お泊まり決定、気付けば就寝
喉の調子を整えるように軽く咳払いをしたカイルさんは、少し私から離れミアから受け取ったティーワゴンの手摺を持つ。
「ナツメ様」
「あ、ふぁい!」
カラカラとキャスターが鳴る音を聞きながら何となくカイルさんを目で追っていれば、突然名前を呼ばれる。
若干口内に残っている苦味を逃がそうと舌をクルクルと回しまくっていた姿がバレたかなと思いながら、返事をすれば少し舌が絡まり噛みかけた。
「少しご提案があるのですが……もし、ナツメ様が宜しければ、本日の夜は私達が寝泊まりする使用人棟で一夜を明かしませんか?」
「え!?」
カイルさんから告げられた提案は、思ってもみないものだったがそれと同時に心が沸き立った。
実の所お義父様によって宛てがわれたこの私室は転移してきた初日よりは慣れてきたものの、やはり私の価値観からすれば豪奢すぎて気が引けていた。
まだどうしても自分の部屋だという自覚が生まれず、何か粗相をして高級な寝具、ラグ等を汚したり壊したりしてしまったらなどと考えれば気が休まる瞬間が無かったのだ。
そんな時、この提案をされればここよりは絶対に落ち着いた部屋であろう使用人としての個室は、ほんの少しでも気が休まるかもしれないと言う淡い期待が心を擽った。
使用人部屋だとしても日本で暮らしていた私の部屋より豪華かもしれないが、そこは敢えて触れないでおこう。
「本日は一日使用人体験という事なので折角ならお部屋も、と思ったのですが………」
私が返事を渋っていると思ったのか、カイルさんが少し声のトーンを落としながら言葉に詰まらせる。
私は内心、それはそれは!私にとっては大歓迎の事ですよ!!!何なら良いんですか!?!と言う感じだったのでこのまましょもしょもと縮こまっていきそうなカイルさんに慌てて声を掛ける。
「はい!はい!是非ともその提案に乗りたいです!」
「! ふふ。その言葉を待っていました」
花が綻ぶように破顔したカイルさんは、心底安堵したように一息付きフッと出された右手で私の後頭部に取り付けられたヘッドドレスを優しく触る。
心臓が瞬間的に高鳴りつつも何だ?と思えばどうやら少し位置がズレていたよう。
もう少しで外しますけれどもと言いながら、カイルさんはそれを丁寧に直してくれたようだった。
やはり身嗜みと言うのは何処の世界でも大切なのだ。
しかも公爵邸の使用人となれば尚更、主人を軽く見られないよう、格を下げないように振る舞う。
仕える者達の身嗜みと教養はその屋敷の品格そのもの。
例え太陽が沈み、来客者が屋敷内に居ないとしてもそれを怠る様なことなどあってはならない。
日常で常に所作の全てに気を配れなければ、有事の際にそれを行える対応力が身につかない。
カイルさん、いやこの公爵邸で働く全ての使用人達はそれが至極当たり前だと言う意識で居るからこそ、この公爵家の権力を維持出来るその内一つの要因にもなり得ているのだろう。
恐れ入りました。もう頭が上がりません。
カイルさんの気の配りように密かに感心していると、ヘッドドレスに取り付けられたルビーのビンズに目が止まったのか、カイルさんの動きが一瞬止まった。
「ナツメ様、使用人棟に行く前に少し待っていてくれますか?」
「? はい、勿論です」
そう言って、ヘッドドレスを直し終わったカイルさんは再び私の部屋へと踵を返して中へと入る。
何をするんだろうと不思議そうに眺めていれば、カイルさんの足は一直線に私がいつも眠る寝台へと向かっていった。
綺麗な所作で私がダイブした痕跡が残る布団をテキパキと手直すれば、何時もの布団よりフカフカになっていた。
カイルさんは公爵邸の主人であるお義父様の忠実なる補佐官であり、屋敷中の使用人の統括を行う執事長。
そんなカイルさんはベッドメイキングまでもが完璧だと言うのか。
こんなのもう、この人の弱点なんかないだろ。
掛け布団に手を加え、更にふわふわにさせた事で完成したのか一つ肩で息をついたカイルさんは近くにあった室内魔灯に手をかざしフッと消す。
日が沈み、暗がりを照らす月明かりが室内に入って来ぬよう窓際のカーテンを丁寧に閉め切ったカイルさんは静かにこちらに歩み寄る。
