アイラ強化大作戦①
次にデュランが目を覚ましたのは二度寝開始から約三時間後。アラームとは違う別の音が聞こえ、徐々に意識が覚醒へと向かっていくのを感じた。始めは鳥の鳴き声かとも思ったが、それにしては近すぎる。ゆっくり目を開けると、デュランの腹の上に跨るように座りじっとこちらを見ているアイラと目が合った。
「おはよう、デュラン」
そこでデュランはようやく先程から鳴っていた音の正体はアイラの腹の虫だということを知る。
「何かと思えばお前の腹の音か。腹減ってんなら遠慮なく起こせばよかったのによ」
「ううん、よく寝てたから。今日はお店はお休みなの? ウィルもいないみたい」
「あぁ、そういやそこから説明しなきゃな。とりあえず朝メシでも食いながら話すとするか。今支度するからちょいと待ってな」
朝の身支度を整え、キッチンに立ったデュランはいつも通り手際良く朝食を作っていく。
今日のメニューは鉄のフライパンに緑豆粉を始めとする様々な雑穀を混ぜたブレンド粉を薄く焼き上げ、油条と呼ばれる揚げパンと卵、刻んだ葱やニラ等の野菜を加えて作る中華風クレープ、煎餅馃子と、豆乳にゼラチン、砂糖を加えて冷やし固めた豆乳ゼリーに豆の甘煮にパイナップルやマンゴー等のフルーツを添えた豆花。
世界的に見ても珍しいこの揚げパンを具にするというダイナミックなクレープは中国の朝食としてはかなりメジャーであり、各々好みのタレを塗って食す。デュランは豆板醤と花椒を効かせた辛味噌ダレを。アイラには北京ダックに用いるような甜麺醤ベースの甘味噌ダレを用意。一通り食卓に料理が並んだところでタイミング良くアイラも着替えてリビングへとやってきた。
「んじゃあ、食いながら聞いてくれ。実はな」
食事を摂りながらデュランは今朝方ウィリアムと話した内容をアイラに説明した。
「まぁ、つーことで一時的にエデンに引っ越すことになったんだよ。それで店もしばらく休業ってわけだ」
アイラは口をもぐもぐ動かしながら小さくコクリと頷く。
「少なくとも今日一日は仕事はねぇ。そこでだ。この機会にお前に教えておかなきゃならねぇコトがある。ゆっくりでいいから食い終わったら表に出ろ。出来ればそんなヒラヒラの上等な服じゃなくて汚れても構わねぇ動きやすい格好に着替えて来な。あと、俺の分もやるから食え」
そう告げたデュランは自分の分の豆花をアイラに差し出すと、食器を片付け一階へと降りて行った。首を傾げながら二杯目の豆花を食べ終えたアイラは、デュランの言いつけ通りに比較的動きやすい服に着替えて外へと向かった。
天気は晴れ。気温はそれほど高くなく、実に過ごしやすい。午後に向かうにつれて暑くはなるだろうが、ジェイルタウンはただでさえ建物が密集しており日影が多い。また、風がよく通り抜けるため湿気はそこまで高くはないのでジメジメした雰囲気は比較的感じない。ただやはり気が滅入るとすれば密集した建物のせいで見上げる空が狭く見えること。大人の背でさえそう感じるのだから、子供のアイラからしたら尚更であろう。
先に外で待っていたデュランはといえば、今まさに咥えていた煙草に火を点けようとしている途中であった。やってきたアイラに気づくとオイルライターの蓋を閉じて真新しい煙草を吐き捨てた。喫煙を解禁したとはいえ、やはりアイラの前では多少の配慮はしているらしい。
「よーし、来たな。今からお前には戦う術を教えておく」
ポカンとしているアイラに構わずデュランは続けた。
「先日の件でも分かったと思うが、常にこの世は弱肉強食。弱い奴は淘汰されていくのが自然の摂理。いざとなったら自分の身を守れるのは自分だけだ。俺もいつまでもお前のことを守ってやれるわけじゃねぇ。だからこそ、今からお前には拳法の修行をつけてやる。死ぬ気で付いてくるように」
生きる為に死ぬ気とは何とも矛盾しているように聞こえるが、当のデュランは誇らしげにアイラを真っ直ぐ見つめていた。どうやら弟子でも取った気になっているようだ。アイラからしたら別段嫌ではないし、寧ろデュランが珍しく構ってくれているので内心とても嬉しく思っていた。
「よろしくお願いします」
デュランに対しぺこりと頭を下げるアイラ。それを見て少し気を良くした単細胞なデュランは手本を見せると言い出した。
「それじゃあまず突きの打ち方だ。空手やボクシングはこう、拳を横にして突き出す横拳だが拳法の基本は縦拳が多いからそれをまず念頭においておけ。そんで、人間には体の真ん中。頭の天辺から足の先にかけて急所——つまり、弱点が密集している。これを正中線と呼ぶが、お前がまず敵に襲われそうになったらそのどこでも良い。思い切りブン殴れ。例えば……」
デュランはキョロキョロと辺りを見渡し、店の向かいにある廃墟の壁に向かって全力で拳を叩き込む。派手な音と共に壁にはヒビが広がり、音を立ててコンクリート外壁が崩れて中の鉄筋が剥き出しになった。
「とまぁ、こんな感じだ。やってみろ」
デュランは実に得意気だが、肝心のアイラはプルプルと震えながら首を横に振っている。かつての師、リウロンが生きていたら嘆き悲しむほどデュランには人に物を教える才能が無かった。




