プロ意識が高すぎる
今回も引き続き暗いシーンが続きます。
「ジュリはきょねん、ここでいちばんうえのねえさまだったんだよ。だから、こわいおきゃくさまじゃないの」
「いちばんうえの…シアノみたいな?」
露骨に嫌な顔をするアイビスにおもわずに苦笑いが出てしまう。
どうやらアイビスはシアノが苦手らしい。
「シアノ、こわいひとじゃないよ」
「こわいわけじゃないわ。すきじゃないだけよ」
うーん、好きじゃないか…
でも嫌いと言わないだけマシだと思った方がいいのかな。いつだったか忘れたけど、クルカラなんて思いっきり世話人にキライ!って叫んでたし。
「シアノはわかりずらいけど、いいこだよ」
「しってるわよ。…すきじゃないってだけ。べつにいいでしょ」
うっ…全く聞く耳持たずかぁ…
僕の知らないところでシアノと何かあったんだろうし、わざわざ首を突っ込むところでもないか。それよりもジュリへの誤解を解くほうが大事だ。
「ジュリはね、セラのこととってもだいじにおもってくれる、いいひとなの」
「…だいじにおもってくれるひとが、ぼうりょくしてくるわけないじゃない」
なんとも反論しずらい事を言い返してくるアイビス。
前世の記憶から僕は、様々な愛のカタチがある事を知っている。綺麗な愛のカタチもあれば、言葉では言い表せない恐ろしいものまで様々だ。
…うん。そこら辺については触れないでおこう。この話題は危険だ。
「…ぼうりょくじゃなくてね、あれは…ちゅうのあとなの」
「ちゅうのあと?」
「そう。すきなひとにキスするでしょ?それでちゅーってしたら、あおくなっちゃうの」
僕はぷにぷにと柔らかい自分の腕をはむっとし、ちゅーっと吸ってみせた。
「…ぷはっ。ほらみて、あかくてくろく、なったでしょ?」
「えぇ…ほんと…だけど…だいじょうぶなの?それ…」
「いたくないよ?アイビスもやってみたらわかるかも」
本当はアイビスの腕にちゅーっとしようとしたのだが…いくら自分が本当に子どもの身体だったからといって、幼女にキスマークを付ける訳にはいかないと瞬時に思い留まったのだ。
前世の記憶が無い方が良かったなんて微塵も思わないが、あったらあったでいろいろ配慮しなければならないから大変だ。
そんなことを考えているうちに、アイビスは自分の腕にかぷっとかじりつき…なんかカジカジしていた。
「あ、アイビス…かじったらいたいよ??」
「…??どういうこと??じゃあどうやるのよ」
どうやるってなんだ??吸うんだよ。ちゅーっと。
「ちゅーってするの。すぅ〜って、すってみて?」
「すぅってなによ?キスしてもあかくならないわよ?」
「ええっと…いきするのに、すうでしょ??スープのむときとか」
「いきすう??スープ??どういうこと??」
「すぅーってするの。すぅ〜〜〜…って!」
いやいや、こんな説明しなくてもわかるでしょ!?と思ったが、どうやら本当に分からないらしい。
深呼吸するみたいに大きく吸ってみせてようやく理解したのか、アイビスは自分の腕にちゅぱっと吸い付いて驚いた顔をしている。
呼吸は意識しなくてもしてるから、わからない事もあるのかもしれないけれど…スープとか啜るでしょ…
と思い返してみたところ、そういえばここの食事に出てくるスープは全てぬるいため、啜って飲む必要が無いのだ。
もしかしたら吸うという行為に気が付かないこともあるのかもしれない。
………
…いやいやそんな訳ないな。小さいうちはおしゃぶりとかもするだろう。
「ほ、ほんとにあかくなっちゃった…ちょ、ちょっとアンタ、これどうすんのよ!?」
…おや?アイビスが何やら焦っている。どうしたんだろう。
「そのうちなおるよ」
「そのうちっていつ!?」
「…あしたとか??」
「ほっ、ほんとうでしょうね!?」
そんなの知らないけど…明日には治ってるんじゃないかな…何か問題でもあるのか??
「うぅ…さいあくだわ………アンタ、わかってるの!?」
「うぇ!?な、なにを??」
目の端に涙を溜めたアイビスに睨まれ、おもわず後ずさってしまう。涙目になる意味もわからなければ、何に怒っているのかもわからない。
一体なにをわかればいいというのか。
というかやったの自分じゃん…これやったら赤くなるよって説明もしたし…僕に当たられましても…ただのキスマークだよ??
