不死身のマルグリット
トルメンタ殺害の通報がエデン署に入る少し前。取り調べ室からダリアに連れ出された氷室は保留中になっている総務部の電話の受話器に手を伸ばした。
「何の用だ」
「あっ、氷室さん! 何の用はひどくないですかぁ? こっちは心配して何度も携帯に電話してるのにぃ!」
電話の相手は先日までバディとしてエデン署に派遣されていたアスガルド聖騎士のアシュリーだった。
「お前に心配されるほど俺はヤワじゃない」
「違いますよー。いや、違わなくは無いんですけど違くて、今回はマルグリットの件で連絡したんですよ。なんか一昨日から連絡が取れなくなっちゃったんで、何かあったのかなーと思いまして」
その名を聞いて氷室はアシュリーにきちんと伝えなければならなかったことを思い出した。
「……ちょうどいい。お前に詫びなければならないことがあったんだ」
「電話を無視していたことについてですか? それはもういいですよー」
「いいから聞け。そのマルグリットのことなんだが、今からお前に悪い報せをしなければならない」
氷室は先日の出来事を全て話した。自分の身代わりとなり別の街の病院の集中治療室にいること。一命は取り留めたらしいが、内臓の損傷が激しく、合併症のリスクも含めていつ死んでもおかしくないほど予断を許さない状態にあると言うこと。
「俺がいながら不甲斐ない。すまなかった」
あの氷室が電話口とはいえ謝った。
それを側から見ていたダリアは非常に驚いた表情をしている。そして電話の向こうのアシュリーは黙ったままだった。
「おい、聞いているのか?」
「へっ? 聞いてますよ。それで悪い報せってなんです?」
まるで今の話を聞いていなかったかのような不可思議な反応に氷室は一瞬戸惑った。
「いや、マルグリットに瀕死の重症を負わせてしまったことがそれなんだが……」
「なぁんだ。そんなことですか。もー、急に改まって何かと思えばマルグリットが何かやらかしたんじゃ無いかと思いましたよー。実際、それが心配で今日電話したんですけどね」
こちらとあちらの話の内容に温度差があり過ぎて流石の氷室もやや混乱していた。仲間の瀕死が〝そんなこと〟で片付く話などではないはずだ。何かがおかしい。そんな氷室の心情を察したのか、アシュリーは話を続ける。
「あれ? もしかして氷室さん。あの子の加護のこと聞いてないんですか?」
「加護? ああ、そういえば最初に会った時に〝純潔のマルグリット〟と名乗っていたが、加護についての説明は一切聞いていなかったな」
「あちゃー、あの子話してなかったんだ。それじゃあ氷室さんも心配になりますよね。やっと話が繋がりました」
「待て待て。お前の中だけで話を解決させるな。きちんと説明しろ」
「えーっ、氷室さんセクハラですよ」
「意味がわからん。説明しないなら切るぞ」
声から若干の不機嫌さを感じ取ったアシュリーは慌てて答えた。
「わかりました! 答えますから切らないでください。純潔の加護とはですね。女性の清らかさ、貞操を守り続ける限り発動しっぱなしという特殊な加護でして、その能力は超再生。どんなことをされようとも、しょ……処女である限り死ぬことがないんです。ですから純潔のマルグリット。聖教内では別名〝不死身のマルグリット〟と呼ばれているんです。どんな攻撃を受けようが女性として清らかさを保っている限り何人たりとも彼女は殺せませんし、どんな大怪我や病気も瞬時に治ります。だから今頃病院を抜け出してどっかでサボってるんじゃないんですか? あの子、かなり自由奔放なんで」
絶対に死ぬことの無い再生者。不死身の加護。何故そんな重要な事をマルグリットは今まで黙っていたのか。氷室の頭脳がフル回転している中、アシュリーは話を続ける。
「私は最初反対したんですよ? マルグリットがそっちに行くの。でも本人がどうしても行くって勝手に行っちゃって……本当は別の聖騎士が行くはずだったんです」
