ここが異世界であるならば
予備知識
※世話人は一人で子ども達の食事の準備や洗濯といった身の回りの世話や、客のための部屋を整えたりで大忙しなので、セラが世話人に色々話を聞きたい時は料理を見たいとせがみ、背中におぶってもらっています。
元は暴走するジュリ達からセラを守るために始めたおんぶの習慣ですが、世話人も満更ではないようです。
あれから3日後、ジュリは務めている娼館・雌鹿邸に一度戻ることになった。
しかしそれは一時的なもので、ジュリの体調が万全になるまではここと向こうを数日置きに行き来して、仕事と療養を同時に進めていこうという話になったらしい。
ジュリ自身も小鹿亭と雌鹿邸を行き来できるのであれば一旦帰ることにそれほど抵抗は無いらしく、やけにあっさりと帰っていったので一安心だ。
まぁ、2日後にはまた半泣き状態で戻ってきたのだけれども…
世話人から聞いたところによると、お医者様曰く、常に一緒にいた存在が急に居なくなったことに対する過剰なストレスの蓄積がうんたらかんたら〜との事らしい。
世話人も言葉だけはある程度覚えていたが、内容についてはよく分かっていないようだ。
僕としては仕事のし過ぎが原因だと思っているけど…ここの医者の目は節穴なのだろう。
…それにしても。
「こじかていと、めじかてい??」
「ええ。どちらも鹿という動物で、子どものうちは小鹿、大人になった女の子の鹿は雌鹿って言われるんですって。小鹿亭と雌鹿邸はそこからとった名前みたいね」
とても安直なネーミングセンスだ。きっとまとめて適当につけたんだろうな。
と思っていたら、雌鹿邸のほうは最近できた娼館で、ここ小鹿亭とは全く関係がなかったらしい。
ジュリが言うには、動物の雌鹿のことを愛している変な人が作った娼館だから、雌鹿邸という名前になったんだとか。
オーナーの変な言動がうつるといけないから、見かけても近付かないようにと念を押されてしまった。
一体どんな人なんだ??
「全部が緑の変な人よ。お店に鹿の剥製があるんだけど…オーナーがおしりを撫ですぎて、おしりの毛がちょっと禿げてきちゃってるの。可哀想に…」
などと言っていたので、ろくな人間ではなさそうだ。
変な人には近付かないに限る。
地球でもそうだったが、きっと異世界でも同じだろう。
ジュリが頻繁に来るようになってから数週間が過ぎ、季節はすっかり秋から冬へと移り変っていた。
その間に様々な話を聞くことができたし、僕自身、色々考えなきゃいけない事がようやく纏まってきたように思う。
まずは、この身体か。
この身体は元々セラという少女のもので、そこに何故か僕がいるという状況だ。
僕にセラについての記憶は全くない。
脳も身体も、セラが使っていたものと同じなのだから何か思い出せたりしないかと頑張ってはみたのだが…何も思い浮かぶことはなく。
セラという少女に心の中で話しかけてみたものの、返事のようなものも何一つ感じることができなかった。
そして、ジュリに記憶を失う前のセラがどういう子だったのか聞いてみたが、残念ながらジュリもあまり元のセラという少女については知らない様子だった。
「セラは…記憶を失う前も、記憶を失った後も。とっても頑張り屋で、心の強い…私の大切な子よ…大丈夫…セラは何も変わっていないわ…」
ジュリの苦しそうな顔を見て、当時のことを思い出させるのはこれっきりにしようと誓った。
考えてみたら、よく知らなくて当然だったのだ。
ヨーカの時と同じ。ここに来てから2週間たらずで客の相手をさせられ、そこからは記憶喪失になっているのだから。
次に、この場所について。
今までも散々聞いて回って考えてきたが、その時はここが地球だと思い込んでいた。
魔法で作った土壁などの話は子ども騙しの作り話だろうと軽く流していたし、何か見落としていることがあるかもしれない。
そう思って改めて聞いてみると、やはりこの世界について色々と見えてくるものがあった。
まず、ここ小鹿亭は…"国が管理している"女児専門の娼館である、ということ。
そして小鹿亭だけでなく、この国にある娼館は女児専門、大人専門に関わらず全て国の管理下にある施設だと言うことだ。
