第77話 森の外で会う者
森の外縁、精霊領域の気配がわずかに薄れる境目に、夜の静けさがゆっくりと戻りはじめている。
さきほどまであった焚き火の痕跡は、灰も熱もすでに消え、踏み荒らされたはずの地面さえ、まるで最初から何もなかったかのように整っている。
その静まり返った空間の中を、ガイルは音もなく進んでいる。
足音はほとんどなく、呼吸さえ風の流れに溶けるように消えていて、ただそこに“いる”という事実だけが残る。
やがて、ふと足を止める。
視線は前へ向けたまま、わずかに意識だけを周囲へ広げる。
気配がある。
ひとつではないが、無秩序ではなく、意図を持って配置されたような“揃い方”をしている。
しかも、さきほど排除した先行班とは明らかに違う、統制された圧のある気配。
ガイルは、ゆっくりと顔を上げ、木々の隙間に沈む影へ向けて短く言う。
「出てこい、隠れる意味はない」
わずかな沈黙のあと、音も立てずに一人の男が姿を現す。
黒い外套に身を包み、無駄のない立ち姿を保ったまま、一定の距離を守って止まる。
不用意に近づかない、その判断の速さが実力を物語っていた。
「さすがだな、やはり気づくか」
落ち着いた声音には、驚きよりも確認の響きが混じっている。
「……やはり生きていたか」
その言葉に対して、ガイルは何も返さない。
ただ、視線だけを向けたまま、相手の出方を待つ。
男はわずかに距離を詰めるが、それ以上は踏み込まず、境界線を測るように止まる。
「名を呼んでもいいか」
返答はない。
それでも男は、確信をもって口にする。
「ガイル」
その瞬間、空気がほんのわずかに張りつめる。
だがガイルは微動だにせず、ただそこに立ち続ける。
男は小さく息を漏らし、どこか懐かしむように言う。
「変わらないな、任務から外れても、その目だけは消えないか」
「……用件を言え」
ようやく返された言葉は短く、余計な感情を削ぎ落とした声だった。
男は軽く肩をすくめる。
「単刀直入で助かる、“鍵”が動いた」
沈黙が落ちる。
否定も肯定もないが、それがすでに答えだった。
「お前も感じているはずだ、あの規模の境界振動を」
「……」
「回収命令が正式に出ている、しかも今回は優先度が異常に高い」
わずかに間を置いてから、さらに続ける。
「排除も許可済みだ」
その一言で、空気の温度が一段階下がる。
ガイルの目が、ほんのわずかに細くなる。
「……誰の判断だ」
「上層だ、それ以上は言う必要もないだろう」
曖昧な答えだが、この場では十分だった。
ガイルはゆっくりと息を吐き、視線を外さないまま相手を見据える。
男は静かに言葉を重ねる。
「あれは危険だ、制御不能になれば、この一帯ごと消失する可能性すらある」
理路整然とした説明。
かつてのガイルなら、迷わず同意していた内容。
「だからこそ我々が管理する、それが最も合理的だ」
沈黙が長く続く。
風の音だけが、わずかに通り過ぎる。
やがてガイルが口を開く。
「あれは……子どもだ」
短い言葉。
だが、その一言にすべてが込められていた。
男の眉がわずかに動く。
「それがどうした、だからこそ危険性が読めない」
即答だった。
迷いはない。
「未成熟な核は最も不安定だ、だから管理が必要なんだ」
ガイルの視線が、はっきりと変わる。
静かに、しかし確実に温度を帯びる。
「お前らは、その顔で触る」
低く押し殺した声。
「使うために」
沈黙が落ちる。
男の目が細くなる。
「感情論か」
ガイルは答えない。
代わりに、一歩だけ前へ踏み出す。
距離がわずかに縮まる。
その瞬間、男の気配が鋭く変わる。
即座に戦闘態勢へ移れる緊張。
「やめておけ、本気でやる気か」
それでもガイルは止まらない。
さらに一歩だけ進み、限界の距離で足を止める。
そして、わずかに顔を寄せるようにして、低く言い切る。
「次に来たやつは、全員落とす」
声は小さい。
だが、迷いも揺らぎも一切ない。
男は動かない。
しかし、その言葉の重さを理解している。
この男は、本当にやる。
しばらくの静寂のあと、男はゆっくりと息を吐く。
「変わったな」
そしてすぐに、小さく首を振る。
「……いや、違うな、戻ったのか」
ガイルは何も答えない。
男は一歩だけ後ろへ下がる。
「今回は引く、だが本隊は止まらない」
振り返りながら、最後に言葉を残す。
「その時、お前はどうする」
答えを待たずに、闇の中へと溶けていく。
再び、静寂が戻る。
ガイルはしばらくその場に立ち尽くし、やがてゆっくりと空を見上げる。
夜の深さの中で、小さくつぶやく。
「……決まってる」
そして振り返る。
森の奥、見えない場所へと意識を向ける。
ザーラとルティがいる方向。
「守る」
それだけを言い残し、ガイルは再び静かに歩き出した。