「すみません、お待たせいたしました」
最後に入口付近の室内魔灯を消せば、この部屋に小夜が広がった。
それでは行きましょうかと部屋を出るよう促され、扉が閉じれるよう室内魔灯によりまだ明るい廊下へと進み出る。
扉が閉まる直前にまた目に入った自らが使用させてもらっている寝台。
まるで人一人が寝ていると思わされる程ふわふわに仕上がった寝台は、今ダイブすれば大層気持ち良いのだろうなと言う全くもってしょうも無い事を心の隅で思った。
「それでは行きましょうか」
「はーい」
カラカラとミアから預けられたティーワゴンを押しながら、途中食堂に寄る。
使い終わったティーポット達をカイルさんと共に洗い、いよいよ公爵家で働く使用人の皆が寝泊まりする棟へ行く為本邸を出る。
カイルさんは夜間警備をする騎士達へ労りの言葉を掛け、先程行きすがら立ち寄った休憩室から持ってきたランタンで宵闇を照らす。
「ナツメ様、あちらが私共使用人が夜を明かす使用人棟です。暗がりですのでどうぞお手を」
流れる様にランタンを持っている反対の手をこちらに差し出しエスコートを買って出る。
足元を見れば確かにランタンの光があれど闇が深まる夜であれば非常に見にくい。
それにどうやら今日は新月らしい。月の明かりがなく庭園に点々と設置された街灯の無いところは真っ暗だ。
「はい、ありがとうございます」
大人しくカイルさんの手を取り、歩調と同じ感覚で揺れるランタンの金属音を聞きながら視線の先にある使用人棟を見る。
取り付けられた窓からは既に業務を終え自室に戻っている使用人達によって、ぽつりぽつりと室内の灯りが零れていた。
「………ナツメ様」
「? はい」
歩幅を合わせながらエスコートをしてくれているカイルさんがふと語りかけてくる。
「先程召し上がったスイーツのお味のほどは、如何だったでしょうか?」
「………え、あ」
突然のその質問に思いっきり言葉に詰まる。
先程ミアによって提供された紅茶と、デザートスプーンに乗った生キャラメル。
お世辞でも到底美味しいと思えなかったあのスイーツは、ミルヴァさんのお手製。
口が裂けても美味しくなかったですなどとは軽率に口にできない。
しかし言葉を詰まらせれば詰まらせるほど不審に思われる。
何となく嘘をつくという罪悪感に苛まれつつも、世の中には相手を傷つけない為についてもいい嘘があるのだと結論付け口を開こうとする。
「正直に申しても、誰も貴方様の事を咎めたりなど致しませんよ」
「あ、いや……お、美味しかったです、よ」
「………お口に合わなかったようですね?」
ランタンから照らされる淡い橙の光がカイルさんの横顔を照らし、その表情が優しげに微笑まれているのが見えた。
何故バレたかなどは考えるまでもなく、私の取り繕いが下手すぎたのだろうと言うのは容易に分かった。
何とも残念な大根役者。そりゃバレるわ。
普段からお義父様や使用人の皆の顔色と、空気を読みまくる超人であるカイルさんの事だ。
私が明らかに言葉に詰まりどもっていたのを見れば、これが本当の事を言っていないと直ぐに確信が行ったのだろう。
「………う、はい。甘さとは反対の苦味が沢山襲ってきました……お陰で眠気が少し吹き飛びました」
正直に言い過ぎたかなと思いながらもここまで来ればもう良いかと思い全てを吐露した。
甘みが勝るスイーツの中に異常なほどの苦味が加わる事で有り得ないほど不味かったのだ。
紅茶の温かさで眠気が来ていたのに一瞬で目覚めるぐらいには不味かった。
本当に、不味かった。むしろあの瞬間ミアの前で百面相をしていてもおかしくは無い程だった。
「………安心しました」
「え、安心?」
何故か安堵したようにカイルさんはほっと息をつく。
何が安心なのか分からず、問い返そうとすればいつの間にか使用人棟の前へと到着していた。
聞くタイミングを取り逃しまぁ、大したことでは無いかと飲み込み開けられた扉から中へと入った。
入ってすぐのエントランスホールを主軸に向かって右が男性、左側が女性使用人の区画に分かれている様だ。