これはジュリだけではなく、世話人にも改めて聞いたので間違いないのだろう。
「おうさまが、ここのえらいひとなの??」
「…そう…だな……そうとも言える。ここはこの国の中心にある街だから娼婦の移動はほとんど無いが、セラ達がここに来た時に使った馬車や、他の街に娼婦が移動になる時は、娼館所属である事を示す紋様の施された馬車を使うんだ」
「もんよう??」
「王様が決めたマークみたいなものだ。盗賊…悪い事をする奴らも、その馬車だけは絶対に狙わない。必ず国からの討伐隊が押し寄せてきて、極刑に処されてしまうからな」
「きょっ、きょっけい…!?」
娼館や、娼館の馬車を襲ったら即死罪だそうだ。
では村や商人を襲った場合もそうなのかと思えば、そっちはそれなりの罪になるだけらしい。
一体何を考えたら娼婦を襲うことだけそんな重罪判定になるのかわからないが、絶対に娼館には手を出してはいけないという内容を示唆する話が、絵本として孤児院にも置いてあるらしい。
そして厳罰が設けられているのは、娼館に限らず孤児院もだそうだ。
孤児院を襲う。孤児院から人を攫う。
こちらは即極刑とはならないが、どちらも終身刑は確実らしい。
それだけ聞くと、身寄りのない子どもに手厚い保護をしている良い国に思えるが…一転、そこから先は娼婦生活だ。
…なぜ国がそんな事を主導しているのか理解できない。
だが、話をする世話人はそれに全く負の感情を抱いていない様子だし、むしろ娼館で働くのはいい事で、その為にみんな努力をするのだという話をしていた。
孤児の女の子は娼婦に。では、孤児の男の子はどうなのかというと、一番の出世頭が世話人の仕事で、世話人になれなければそれなりの仕事に。最初から見込みがない者は農夫や炭鉱夫などになるしかないそうだ。これは見目の悪い女の子の場合も同じだという。
世話人という仕事は孤児院育ちにとっての出世コースで、安定した高収入を得られる憧れの存在のようだ。
そのため目の前の世話人もその為に幼少の頃から身体を鍛えていたらしい。
女の子は娼婦へのスカウトを受けて娼館へ。
男の子は世話人になるためのスカウトを受けた後、養成学校で必要な事を学び、たくさんの人達と競い合うことになるそうだ。
「あれほど酷い客がいるなんて、当時は知りもしなかったからな…いい暮らしをするために毎日ひたすらに勉強して、身体を鍛えていたよ」
料理中、背中におぶさる僕の頭を撫でながら呟く世話人の横顔には後悔の色が滲んでいた。
きっと記憶を失ったセラや、ヨーカやアイビスの時の事を思い出しているんだろう。
それでも世話人という仕事を辞めないのは、自分が辞めようが辞めなかろうが、犠牲になる人は毎年変わらず出るからだという。
毎年震えるほどに心が苦しい思いをするデメリットを補って余りある利が、世話人にはあるのかもしれない。
もしくは…他の仕事が、それ程までに待遇が悪いのか。
………
…諦めているんだ。変えられないことだと。
この犠牲は仕方がないことなのだと。
そしてこの冬が終われば…また。
「…セラにはまた、辛い思いをさせることになる…すまない…」
世話人が謝る事じゃないのに…
「…せわびとも、がんばってる。えらい」
こんな中身おっさんの僕に頭なんか撫でられても嬉しくないだろうけど、僕も見た目だけなら可愛らしい子どもだ。
ほんの少しでも心の慰めになるといいな。
他に聞いたのは魔物の素材についてだ。
お皿を洗う桶に入っている泥や、髪の毛を洗う洗砂は魔物の素材だと聞いた記憶が朧気ながらある。
以前は魔物の素材がどうのこうのという説明を子ども騙しの作り話だと決め付けていたが、ここが異世界であるならば話が180度変わってくる。
「あらいずなは、まもの?」
「魔物の素材、つまり"魔物だったもの"だな。俺も詳しくは知らないが、海の向こうの大陸に生息しているサンドスライムという魔物から取れるらしい」
「うみのむこう?こっちにはいないの?」
「いないな。俺達のいるオーライン大陸には魔物がほとんどいないんだ」
こっちの大陸には魔物がいないのか…ほとんどってことは探せばいるのか??
