誰だったか”よりも、“何を支えているか”のほうが、はっきりしている。




境界。


均衡。


揺らぎ。



それらは、確かに感じられる。



でも。



「……」



それだけでは、足りない。


何かが、欠けている。


そのとき。


かすかな“音”が、触れる。


遠い。


とても遠い。


でも、確かにこちらへ向かってくるもの。




「……」


ザーラの意識が、そちらへ向く。


拾い上げるように。


すくい上げるように。




「……ザーラ」


声。


はっきりとした呼びかけ。


一度ではない。


何度も、繰り返されてきた響き。




ルティ。




その名前が、遅れて浮かぶ。


「……ルティ」


口にする。


すると、輪郭が少し戻る。


自分のかたちが、わずかに定まる。


指先の感覚が、戻る。


そこに。


何かが触れている。




「……」


手を、見る。


見るというより、意識を向ける。


そこにあるのは、あたたかな木の感触。


あたたかくて、なめらかな曲線。



「……スプーン」



言葉が出る。



はっきりと。



それを認識した瞬間、世界の密度が少しだけ増す。


重さ。


温度。


形。


それらが、急に意味を持ち始める。




「……どうして」



なぜこれを持っているのか。


すぐには思い出せない。


けれど。



次の呼びかけが、それを引き寄せる。




「……ね、きいてる?」


少しだけ拗ねたような声。


でも、その奥にある確信。


“いる”と信じている声。




「……」



ザーラは、スプーンを握る。


ぎゅっと。


確かめるように。


すると。


断片が、戻る。


食事の時間。


ぎこちない手つき。


隣で笑う小さな顔。



「……ゆっくりでいいよ」


そう言った自分の声。


思い出す。



ルティが、スプーンを落としそうになって。


それを支えて。


一緒に持った。


あのときの感触。



「……」


胸の奥が、少しだけ温かくなる。


その温度が、今の自分を形作る。



境界ではなく。



役割ではなく。



「……わたしは」



言葉が、続く。



「……ルティと、いっしょにいた」



その事実が、軸になる。



揺れていたものが、少しだけ止まる。




「……うん」




遠くから、返事が重なる気がする。


実際に聞こえているのかどうかは、わからない。


でも。




「……いる」




今度は、迷わず言える。


自分が。


そして、あの子が。


互いに。




「……ここにいる」




スプーンを、少し持ち上げる。



光の中で、それはわずかに輪郭を保っている。


消えかけているもの。



それでも、完全には失われていないもの。


それはまるで。



自分そのものみたいだった。




「……ね」



もう一度、呼びかける。


今度は、自分から。




「……ちゃんと、見てるよ」




届いているかどうかは、わからない。


でも。



言葉にすることで、確かになる。



ルティの声がある限り。



自分は、完全には消えない。



境界の中で、形を変えながらでも。



「……」



光が、ゆるやかに揺れる。


それは、風にも似ている。


あの場所と同じように。



やさしく。



静かに。



ザーラは、スプーンを握ったまま、目を閉じる。


消えかけては、戻る。



曖昧になっては、思い出す。



その繰り返しの中で。



ひとつだけ、失われないものがある。



呼ばれること。


応えること。


それだけで。


存在は、つなぎとめられている。



境界の向こうで。



見えないまま。




それでも、確かに。


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