しかしアイビスにとって、このキスマークは由々しき事態らしい。
「…わすれちゃってるみたいだから、おしえてあげるわ…」
理解できていない僕の様子に余計に腹が立ったのか、アイビスは勢いよく立ち上がって仁王立ちのポーズをとった。
どうやらお説教モードのスイッチが入ってしまったらしい。
「わたしたちはね、きれいでいなくちゃいけないのよ。いつおうじさまがきてくれるかわからないんだからね!!」
あ…そういえば…アイビスは王子様に見初められるのが夢なんだっけ。そういえばそんなこと言ってたね…
…でも…
「…えっと、アイビスはまだ5さいだし…」
「なんさいとかかんけいないの!!」
「…はい…」
「いーい?わたしたちはいつでも、きれいなみためでおきゃくさまをおもてなししなきゃいけないの。ケガすることなんかしちゃいけないし、じぶんのからだをきずつけるだなんて、もってのほかだわ!!」
ぷ、プロ意識が高すぎる…
「…でもアイビス。セラたちにおきゃくさまなんて、まだまだこないよ??」
僕達はまだ5才と6才だ。客なんて来ないし、そもそも8才の子ですらあまり客に呼ばれることはない。
もっと気楽にしてていいんじゃないかな?
「…アンタ、こないだもそのまえも、おきゃくさまによばれたじゃない。わすれたとはいわせないわよ」
顔をずいっと近付け、有無を言わさぬ圧力を放つアイビス。
そういえば僕はウィルやジュリの相手をしたばかりで、どちらも紛うことなきお客様だった。
不本意ながら、まだまだ来ないなんてセリフが言える立場ではなかったらしい。
「…はぁ。なんでアンタみたいなのばっかり、おきゃくさまがくるのよ。わたしにはこないのに」
「アイビスも、おきゃくさまきてほしいの?」
「あたりまえじゃない。おうじさまにみつけてもらわなきゃいけないのに、だれにもあえなきゃ、みつけてもらえないもの」
確かに運命の相手がいたとしても、出会えなければお互いに知り合うことはできない。
出会えなければ既に出会った中で無難な相手を選ぶだろうし、機会が合わなければそのまま1人で過ごす事になる。
とはいえ運命とは、出会うか出会わないかまで含めての運命なんじゃないかと思うんだけど…
現状に流されるまま受け身である者よりも、自分から多くの人と知り会おうとする者では、やはり大きな違いはあると思う。
アイビスは夢を見るだけじゃなく、自分から夢に近付こうとする現実派なんだろうな。
「…まぁいいわ。まだおあいてできないうちにきちゃっても、こまっちゃうし…」
まだお相手できないうち?
「…おべんきょう、うまくいってないの?」
「………」
アイビスはさっきまでのお説教モードからしょんぼりとした表情になってしまい、こくりと頷くと再び僕の隣に腰を下ろした。
「…アンタはおべんきょう…その…こわく、なかった?」
躊躇いがちに聞いてくるアイビスの様子から、本当は口に出したくないことを無理やり口に出しているような雰囲気が伝わってくる。
「セラのときは…」
僕の時は…それほどお勉強が怖かったという記憶は無いような…
………
いや。
「…もやもや、いやなきもちになってたかも」
「…もやもや?」
「んー…セラは、ぜんぶわすれちゃってるから、アイビスとちょっとちがうかもしれないけど…」
思い返してみると最初にお勉強をする事になった時も、その後も。とても嫌だった記憶がある。
気が付くと背中が汗でべっとりしていたり、心では完全に「これくらい我慢するかぁ」と軽く諦めているはずなのに、自分の感情とは裏腹に身体が強い拒絶反応を起こして強い吐き気が襲ってきたり…
今まで心の底から不思議だったこれらの現象は、もしかしたらこの身体に刻み込まれているトラウマだったのかもしれない。
ただ僕の記憶に無いだけで。
身体はまだ…セラの記憶はまだ、辛い経験を忘れることができていないのかもしれない。
「…おべんきょう、かいだんおりるのやだなっておもうときあるし、ぼうなめるのとか、うぅ〜って、やだなっておもうよ」
「…アンタもそうなの?」
「うん。アイビスも?」
こくりと頷くアイビスは誰にも言わないでよと前置きしてから、苦しそうな顔で悩みを打ち明けてくれた。
「…あのぼう…くちにちかづけると……あのときのことおもいだしちゃって。…こわくてたまらなくなるの……もうずっと、そこからおべんきょう…すすめてないのよ…」
