第33話 選ばれなかった者の行き先
青藍院は、静かだった。
あまりにも静かすぎた。
境内を渡る風が、音を立てない。
木々のざわめきも、虫の声もない。
灯火は、胸騒ぎを覚えていた。
「……変ね」
境は、乱れていない。
だが、“何も起きていない”こと自体が不自然だった。
夜刀が、廊下の奥から歩いてくる。
「気づいた?」
灯火は、頷く。
「境が……静かすぎる」
夜刀は、苦い顔をした。
「来るわ」
その瞬間。
音が、消えた。
世界から、音だけが切り取られたように。
灯火は、即座に境を展開しようとして――止まった。
「……?」
力が、流れない。
「灯火!」
夜刀が叫ぶ。
だが、その声も――届かない。
境内の中央に、誰かが立っていた。
黒いフード。
顔は見えない。
だが、確実に“こちらを見ている”。
灯火は、一歩踏み出す。
「……何者ですか」
声は、出た。
音は戻っている。
フードの人物が、ゆっくり顔を上げた。
若い女。
見覚えがある。
灯火は、息を呑んだ。
「……あなたは」
「迅と、話していた人」
女は、微笑んだ。
「正解」
「久しぶり、灯火」
夜刀が、前に出る。
「知り合い?」
女は、首を振った。
「いいえ」
「私は、元・管理対象」
灯火の背筋が、冷える。
女は、続ける。
「境に触れ」
「役割を与えられ」
「使えなくなって、捨てられた」
「迅と同じ」
灯火は、歯を食いしばる。
「……迅を、どうした」
女は、即答する。
「何も」
「まだ、ね」
夜刀が、刀に手をかける。
「目的は?」
女は、灯火を真っ直ぐ見た。
「あなた」
灯火の心臓が、強く打つ。
「迅を狙わない理由、分かる?」
灯火は、答えない。
女は、楽しそうに言う。
「迅はもう、象徴じゃない」
「でも、あなたは違う」
「選ぶ側になった」
境が、微かに震える。
だが、灯火は動かない。
「……私を、どうするつもり」
女は、肩をすくめる。
「試す」
「あなたが、迅を“選ばなかった”理由が」
「本物かどうか」
夜刀が、怒鳴る。
「ふざけるな!」
女は、夜刀を一瞥する。
「あなたは、まだ“役割”を信じてる」
「だから、今は邪魔」
一瞬。
夜刀の身体が、弾かれた。
境が、逆流した。
「夜刀!」
灯火が、駆け寄ろうとする。
女は、静かに言った。
「動かないで」
「今、あなたは一人」
灯火は、拳を握る。
「……迅を」
「これ以上、巻き込ませない」
女は、首を傾げる。
「それが、あなたの選択?」
灯火は、頷いた。
「そう」
女は、少しだけ表情を変えた。
「……なら」
「見せて」
「迅がいない世界で」
「あなたは、何を守る?」
境が、強く脈打つ。
今度は、流れる。
灯火は、深く息を吸った。
「迅を守るためじゃない」
「私自身のために」
女は、微笑んだ。
「いい答え」
その瞬間。
境内の結界が、外側から破られた。
複数の気配。
人間側の部隊。
女は、後ろを振り返る。
「ほら」
「あなたの選択の“結果”が来た」
灯火は、歯を食いしばる。
だが。
その時。
青藍院の門の前に、一人の影が立った。
「……遅れた」
聞き覚えのある声。
灯火が、振り向く。
「……迅?」
迅は、何も構えていない。
力も、ない。
それでも、そこに立っていた。
女が、目を細める。
「来たのね」
迅は、女を見る。
「……忠告、ありがとう」
「でも」
一歩、前に出る。
「俺は、選ばれなかった側だ」
「だから」
灯火の隣に立つ。
「ここに、来た」
灯火の目が、揺れる。
「迅……」
迅は、灯火を見ない。
ただ、前を向く。
「守らないって決めた」
「でも」
「隣に立たないとは、言ってない」
女は、笑った。
「……やっぱり」
「あなたたち、厄介」
境が、二人を中心に、静かに動き始める。
焔ではない。
力でもない。
選択が、場を歪めていた。
世界は、再び彼らを無視できなくなった。




