真実
「……ローティス伯爵令息リディオは、社交界でも悪評高いことで有名だ。不幸なことに、マリーズは彼の悪評を知らなかったようだな」
「悪評……でも、リディオは悪い人には見えなかったわ。わたしに寄り添おうとしてくれて、親身に話を聞いてくれた」
だからこそ、先程のリディオの言葉が信じられない。
わたしを遊びで弄んでいたかのような発言が。
「悪人だからこそ、表立っては真人間らしく振る舞うものだ。婚約者がいるにもかかわらず女性を口説き、最終的には金や権利だけを掠め取って捨てる。そうして捨てられた令嬢は数知れない」
「……さっき、リディオとその友人たちの会話を盗み聞きしたの。わたしのこと、適当に一年間付き合ったら捨てるつもりだって」
「そうか。まだリディオと親交が浅い段階でよかったかもしれないな」
「よくなんてないわ。だって……せっかく婚約者が見つかったと思ったのに。両親に婚約者を失ったなんて言ったら、今度こそ家を追い出されてしまうもの」
「……」
もう行き場がない。
令嬢の価値は婚約にこそある。
有力な家の相手を見つけて、嫁がせるための道具。
少なくともわたしは両親からそんな風に見られていたから。
トリスタンはしばし黙り込んでいた。
やがて躊躇いがちに沈黙を破る。
「ならば、私の家に来るか?」
「え……?」
「先程言ったとおり、私はマリーズに対して償いがしたい。私の家に来るなど不安だろうが……そこは信の置ける従者、たとえばロゼーヌなどを連れて来てもらって構わない」
トリスタンの屋敷には何度か言ったことがある。
元婚約者だし、もちろんご両親とも知り合いだ。
トリスタン本人はともかく、ご両親は優しい人だったから大丈夫だと思うけれど……やはり他家に滞在するというのは不安が残る。
「わたしがお父様に断りを入れずに、アイニコルグ家で滞在する。それってアイニコルグ家がわたしを誘拐したようにも見えないかしら?」
「それについては心配いらない。君のお父上、ネシウス伯爵には私から話をつけておこう。……婚約破棄した相手の父親に会うのは、多少の勇気が必要だが。いずれは向き合わねばならない問題だ」
ありがたいのだが、それはそれでトリスタンが心配だ。
彼の自業自得……ではあるのだけど。
「マリーズ。君はとにかくリディオから離れるべきだ。私もネシウス伯爵に、マリーズがリディオに唆されていた旨を説明してみようと思う」
「……本当にそうなのかしら。リディオはたしかに悪名高いのかもしれない。でも、わたしの命を救ってくれたことも本当で……いえ、現実を受け入れたくないだけなのでしょうね」
「リディオがマリーズを賊から助けた件か。あの賊はリディオの子飼いで、君を襲わせたのも彼だ。つまり自作自演だな」
「――」
思わず絶句した。
嘘……あの出会いは作られたものだったの?
それに賊を配下にしているなんて……どういうこと?
「証拠もある。君を襲った賊の拠点に斥候を忍ばせ、ローティス伯爵家との契約書を盗ませた。たしかに"リディオ・ローティス"の名で賊と契約が交わされていた。印章も偽装不可能な代物だ」
「……わたし。本当に馬鹿なのね」
「いいや、違う。君は誰よりも誠実なだけだ。その誠実さを踏み躙ったのが私、利用しようと企んだのがリディオ。本当に……救いようのない馬鹿男ばかりだ」
自嘲するようにトリスタンは吐き捨てた。
自分を卑下するなんて……本当に一年前とは人格が違うみたい。
いや、一年前の面影を残しつつも、ずっと成長したかのような。
「ねえ、トリスタン。貴方は心を入れ替えたの?」
「ああ……信じてもらえないと思うが。私は深く反省し、二度とあのような真似はしないと誓った」
「ええ、信じられないわ。だって一年でそこまで変わるとは思えないし……人の心根は大きく変わらないと言うでしょう? 婚約破棄って、すなわち浮気のことよ。貴方もリディオと同じ。あの日のことは昨日のように思い出せるの」
「……耳が痛いな」
付き合う女性を掛け持ちしているリディオと、徹底的に切り離して一人と付き合うトリスタン。
正確に言えば違うのかもしれないが、どちらも最低な人間なのは変わりない。
「――すみません。そろそろ夜会もお開きになりそうです。早いところ切り上げてもらってもいいですか?」
「イシリア……空気を読んでくれ、と言いたいところだが。あまり長話をしても君に迷惑がかかってしまうか」
遠くから様子を見ていたイシリア嬢がやってきた。
彼女のおかげで安心して話せた節がある。
ずっと見守ってくれたことに感謝しなければならない。
「イシリア嬢、ありがとうございました。貴女のおかげで臆することなく会話ができました」
「いえ、礼には及びません。それよりもマリーズ嬢……ひとつお願いがあるのですが」
「お願い、ですか? わたしにできることは少ないですが……」
「トリスタンを殴ってやってくれませんか?」
……え!?
いま殴るって言った?
「わたしが? トリスタンを殴るんですか?」
「はい、グーで。あなたも鬱憤が溜まっているでしょう?」
「グーで!?」
そんなことをしたら……絶対に仕返しされてしまう。
彼は貴族らしく気位の高い人だ。
殴られようものなら、激怒するに違いない。
実は臆病だけど返すべき仇は返す人だから。
「…………」
しかし、トリスタンは瞳を閉じてその場に立っていた。
心なしか何かを覚悟しているようにも見える。
これは……やっていいのだろうか?
別に殴ったからといって婚約破棄を許すつもりはないけれど。
イシリア嬢の方をちらと見ると、彼女は得意気な顔でうなずいた。
「え、えっと……えいっ!」
「っ……!」
言われたとおり、わたしは拳を突き出した。
彼の頬を一発殴る。
思いのほか力が籠っていたのだろうか。
トリスタンはたたらを踏んで後退った。
「あ、ご……ごめん! 痛かった?」
「はは……いや、痛くない。君が受けた心の痛みに比べれば、まったく。こんな私を叱り、殴ってくれてありがとう」
――虚を突かれる思いだった。
彼は頬を抑えながらも、純粋無垢な子どものように笑った。
この笑顔、なんだか懐かしい……。
「一年前のトリスタンなら、激怒していたんじゃないですかね。これが更生の証……とは言えませんが。同じ学級の生徒として、この人が変わったことは保証します。許してやってくれとは言いませんが、トリスタンが更生したことは認めてあげてくれませんか?」
イシリア嬢の擁護に、わたしは困惑しながらも首肯した。
彼がどんな一年間を過ごしたのかは知らない。
しかし、明らかな成長は見て取れた。
「あ……トリスタン。これ」
暗闇の中、彼の口元が切れて出血しているのが見えた。
わたしは慌ててハンカチをあてがう。
ここまで強く殴るつもりじゃなかったのに……恨みとは怖いものだ。
「このハンカチは……まだ、持っていてくれたのか?」
「あ……」
トリスタンに差し出したハンカチ。
それが昔、彼に贈られた物だと今になって気がついた。
捨てようにも捨てられず、いつの間にか持ちあることが習慣になっていた物で。
「その……た、たまたま持っていただけよ」
「ふっ……そうか。偶然だとしても嬉しいよ。ありがとう」