「かくれてる?」
「隠れてる…そうだな…魔物がほとんどいないと言ったが、オーライン大陸でも5年か10年に1度はゴブリンという魔物が出て大騒ぎになる。もしかすると、普段は山の奥深くに隠れているのかもしれないな」
なるほど…いるにはいるのか。
ただ5年10年で1度しか出ないとなると、確かに人の住む場所の近くにはまず居ないってことだ。
「せわびとはゴブリンみたことある?」
「いや、無いな」
「みんなでたおすんじゃないの??」
「みんな…??」
魔物討伐といえば、討伐隊を編成したり、冒険者がパーティーを組んで向かうイメージがある。
それとも1体や2体しか出ないのだろうか?はぐれゴブリンみたいな。
そう思ったが、ゴブリンが出る時は10体以上の集団で出るのが普通らしい。
そして魔物の討伐は騎士団の管轄で、確かに大規模な討伐隊は組まれるものの、一般市民は一切参加しないそうだ。
騎士団について話す世話人が面白くなさそうな顔をしているのを見るに、何か嫌な思い出でもあるのかもしれない。
「せわびとはきしだん、あんまりすきじゃない?」
「…いや……騎士団はお貴族様しかなれなくてな。横暴なお貴族様も多いんだ。…仕事も大して無いようだしな」
…騎士団には貴族しかなれない…か…腐敗の匂いがプンプンするな…
ここの客には貴族も多いため、世話人も安易に悪口は言えないのだろう。もの凄く言葉を選んだような、妙な間があった。
それに貴族といえば、真っ先に思い出すのは去年の秋にジンムカ様から差し入れのあった"バカ鳥"だろう。
りんごそっくりな見た目の赤いアッポの実をたらふく食べて、丸々と美味しそうになった姿をしていながら、呑気にそこらで昼寝をしている鈍臭いヤツら。
あまりに鈍臭いものだから、ヨダレを垂らしたクルカラに何度か鷲掴みに捕らえられているものの、バカ鳥は貴族以外の狩猟が禁止されている。
それは僕達のように壁に囲まれて暮らし、食べても世間にバレない状況だとしても禁止は禁止だそうで…
「…逃がしてきなさい」
「やだっ!!たべるのっ!!」
料理してくれとバカ鳥を差し出しながらグズるクルカラから世話人はバカ鳥をむんずと受け取り、壁の外に投げ飛ばした事もあった。
空いっぱいに響き渡るクルカラとバカ鳥の悲鳴。
…あとついでに僕の悲鳴も。もう捕まえちゃったんだし…なし崩し的に食べられないかな?という淡い期待は遥か彼方へと飛んでいった。
あの後クルカラをなだめるのはとても大変だったし、それでも懲りずにまた捕まえようとするクルカラを止めるのは僕たちの仕事で、今年もクルカラとは何度か激闘を繰り返している。
全てはお貴族様のせいだ。
「…バカどりは、おきぞくさまがひとりじめしてるっていってた」
「…それはクルカラが言っているだけだ。買おうと思えば買える…が、驚くほど値段が高いらしい」
「…つかまえればタダ…」
「捕まえちゃダメだからな」
世話人さえ黙っていてくれればバカ鳥が食べ放題だと言うのに…全く。世話人は本当に融通が利かない。
そして、一番大切なことも改めて聞いた。
「そとにいるひとは、どんなおしごとしてるの?」
「…もしかしてジュリの言っていた事を気にしているのか?確かにここは年に一度だけ酷いお客様が来る。だが、一度だけだ。外でここより良い働き口などまず無いし、出て行くことはできても戻ってくることはできないんだ」
ここを脱出した後にどうやって生きていくか。それが一番の問題だ。
まさかここを抜け出しても全く生活の当てがなく、結局身体を売って娼婦として生きていく…なんて事になっては、本末転倒どころの話では済まない。
脱出してすぐ近場で働くなんて事は考えていないが、この世界がどんな仕事で成り立っているのかを知らなくてはどうしようもないのだ。
…と思って聞いてみたものの、世話人にはこの話題にもの凄く難色を示された。
もう懇々と、ここ小鹿亭の待遇が他の娼館に比べてどれだけいいものなのか説明を受け、他所はそんなに酷いのかと絶句した。
どうやら僕が「あまりに酷い環境」だと思って過ごしてきた小鹿亭は、ランクでいうと上から3番目。
これでも相当いい待遇だったらしい。
ランクは全部で6段階だがピラミッドのような形で、1番目は王族と上級貴族のみを相手にする特級ランク、2番目は中級貴族向けで、そして僕達のいる3番目が中級ランク。
ここまでは貴族を相手にする関係で、食事に頻繁に肉やデザートが出たり、客の相手の前に全身を洗うことができたり、安全が確保された広い庭と自由なスペースが多く、自由に過ごすことができる…との事。
では、それより下のランクは…
一瞬とんでもなく劣悪な環境を想像してしまったが、どうやら食事が質素で寝床がぎゅうぎゅう。身体を洗うことは無く、娼館の周りに守ってくれる壁がない。
劣悪な環境ではあるが、遊びたい時は普通に娼館の外へ出て遊べるらしい。
それは…果たしていいのか悪いのか。一瞬悩んでしまったが、壁が無いからこそ誘拐されることもあると、世話人は険しい顔で教えてくれた。
…娼婦に手を出したら極刑なのでは?と思ったが、それでもやる奴はやるらしく…
更に、悪いことをする奴はバレないように、バレても身代わりを立てたりして逃げてしまうためタチが悪いと、珍しく世話人は憤っていた。
だからこそジュリの甘言に惑わされてはいけないと強く念押しまでして。
…どうやら外の世界は以前想像していたように、かなりの無法地帯のようだ。
………
…はぁ。
最悪な環境だと思っていたここが、実は現状、最高に近い環境でした。
…なんて。
どうするんだこれ…
※誤字修正しました!報告ありがとうございます!
「そう思つて」 → 「そう思って」