「それも初耳だ。一体どういうことなんだ?」
この後、アシュリーの口から語られた言葉で氷室の中で今回の事件の全貌というパズルのピースが全て揃うことになった。
「ほら、ヘルを呼び出したミケーネってマフィアの人がいたじゃないですか。マルグリット、幼い頃にその人に攫われて人身売買の商品にされていたらしいんですよ。なんでも買い手になった男の人の……だっ……大事なトコを噛みちぎって逃走したらしいんです。その逃走中に地元の貴族夫婦に助けられそのまま養子になり、アスガルド聖教に来たって彼女と同室だった子が話していました。先日のヘル降臨事件でミケーネファミリーが絡んでいるって知ってから様子がヘンだったんですよ。だから先走って何かトラブルでも起こしてないか心配していたんです。でも大丈夫ですよね。ミケーネって人は既に捕まっているわけですし……って氷室さん? 聞いてます氷室さん?」
氷室は既に電話を切ったいた。
急いで確認するべきことがあったからだ。
アシュリーとの会話を中断し、そのまま電話を掛けたのはマルグリットが入院している病院。
「はいもしもし。こちらヴァルデニス・メディカルセンターです」
「エデン署のものだが、そこの集中治療室に入院しているマルグリットという患者について話を聞きたいんだが」
「あぁ、マルグリットさんなら既に退院されていますよ。あんな重症を負っていたのに翌朝にはすっかり完治していてドクターたちも驚いていましたよ」
「一人で帰ったのか? それとも誰か迎えに来ていたか?」
「いやぁ、ここだけの話ですが南米マフィアらしき連中が彼女の迎えに来ていましたよ。治療費はキャッシュ一括でキッチリ払って行きましたから我々としても別段問題無かったもんでそのまま帰したんですよ」
「そうか。世話をかけたな」
受話器を戻した氷室は総務部から急いで飛び出す。
「どこ行くんですか、氷室さん!」
追いかけてきたダリアの問いかけに足を止めた氷室は背中を向けたまま問いに答える。
「署長室だ。ロッカーをぶっ壊す理由が出来た」
「あの刀ならロッカーにはありませんよ。付いて来てください」
踵を返して署長室とは反対方向へ歩みを進めるダリア。
(そういや、ロッカーの鍵はコイツが預かっていたんだったな)
そんなことを思い出しつつ、先を行くダリアの後に続く氷室。辿り着いた先はエデン署のエントランスホール。職員や手続きに来た市民の往来が最も多い場所だ。
「んで、俺の愛刀をどこにやったんだ?」
氷室の問いかけに溜息を吐いたダリアはエントランスホールの中央に立つとスッと真上を指差す。見上げると、そこには天井から垂れ下がった紐に吊され、鯉口から僅かに刃を覗かせている百鬼薙があった。
「なっ……なんであんなとこに……」
訳がわからず思わず困惑の言葉を漏らした氷室に対し、ダリアは答えた。
「ほら、以前節電で署内の冷房の温度を一定にしていたじゃないですか。職員たちからあまりにも暑いという苦情が多かったので、氷室さんの謹慎中だけでも借りておこうかと思って持ち出したんですよ。あの刀、なんか鞘から抜くとヘンな冷気出すじゃないですか。だから温度調整でほんの少しだけ鞘から出してあるんですよ。あと、あれをエントランスに吊るしてからやたらクレーマーが減りました。怒鳴り込んできた人が真っ青な顔して受付まで来ないでUターンしていくので非常に役に立っていたのですが、やっぱり持ってっちゃいます?」
真顔で淡々と話すダリアにドン引きしていると、刑事課の連中が慌ただしく出動していくのが見えた。どうやら市内の路地裏で元ディアブロ・カルテルの幹部だった男が殺されていると通報が入ったらしい。
嫌な予感がした氷室は急いで総務室から長脚立を持って来て、天井で空調扱いを受けていた愛刀を回収すると急いで現場へ向かった。