あの時の事とは、客に暴力を振るわれて全身大怪我をしてきた時のことだろう。
ワンピースの裾を固く握りしめながら話すアイビスの姿に、心臓がぎゅうっと締め付けられる。
「…ねぇ、おしえて。アンタはどうやって、こわいのこくふくしたの?おきゃくさまのおあいてしてるんだから、できるようになったんでしょ?」
真剣な眼差しからアイビスの必死な想いが伝わってきて、たまらず僕はアイビスのことを抱きしめた。
「…なぐさめてほしいわけじゃないのよ。どうしたらできるようになるか、ききたいだけで…」
アイビスの目をこれ以上直視することができなかった。
どうしてこんな残酷なトラウマを抱えなくてはならないのか。なぜそんな目に遭ってまで、必死に歪んだ夢を追いかけなければならないのか。
この世界は、歪んでいる。
どうしようもないほど汚くて。
気持ち悪くて。
醜い。
孤児出身者には選択肢が少なく、そんな中で少しでもいい暮らしをしたい。王子様に見初められたい、そう思うのはおかしい事じゃない。
夢を持つのが間違いだなんて思わない。
けれど…けれども…こんなのやっぱり、間違ってる…
アイビスの苦しみも。ジュリの苦労も。セラの犠牲も。他の子ども達だって。
こんな歪んだ世界が、仕方のない事だなんて。何もできないなんて…そんなの、どうしたって許せない…許したくない…
様々な思いが溢れてきて、心が苦しくてたまらない。
気付けば僕は、泣きながら訴えていた。
「アイビス…ここは、えほんのなかじゃないの…」
「…なに、いってるのよ。そんなことわかってるわよ」
「ちがうの。そとにはいっぱい、いろんなひとがいるし、そもそもしょうかんにくるひとは、しらないことイチャイチャしようって、あそびにくるひとだよ」
遊び人が運命の相手?
自分だけの王子様?
…ふざけるな。
「そんなひとのいちばんになるより、しょうかんであそばなくて、アイビスのことだけみてくれるひとの、いちばんになったほうがいいよ…」
幼い頃から見てきた絵本に憧れる気持ちはわかる。アイビスや他の少女達にとって、とても純粋な夢なんだろう。
それでも…
「こんなにくるしくて、こわくて、かなしいのなんて…まちがってる…まちがってるんだよ…アイビス…」
無知な子どもを。純粋な想いを。
ささやかな願いを、利用しようとする事は許しちゃいけない。
どれだけ効率がよくても、どれだけ利益が出るとしても。
それらを利用されて傷付いた子ども達が行き着く先は…希望なんて見出せない、どこまでも諦観が付き纏う、暗く冷たい世の中だ。
「…アンタ…そんなしゃべりかたなのに、いがいとおとなっぽいこというのね」
ひ、ひどい…こっちは真剣に話してるのに…
自分では異世界語をみんなと同じように喋れている気がしているのに、傍から聞くと何か違うらしい。
…イントネーション?…言葉のニュアンス?…わからん…
「…まちがってるなら…じゃあ、どうすればいいのよ…」
「…セラも…わかんない…」
「…なによそれ…」
ぎゅっと抱きしめあいながら、本当はアイビスを癒してあげたいのに、ぐずぐずと泣いている僕が逆にあやされている状況が不甲斐ない。
どうにかしなくちゃいけないのに、どうすればいいのかわからない。
先行きの見えない不安や何も変えられない焦りが雪と共に静かに降り続く冬ももうすぐ終わる。
この悩みも不安な気持ちも、雪と一緒に消えてくれたらいいのに。
〜夕食時〜
「ん?…アイビス、その腕はどうした?」
お盆を持ってご飯を受け取りに行くと、アイビスの腕についているキスマークを目ざとく見つけた世話人が尋ねてきた。
「え?…あっ!!これは、その…」
あたふたとするアイビスを横目に見ながら、そんなに気にしなくていいのにと他人事のように思っていると…
「えっと…そう!!セラのせいよ!!」
「うえっ!?」
何を言うのかと思えば、突然僕のせいにしだしたぞ!?
さっきも僕のせいにしてたけど…それはアイビスが自分で付けたものじゃん…
「セラ、お前…ジュリの真似はダメだとあれほど…」
「ちがっ、ちがうの!!アイビスがやったんだよ!?ねっ、アイビス!?」
「ふんっ!!セラのせいでこうなったのはまちがってないでしょ!!」
アイビスが過剰に心配してたから、大した事ないんだって教えてあげただけなのに…
その後、世話人から僕だけこんこんとお説教をくらった。
この世は理不尽である。




