血塗れの断頭台
闘技場を飛び出した二人は夜のエデンを走る。
目指す場所はキッチンカーを出店していた場所とエスコバル邸のちょうど中間の位置。袋小路となっている路地裏の狭い道。
全力疾走のデュランにすっかり置いて行かれたウィリアムが息を切らしながら現場付近にやってくると、周りは既にパトカーが数台と救急車が停車している。路地裏の入り口はといえば既に警官が配備されており、バリケードテープが張り巡らされた跡があった。
過去形なのはそれが既に破られており、オマケとして警官二人が倒れている。それだけで先に到着したデュランが先走ったという事が安易に想像出来た。実際、路地裏の奥からデュランを含む複数名の言い争う声が響いている。
遅れて現場に足を踏み入れたウィリアムは眼前に広がる光景に言葉を失った。
怒りで暴れているデュランを警官八名が何とか抑えているその奥。辺り一面には今まで見たこともない様な量の血痕が付着していた。
地面にはトルメンタの得物である大バサミが突き刺さっており、その更に奥では血塗れの男がコントラバスケースを庇い、覆い被る様にして倒れていた。
「トルメンタさん……」
長い黒髪、黒いジャケット、黒い手袋。
彼の背中には柄の無いナイフの刃の様なものが無数に刺さっており、まるでハリネズミのような姿にされていた。慈悲も容赦もない見るも無惨なメッタ刺し。手口が例のマフィア殺害事件と同じである為、犯人はまず間違いなく同一人物であろうということが伺えた。
ウィリアムはデュランを取り抑えている警官らに近づくと財布を取り出した。
「すいません、どうかコレで彼を離してやってくれませんか」
ウィリアムが警官らの眼前に差し出した物は札束。彼らの全員の給料二ヶ月分に相当する額である。
この街では賄賂を受け取らない警官は氷室を含む一割程度しかいない。金に目が眩んだ彼らは素直にデュランの包囲を解き、分け前の相談を始めた。厄介で面倒な職務なんかよりも目先に転がってきた金銭の方がよっぽど興味を唆るようだ。
しかし、自分たちにとって失ったもののに比べればそんな札束すら端金。せめて最期に立ち会ってしまった今だけは誰にも邪魔されたくはない。それが例え警官であろうとも。
拘束が解かれたデュランは急いでトルメンタに駆け寄る。
「おいトルメンタ! 何があった! おい! 返事をしろ! トルメンタ!」
揺さぶられるトルメンタからは返事や反応は無い。目は薄らと開かれており瞬きすらせず、瞳孔が完全に開いているのが確認出来た。辛いがどうやらメイファンの情報は正しかった。それを受け入れたくないようでデュランは必死にトルメンタに声を掛け続けている。そんな姿を見かねたウィリアムはそっとデュランの肩を叩く。
「デュラン。気持ちはわかるけど、もう……」
その時、トルメンタが覆い被さっていたコントラバスケースの中から物音がした。まさかと思い、ウィリアムは急いでケースを開けると中には瞳に涙をいっぱい溜め、怯え震えているアイラがいたのだ。
「ああっ、アイラ! 無事で本当に良かった!」
ウィリアムは思わずアイラを抱きしめる。こんな状況でも叫び声や泣き声を上げずに必死に耐えていたとはなんと気丈だろうか。アイラを抱きしめている間にウィリアムはデュランに目配せをする。意図を察したデュランはトルメンタを抱えて急いで路地の外に待機している救急車の方へ向かった。トルメンタの死を直視させない為の最大限の配慮である。
「怪我はないかい? アイラ」
ウィリアムはアイラの身体を調べながら問う。アイラはこくりと頷き無事を伝えた。
「……トルちゃん、死んじゃったの?」
アイラの問いに対し、ウィリアムは咄嗟に答えた。
「大丈夫だよ。今デュランが救急車に運んで行ったから。きっと助かるよ。だって彼、デュランくらい強いんだもん。それより、一体何があったのか教えてくれるかい?」
アイラを落ち着かせる為に偽りの仮面を被り、平然と虚言を口にするウィリアム。アイラの涙を止められるのなら嘘吐き詐欺師、何と呼ばれようとも構わない。
そんなウィリアムの優しい嘘を信じて落ち着いたのか、キッチンカーで別れた後の話をアイラは語った。
二人と別れた後すぐ、トルメンタの昔の友達でディエゴという男がやってきたこと。帰りの運転中、急に車の前に飛び出してきた外套を目深く被った人物がいたこと。人を轢いてしまい、慌てて車から降りたトルメンタがその人物と戦闘になったこと。武器のハサミと入れ替わりにコントラバスケースの中に匿ってもらったこと。
「そっか。辛かったね。覚えていたらで良いんだけど、アイラは犯人の顔は見た?」
首を横に振るアイラ。しかし、コントラバスケースの中で気になる会話を聞いたという。
『何故あなたが!?』
というトルメンタの声。
『その子は同族らしいから見逃してやるよ』
という声。それはおそらく犯人のモノだろう。但しケースの中でくぐもって聞こえたこととパニックの只中にいた為、男女の区別はつかなかったという。
「でも、どこかで聞いたことあるような声だった」
アイラはそう言うと、再びウィリアムに抱きつく。小さな身体がガタガタと震えている。よほど怖かったのだろう。
「そっか。とりあえず今日はもう帰ろう。後のことはお巡りさんたちが解決してくれるから」
アイラを抱き抱えると、張り詰めていた緊張の糸が切れたのかアイラは気を失うように眠ってしまった。無理もない。こんな凄惨な事件に巻き込まれたのだ。憔悴しない方が無理な話。寝入ったアイラをお姫様だっこしてウィリアムも路地裏から出ると、そこにはデュランが立っていた。その手には一本のナイフの刃。トルメンタの遺体に刺さっていたものだ。それを見つめていたデュランはウィリアムに向かってこう告げた。
「多分だが犯人が分かったかも知れねぇ。いや、正確にゃ個人名まではわからんがな」
「それってどういう——」
ウィリアムが問おうとしたその直後、デュランのスマホが鳴った。
「おう、俺だ。悪いが今日の試合は——なに? わかった。俺もすぐ向かう」
試合というワードでウィリアムは電話の主がメイファン、或いはジェイクだろうと予想が立つ。そしてデュランの口調から察するに虎皇会でも何か問題があったらしい。
「今回の事件の犯人らしきヤツが虎皇会の事務所で暴れてるってよ。覆面のおっさんとの決勝戦があるからジェイクは動けないが、メイファンはこれから凶星を連れて事務所に戻るらしい。悪りぃがウィリアム。アイラを頼んだ。俺もトルメンタの仇討ちに行ってくる」
デュランはそれだけ伝えると、ウィリアムとアイラを残して虎皇会の事務所へ向かって走って行った。




