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宮廷薬師は負けヒロインにつき、陰謀を解きつつ恋を手直しします  作者: 和三盆


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第54話 負けヒロインは、聖女の毒を疑う

「困るのよ」


 フィリアは、美しく微笑んでいた。


「あなたみたいな人間に、生き残られると」


 ――何を、言っているの?


 そう問い返したかった。


 けれど、声が出ない。


 喉が焼けるように熱い。


 息を吸うたび、肺の奥まで何かが入り込んでくるようだった。


 視界が揺れる。


 床が遠い。


 私は、とっさに壁へ手をついた。


「……っ」


 指先に力が入らない。


 さっきまで普通に走っていた。


 薬師長の遺体を確認して、青仙花の毒を特定して。


 そして、柱の陰に見えた女を追った。


 その途中までは、何もおかしくなかった。


 なのに。


 この女の前に来た途端、身体がおかしくなった。


「……あなた」


 ようやく声が出た。


「私に……何をしたの?」


「何も?」


 フィリアは首を傾げる。


「私は、あなたに触れてもいないわ」


「だったら……」


 この症状は何なのか。


 薬師として、私は自分の身体に起きていることを考える。


 喉の灼熱。


 息苦しさ。


 視界の揺れ。


 指先の震え。


 毒物による症状の可能性はある。


 けれど。


 おかしい。


 発症するまでが早すぎる。


「……青仙花?」


 私が呟くと、フィリアの目が僅かに細くなった。


「知っているのね」


「薬師長を殺した毒よ」


「そう」


「あなたも知っていた」


「ええ」


 あまりにもあっさり答えた。


 私は目を細める。


「どうして?」


「宮廷にいるもの」


「それだけ?」


「それ以上の理由が必要?」


 フィリアは微笑んでいる。


 けれど、その笑顔には先ほどまでの柔らかさがなかった。


 まるで。


 私を値踏みしているような。


「……薬師長を殺したのは、あなた?」


 聞いた。


 フィリアは答えない。


「紫色の衣の女を見た」


「そう」


「あなたが着ているものとは違う。でも、あなたはあの女のことを知っている」


「どうしてそう思うの?」


「あなたが驚かなかったから」


 フィリアの表情が、ほんの少し変わった。


 当たりだ。


 私はそう確信した。


「やっぱり知ってるのね」


「……本当に、嫌な人」


「よく言われるわ」


「褒めていないわ」


「でしょうね」


 私は苦笑した。


 こんな状況なのに。


 いや。


 こんな状況だからこそ、頭を止めてはいけない。


 毒を疑う。


 症状を確認する。


 原因を絞る。


 そして犯人を考える。


 それが薬師の仕事だ。


「フィリア」


「何?」


「一つ、聞かせて」


「ええ」


「あなたは、私が死ぬと思ってる?」


 フィリアは答えなかった。


 その沈黙が、答えだった。


「……なるほど」


 私は自分の袖口を確認する。


 何もない。


 肌にも異常はない。


 なら。


 毒はどこから?


 薬師長の周囲に散っていた液体?


 違う。


 あれに触れたのはほんの一瞬。


 しかも、ここまで来るまでに手を洗っている。


 香り?


 青仙花は揮発性の毒ではない。


 匂いを嗅いだだけで、こんな症状になるとは考えにくい。


 では――。


「……私、毒を飲んでない」


 フィリアが黙っている。


「でしょう?」


「なぜ、そう思うの?」


「薬師だから」


 私は壁から手を離した。


 足元はまだ不安定だ。


 けれど、立てる。


「毒なら、もっと違う」


「何が違うの?」


「発症の仕方」


 自分の症状を確認する。


 呼吸は苦しい。


 だが、悪化していない。


 痺れも一定。


 意識もある。


 そして何より――。


「症状が、止まってる」


 フィリアが黙った。


「本当に毒を入れたなら、普通は時間とともに悪化する」


「……」


「でも、私は今のところ悪くなってない」


 つまり。


 毒そのものではない。


 少なくとも、私を殺すために使ったものではない。


 では何のために?