カツカツと軽快な足音を鳴らしながら、迷いなく棟の右側へと進むカイルさんのエスコートで共に進む。
「本日は少し急でしたので、申し訳ありませんが、私の私室と繋がっているお部屋となっております」
「! カイルさんの、と言うと男性棟の方ですね」
「えぇ、何しろ空き部屋は掃除はされておれど備え付けの家具が少なく、急場ごしらえで用意出来るのがそこしか無く………あ、勿論!女性騎士の方に夜間の間、護衛を頼んでおりますのでその点はご安心を」
男性棟の方で申し訳ないですと謝られるものの、そんなものは私が急に一日使用人体験をしたのが悪い。
それに付随して私の本心を知ってか知らずか、豪奢な部屋で常に気を使っていた私に少しでも心の重荷が降りるような事を提案してくれたのだ。
感謝をすれど謝られる筋合いなどない。逆に男性棟の方へ女である私が入り込むというのが申し訳ないぐらいだ。
しかもそこに、普段要らない労力を費やしてくれているのだから尚更だ。
「こちらでございます」
コツリと足を止めた先は木製の扉の随所にシンプルな金のフレームが飾られた部屋の前だった。
ここまで歩いて来る間に見かけた装飾の無い木製の扉と見比べれば、一目で少し位が高い人が住まう部屋なんだと認識出来る。
案内され、中に入るとそこには過度な装飾が施されていないシンプルな木製の家具が一式揃っている空間が広がっていた。
ここだけ見ればそこそこいい所のホテルの一室の様に見えながらも、断然公爵邸の私室より親しみやすく何処か安心感を覚える。
「わぁ……落ち着くぅ……………」
室内魔灯で室内を灯されれば暖かい光も相まり、ほぅっと溜息をつきそうなほど気が抜けるようだった。
「こちらの扉が私の私室と繋がっております。護衛の者はお部屋の前に配置しております故、今夜は安心しておやすみ下さいませ」
「は、はい!ありがとうございます!」
「ふふ。何だかとても嬉しそうに見えるのは私の思い過ごしでしょうか?」
「ご明察です。正直すっっごく安心感が勝って、心穏やかです」
「それはよう御座います」
室内を見て回っても、どれもこれも機能性に優れたシンプルな家具ばかり。
ベッドに至っても公爵邸にあるクイーンサイズかキングサイズの天幕付きベッドとは違い、シングルサイズの天幕がないごく普通のベッド。
お姫様気分に陥れる天幕付きベッドも別段悪いという訳では無いのだが、やはり見慣れたサイズの見慣れたベッドが一番安心する。
あぁ〜〜〜〜最高かもしれん。一生ここが良い…………
「ではナツメ様。何かご不便など御座いましたら遠慮なく扉を叩いてこの私、カイルをお呼びくださいませ」
その言葉に再びお礼を言おうと口を開こうとした瞬間、カイルさんは膝を折り先程までエスコートにより手に取られていた私の右手の甲へ軽くキスを降らす。
サラリと滑り落ちる私とお揃いの線の細い黒髪が、腕に触れるか触れないかの所まで近付く。
「んぇ!?!」
「…………どうか、お守り下さい…………もうしばらくすればディナがやってまいりますので、お着替えをなさってください。それでは、おやすみなさいませナツメ様」
「おっ、おやすみなさい!!」
手の甲へとキスされたことで顔が一気に熱くなり、カイルさんが何かを呟いた事を聞き取れずにいれば就寝の挨拶をされ、慌てて返事をする。
静かに閉じられた扉を眺め、部屋の奥へと遠ざかって行く足音を静寂の中聞き入る。
「そっ………か。ここ、中世ヨーロッパ的な文化、か。挨拶恥ずいぃ〜〜………」
カイルさんの整った顔立ちと、初対面から好印象を重ね続ける人柄に少しずつ惹かれている感覚が訪れているのを日々感じていた。
しかし、突然の環境の変化により自らの事で手一杯だった私はその感情に薄々気付きつつも、全て後回しにしていた。
現状、この世界に来て一番の安心感に包まれている今、答えを先延ばしにしていたツケが回ってきた。
現代日本で暮らしていた私は生活するので手一杯だったため、生涯のパートナーを作る余裕など無かった。
つまり何が言いたいかといえば、対男性免疫が極端に低い私に今のは刺激が強かった!!!!!
