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宮廷薬師は負けヒロインにつき、陰謀を解きつつ恋を手直しします  作者: 和三盆


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第53話 負けヒロインは、毒を見抜く

 後宮の朝は、静かに狂っている。


 それが、結城百合の持論だった。


 白磁の器に注がれる薬湯。


 香の匂い。


 絹を擦る音。


 穏やかな笑顔。


 その全部の裏側に、嫉妬と打算と殺意が潜んでいる。


 現代日本で薬剤師をしていた頃、百合は「薬は人を救うもの」だと教わった。


 けれど、この宮廷では違う。


 薬は、簡単に人を壊せる。


 だからこそ――見逃せなかった。


「……おかしい」


 百合は、小さく呟いた。


 侍女が運んできた薬湯。


 湯気の立ち方。


 色。


 そして匂い。


 一見すると、ただの安眠用の調合に見える。


 だが。


「白芍薬に、月桂香?」


 ありえない組み合わせだった。


 白芍薬は鎮静作用を持つ。


 しかし月桂香と混ぜれば、代謝経路に干渉し、長期服用で神経症状を引き起こす。


 現代薬学でいうなら、軽度の薬物相互作用。


 だが、この世界では誰も知らない。


 百合は薬碗を持ち上げ、静かに目を細めた。


「これを、誰に?」


「え……第三妃殿下にございますが……」


 侍女は怯えたように答える。


 第三妃。


 最近になって体調を崩し、錯乱や記憶障害を起こしている人物だ。


 宮廷では“呪い”だと噂されていた。


 けれど百合には分かる。


 これは病ではない。


 まして呪いでもない。


 ――毒だ。


 ゆっくりと蓄積する、極めて悪質な。


「この調合をした薬師は?」


「そ、それが……記録には残っておらず……」


「残ってない?」


 百合の目が細くなる。


 宮廷薬局では、薬の調合記録は絶対だ。


 誰が。


 いつ。


 何を使ったか。


 それが消えている時点で、異常だった。


「……面倒なことになってるわね」


 百合は小さく息を吐いた。


 転生してから、嫌というほど理解した。


 この後宮では、毒は刃物より静かに人を殺す。


 しかも厄介なのは、誰もそれを“毒”だと思っていないことだ。


 呪い。


 祟り。


 神罰。


 そんな曖昧な言葉で片づけられている。


 だから犯人は堂々と動ける。


「百合様」


 低い声がした。


 振り返る。


 そこにいたのは、黒衣の青年――皇子付き側近のルイだった。


 長身。


 切れ長の目。


 常に感情を読ませない男。


 けれど百合は知っている。


 この男は、妙に彼女を気にかけている。


「また危ない顔してますね」


「危ない顔?」


「陰謀を見つけた時の顔です」


「そんな顔してた?」


「ええ。とても」


 百合は苦笑する。


 最近、彼と話す時間が増えた。


 最初は監視だったはずだ。


 婚約破棄され、失脚寸前だった“負けヒロイン”を警戒していた。


 だが今は違う。


 少なくとも、彼の目はそう言っていた。


「第三妃の薬、誰かが細工してる」


 百合が言うと、ルイの表情がわずかに変わった。


「根拠は」


「この香り」


 百合は薬碗を差し出す。


 ルイは匂いを嗅ぎ、すぐに顔をしかめた。


「……分からない」


「でしょうね。普通は分からないから」


 百合は静かに続ける。


「でも、これは偶然じゃない」


「長期的に神経を壊す調合よ」


「しかも、かなり知識がある人間の手口」


 ルイの目が細くなる。


「宮廷薬局内部の犯行か」


「たぶん」


 その瞬間だった。


 廊下の奥で、悲鳴が上がる。


「きゃあああっ!!」


 二人は同時に駆け出した。


 空気が張り詰める。


 侍女たちが青ざめた顔で後ずさっていた。


 そして。


 廊下に、一人の男が倒れていた。


「……薬師長」


 百合の顔色が変わる。


 宮廷薬局を束ねる責任者。


 その男が、口から血を流して倒れていた。


 周囲には、割れた薬瓶。


 甘い香り。


 そして、わずかな苦味。


 百合は即座に膝をついた。


「触らないで!」


 侍女たちが硬直する。


 百合は男の瞳孔を確認し、唇を噛んだ。


「遅い……」


 すでに呼吸は止まっていた。


 ルイが低く問う。


「原因は」


 百合は、床に散った液体を指でわずかに掬う。


 舌には乗せない。


 匂いだけを確認する。


 そして。


「――青仙花」


 周囲がざわめいた。


 後宮では有名な毒花。


 だが即死性は低い。


 本来なら。


「量が異常だわ……」


 百合は、ゆっくり顔を上げた。


 その視線の先。


 柱の陰に、誰かがいた。


 一瞬だけ見えた、淡い紫の衣。


 女官。


 だが。


 次の瞬間には消えていた。


「待ちなさい!」


 百合は反射的に走り出す。


「百合!」


 ルイの制止も聞かず、廊下を駆け抜けた。


 風が髪を揺らす。


 遠ざかる足音。


 逃がせば、終わる。


 そんな直感があった。


 角を曲がる。


 しかし。


「――っ!?」


 百合の身体が、突然ぐらついた。


 視界が揺れる。


 息が苦しい。


 喉が焼ける。


「な……に……?」


 床に手をつく。


 指先が震える。


 おかしい。


 さっきまで、なんともなかったのに。


 その時。


 耳元で、女の声がした。


「やっぱり、気づいてしまったのね」


 ぞくり、と背筋が冷える。


 百合は顔を上げた。


 目の前に立っていたのは――


 本来、この物語で勝者になるはずだった女。


 第一皇子の寵愛を受ける、完璧な聖女。


 フィリアだった。


 彼女は、美しく微笑んでいた。


「困るのよ」


「あなたみたいな人間に、生き残られると」

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