 私はフィリアを見る。


「あなた、私を殺そうとしてるんじゃないでしょう」


 フィリアの眉が僅かに動いた。


「……どうして?」


「殺すつもりなら、こんな回りくどいことをする必要がないから」


「では、何だと思うの?」


「私を止めたい」


 沈黙。


 その沈黙が、肯定に思えた。


「薬師長のことを調べるなってこと?」


「……」


「第三妃の薬についても?」


「……百合さん」


 フィリアが初めて、私の名前を呼んだ。


「あなたは、知らなくていいのよ」


「それは無理」


「なぜ?」


「人が死んでるから」


 私は答えた。


「しかも、私が薬師として関わった事件で」


「あなたは真面目ね」


「そうでもないわ」


 婚約者には捨てられた。


 ヒロインとしては負けた。


 宮廷に来てからは、面倒ごとばかり拾っている。


 そんな自分を真面目だと思ったことはない。


 ただ。


「目の前で人が死んだら、放っておけないだけ」


 フィリアはしばらく私を見つめていた。


 やがて。


「……そういうところが、嫌なのよ」


「何が?」


「あなたは、自分が死ぬことを怖がらない」


「怖いわよ」


 即答した。


「ものすごく怖い」


「……」


「だから、死にたくない」


 フィリアの瞳が揺れた。


「それでも」


 私は続けた。


「分からないままなのは、もっと嫌」


 フィリアは何も言わなかった。


 ただ、私の横を通り過ぎる。


「待って」


 振り返らない。


「紫色の衣の女は誰?」


「……」


「薬師長を殺したのは、その人?」


 フィリアの足が止まった。


 そして。


「違うわ」


 小さな声だった。


「……え?」


「その人は、殺していない」


 私は息を呑んだ。


「じゃあ、誰が?」


「それは言えない」


「どうして?」


「言えば、あなたはその人を探すでしょう?」


「当然よ」


「だから言えないの」


 フィリアが振り返る。


 その顔から、いつもの聖女らしい微笑みは消えていた。


「その人を探したら、あなたは本当に死ぬ」


「脅してるの?」


「違う」


 フィリアは首を横に振った。


「忠告よ」


 その瞬間。


 遠くから、複数の足音が響いた。


「百合様!」


 ルイの声。


 私は振り返る。


 廊下の向こうから、ルイがこちらへ走ってくる。


「百合!」


「ルイ……」


 その声を聞いた瞬間。


 張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。


 まずい。


 身体から力が抜ける。


「百合!」


 倒れそうになった私の身体を、ルイが支えた。


「何があった?」


「……フィリアと話してただけ」


「この状態で?」


 ルイの目が鋭くなる。


 フィリアを見た。


「フィリア様。何をされたのですか?」


「何も」


「ですが、百合は明らかに――」


「ルイ」


 私は彼の袖を掴んだ。


「違う」


「百合?」


「フィリアは……私に毒を盛ったわけじゃない」


 言い切る。


 フィリアを見る。


 彼女も何も言わない。


「だったら、何が起きた?」


「分からない」


 それが今の私の正直な答えだった。


「でも……」


 私は鼻を近づけ、自分の袖口を嗅いだ。


 ほんの僅かに。


 甘い香り。


 青仙花ではない。


「……これ」


「何です?」


「花の香りがする」


 フィリアの顔が強張った。


 私は見逃さなかった。


「フィリア」


「……」


「この香り、知ってる?」


 答えはない。


 私は袖口を見つめる。


 青仙花ではない。


 それなら。


 私をここまで追い詰めた原因は、別にある。


 そして、その香りにフィリアが反応した。


「……まさか」


 私は呟いた。


「薬師長を殺した毒と、私に起きた症状は別?」


 ルイが息を呑む。


 フィリアは何も答えない。


 ただ。


「もう、帰りなさい」


 そう言った。


「百合さん」


「何?」


「第三妃殿下の薬を調べるなら」


 フィリアは私をまっすぐ見た。


「薬だけを見ないことね」


「……どういう意味?」


「薬を渡した人間を、見なさい」


 それだけ言うと。


 フィリアは去っていった。


 私はその背中を見送る。


 薬を渡した人間。


 第三妃の薬。


 消えた調合記録。


 薬師長の死。


 青仙花。


 紫色の衣。


 そして、私の身体に起きた異変。


 点だったものが。


 少しずつ、線になり始めている。


「百合」


 ルイが静かに呼ぶ。


「何?」


「また、何か考えているでしょう」


「……うん」


「嫌な予感しかしません」


「奇遇ね」


 私は小さく笑った。


「私もよ」


 けれど。


 薬師としての勘が告げている。


 この事件で、本当に見るべきなのは毒ではない。


 毒を。


 誰が。


 誰に。


 何のために使わせたのか。


 そこにいる人間だ。


 そして私はまだ知らない。


 第三妃の薬を最初に届けた人物が。


 私のすぐ近くにいることを。

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