「うぅ〜〜………ベッドに顔伏せたい、けど。その前に着替えなきゃ………」
羞恥のあまり今すぐにでも顔面ベッドダイブをかましたかったが、夜もすっかり更け生物が眠りにつく時間帯となった。
ディナが来る前に一旦クローゼットを開ければ、そこには公爵邸の私室に置いてある私のネグリジェが入っていた。
コンコン
「ナ、ナツメ様、夜分遅くに失礼いたします」
か細く震える声で掛けられた声に、直ぐさまディナだと察した私は閉じられた扉を開ける。
「ナツメ様、の、お着替えを手伝いにまいりました」
「ディナ、こんな夜遅くにごめんなさい」
何処か緊張した様な態度を取るディナを招き入れ、さっそく早朝、ミアによって着せ替えてもらったクラシカルメイド服を脱がせてもらいネグリジェへと着替える。
やっぱり制服であるメイド服と、寝巻きのネグリジェとは締め付け方が違う。
とても爽快だ。
「ナッ、ナツメ様。こちらの宝石は枕元のテーブルに、置いておき、ますね」
ディナのお仕事を少しでも減らそうと、着替えたクラシカルメイド服をクローゼットに片付けていれば、ディナは私のヘッドドレスに付けられていたルビーのビンズを丁重に取り外し机に置く。
きらりと煌めくルビーは、規則的に屈折し机上に揺らめく美しい影を作り出す。
「それでは、ナツメ、様。本日はお疲れ様でございました。どうか安らかな夜をお過ごし、下さい……」
「ありがとうディナ。ディナもしっかり休んでね」
失礼します。と深々と礼をしぎこちなさそうにその場を遠ざかる後ろ姿を見送る。
いつもより緊張して見えたのは、ここが男性棟の方だった故なのか。
夜も遅かったし、何か悪いことしたな。
ふと、背後に人の気配を感じるなと思い振り返れば、そこにはいつの間にか女性騎士の方が静かに佇んでいた。
「あ、えっと騎士さん。こんな所まですみません」
「いえ、ナツメ様の安全に配慮するのは至極真っ当な事ですのでお気になさらず」
騎士団所属の制服をキッチリと着こなすシトラスイエローのおかっぱヘアーをした初めて見かけた女性騎士。腰から長剣を携え、佇む姿は歴戦の剣士のよう。
夜勤の仕事が大変などというのは、三交代勤務をしていた友人の実体験によりよく知っているつもりだ。
それに加えての有事の際の戦闘があるなど、昼間よりも視界が悪い中見張るというのは大層精神をすり減らすことだろう。
今一度女性騎士にお礼を言いそろそろ床に就こうと就寝の挨拶を交わし部屋へと入る。
この見慣れたシンプルな木製家具の安心感を噛み締めながら布団に潜り天井を見上げる。
(…………………)
コンコン
「カイルさんすみません。そういえば私、電気消せないんでした」
自身に魔力を全く持っていない故、この世界にある魔力を供給源にする魔導具の全てを私は扱うことが出来ない。
逆を返せば私は魔導具だらけの部屋に閉じ込められてしまえば一切の身動きが取れなくなるということだ。
私のノックに気がついたであろうカイルさんは返事をし、段々と近づいてくる足音が聞こえ始める。
「すみません、私の配慮が足りなかったです……ね………」
ガチャリと静かにあけられた扉の先には、普段の執事長としてセットされた髪と制服では無いカイルさんが立っていた。
セットがとかれたサラサラとした黒髪に、ラフな就寝用の普段着。
普段とのギャップが凄すぎて不覚にもきゅんと胸が高なった。
「で、ですからナツメ様!ネグリジェで軽率に男性に会ってはいけないと……!!」
「………あ。下着、なんでしたっけ、これ」
一度部屋の奥に引っ込んだカイルさんは一枚のブランケットを持ち出し、私の肩から掛けてくれる。
やはりどうしてもこの世界の常識と、日本での常識が絶妙に噛み合わない。
このネグリジェなど、私から見れば寝巻き用のワンピースにしか見えないのだから。
少し困ったような表情をしたカイルさんは私が寝泊まりさせてもらう部屋へ足を踏み入れ、豆球的役割をしてくれる室内魔灯以外の明かりを消してくれた。
「…………再三言うようですが、その姿で出歩いてはいけませんよ……?」
「はい……ごめんなさい」
暗がりに包まれた部屋に差し込むは、カイルさんの部屋から零れる室内魔灯。
光が相まり、カイルさん全体に影がかかる様な状態に少しばかりドギマギする。
「それでは今度こそ、心安らかにお休みなさいませ」
「おやすみなさいカイルさん」
パタリと閉じられた扉から遠ざかる足音を聞きながら私もベッドへと戻り仰向けになる。
天幕が無く、そのまま天井の木目が見えるベッドからぼーっと眺めていれば、じわりと頬が熱くなる。
(……………ん〜〜これがメロいってやつなんか??)
気遣いができる完璧超人なカイルさん。寝巻きと思われる服装は緩やかな物で、整えられた髪は綺麗に下ろされ執事長としての時より若干幼く見えた。
これがギャップにやられるってやつなのか…………
しみじみと感じていれば、このままでは眠れそうにないなと思い無理矢理別の事を考える為にゴロンと寝返りを打つ。
薄暗い視界に入ってきたクローゼットを見てふと湧いて出てきたのは一つの疑問だった。
「そー言えば、私がこっちの棟で寝るって急に決まった筈なのに、なんでネグリジェだけちゃんと入っとったんじゃろ………」
ポツリと呟いた独り言は闇夜に掻き消え、またシンとした静寂に身を包まれる。
それに呼応したかのように近くの机上に置かれたルビーの宝石が一瞬キラリと輝いた事に気付かないまま、私は眠りに誘われて行った。




