第40話 名前のない席
会議室は、白かった。
壁も、机も、天井も。
感情を反射しない色。
迅は、中央の椅子に座らされていた。
拘束具はない。
だが、自由でもない。
正面のスクリーンに、文字が映し出される。
【境界事案 特定協力者 評価会議】
「……ずいぶん回りくどい名前だな」
迅が呟くと、隣の席に座る夜刀が小さく肩をすくめた。
「“被検体”って書くより、柔らかいでしょ」
迅は、鼻で笑う。
「どっちも同じだ」
会議室の奥で、数人の大人たちが着席する。
スーツ。
無表情。
目だけが、迅を測っている。
進行役の女性が、淡々と口を開いた。
「迅氏」
「あなたの協力意志に感謝します」
迅は、背もたれにもたれたまま答える。
「感謝される覚えはない」
「条件付きだ」
女性は、表情を変えない。
「承知しています」
スクリーンが切り替わる。
迅の過去の記録。
境界発生地点。
異常値。
「……これ、全部」
「俺の人生を、数字にしただけだろ」
迅が言うと、別の男が口を挟む。
「数字は嘘をつきません」
迅は、即座に返す。
「でも」
「嘘を“見ない”」
一瞬、空気が張り詰めた。
夜刀が、間に入る。
「議論の前に」
「前提を整理しましょう」
夜刀は、迅を見る。
「あなたは、“人間”として扱われたい?」
迅は、迷わなかった。
「当たり前だ」
夜刀は、会議側を見る。
「では」
「彼を“装置”として扱う案は、却下ですね」
女性は、静かに言った。
「感情論では、判断できません」
迅は、少し笑った。
「感情を切り捨てた判断が」
「今まで、どれだけ世界を壊した?」
沈黙。
進行役は、端末を操作する。
「迅氏」
「あなたには、選択肢があります」
スクリーンに、三つの項目が映る。
一、管理下協力者
二、限定観測対象
三、関与禁止区域指定
迅は、目を細める。
「……三つ目」
「それ、要するに追放だろ」
「表現を柔らかくしただけだ」
女性は否定しない。
「あなたの影響力は、無視できません」
迅は、椅子から少し前に身を乗り出す。
「俺が怖いか?」
誰も答えない。
迅は、静かに言った。
「安心しろ」
「俺は、世界を壊したいわけじゃない」
「守りたいだけだ」
「名前のある場所を」
夜刀が、迅を見る。
「……それが、一番厄介なんだけどね」
迅は、苦笑した。
進行役が、結論を告げる。
「第一案」
「管理下協力者として、境界対応に参加していただきます」
迅は、即答しなかった。
「条件は?」
「居住の自由」
「青藍院への不干渉」
「協力内容の拒否権」
女性は、少しだけ間を置いた。
「……拒否権は、限定的に」
迅は、立ち上がった。
「なら、交渉にならない」
「俺は、命令されるために来たんじゃない」
室内の空気が、重くなる。
夜刀が、立ち上がる。
「迅」
「座って」
迅は、夜刀を見る。
「お前は、どっちの側だ」
夜刀は、少しだけ笑った。
「どっちにも、なりきれなかった側」
夜刀は、会議側に向き直る。
「彼を縛れば」
「境界は、必ず歪む」
「彼は、従う存在じゃない」
「“戻る場所を持った人間”よ」
沈黙のあと。
進行役が、短く頷いた。
「……条件を、一部修正します」
迅は、息を吐いた。
「それでいい」
再び、席に座る。
会議は、形式的に終わった。
退出の際。
夜刀が、迅の隣を歩きながら言う。
「これで、自由?」
迅は、首を振る。
「自由じゃない」
「でも」
少しだけ、胸に手を当てる。
「俺の席は、まだ残ってる」
夜刀は、立ち止まった。
「……戻る?」
迅は、頷く。
「灯火に、報告しないとな」
廊下の窓から、夕焼けが差し込む。
世界は、今日も平然と続いている。
迅は、歩きながら思った。
――名前のない席には、座らない。
――座るなら、自分の名前で。
迅は、まだ。
世界と、交渉している。




