謝罪
城の中庭に出て、その場にへたり込んだ。
胸が苦しい。
動悸が止まらない。
トリスタンに婚約破棄された、あの日のように。
わたしは再び大きな喪失感と失望を味わっていた。
全部、嘘だったんだ……リディオがわたしに向けてくれている好意は。
利用されて、遊ばれているだけだった。
悲痛に涙が止まらない。
「もう嫌……」
わたしを愛してくれる人はいないんだ。
この世界のどこを探しても、一人もいない。
リディオを追って浮かれていた自分が馬鹿みたい。
騙されているのに気がつかず、希望を見出していた。
もう実家に戻ることはできない。
今度こそ、本当に両親に愛想を尽かされてしまうだろう。
このまま消えてしまおうか。
誰にも必要とされないわたしなんて……
「――いた。マリーズ嬢!」
暗闇を縫ってこちらに駆けてくる少女。
彼女は暗中でも正確にわたしのもとにたどり着いた。
こんな姿、誰にも見られたくないのに。
「イシリア嬢……? お帰りになったのではないですか?」
「あなたをずっと探していたんですよ。トリスタンがあなたに逃げられて、一緒に探してくれと言うので……って、泣いているのですか?」
恥ずかしい。
わたしは急いでハンカチで涙を拭って顔を背けた。
「トリスタンとは……もう会いたくありません。もう誰にも……会いたくありません」
「何か事情がありそう、ですね。あの……マリーズ嬢。あなたの気持ちは痛いほどわかります。トリスタンも本当に馬鹿で、自分を愛してくれるマリーズ嬢を捨てるなんて。けれど、一度でいいのです。一度でいいから彼の話を聞いてあげてくれませんか?」
「……わたしは怖いのです。信じていた人に裏切られ続けて、もう何も信じたくなくなりました。人と向き合うことが怖いのに、ましてやトリスタンと話すなんて……耐えられません」
自分が臆病者すぎて嫌になってきた。
いまさらトリスタンが何を語るのか。
何を語られたとしても、わたしの心は傷ついたままだ。
「まぁ……そうですよね。当然のことです。では、あなたがトリスタンとお話しする間、わたしが見張っています。彼が何か危害を加えようとすれば、わたしがすぐに止めますから」
「…………わかり、ました。でもトリスタンはわたしに嫌がらせをするつもりでは?」
「元婚約者のマリーズ嬢ならばわかるはずです。トリスタンはたしかに人の気持ちを考えない男でしたが、嫌がらせをするような性格ではないはずです。ま、婚約破棄も嫌がらせではないかと問われれば否定しかねますが」
……そうかもしれない。
良くも悪くも彼は堂々としている人だった。
だからこそ、堂々と婚約破棄もされてしまったわけだけど。
別にイシリア嬢を信頼しているわけではない。
しかし、トリスタンと二人きりで話すよりは安心できる。
「……話だけなら聞いてみます。ですが、わたしがつらくなったら中断させていただきます」
「ありがとうございます。場所は……ここでよさそうですね。トリスタンを呼んでくるので、しばしお待ちを」
ああ、緊張する。
今にも逃げ出してしまいたい。
けれど逃げる場所なんてないから。
わたしはここで待つしかなかった。
***
「……ネシウス伯爵令嬢」
トリスタンは息を切らしてやってきた。
彼の姿を視界に入れた瞬間、筆舌に尽くしがたい煩悶が胸中に渦巻く。
「トリスタン……」
「先程は不躾にすまなかった。こうして話し合いの場を設けてくれたこと、感謝する」
「い、いえ……」
駄目だ、目を合わせられない。
脇に目をやると、柱の陰でこちらを見守るイシリア嬢の姿があった。
彼女は安心しろと言うようにうなずく。
「マリー……いや、ネシウス伯爵令嬢」
「マリーズでいいわ。一応は元婚約者なのだから」
「ありがとう、マリーズ」
変なところで律儀なのも変わらない。
本当に貴族然としていて……妙な人だ。
トリスタンはすぐに膝を折って頭を下げる。
「まずは謝罪させてほしい。君に婚約破棄を突きつけたことを。君の愛を感じ取れず、一方的に心ない言葉を浴びせてしまったことを。無断で領地に入ったことを……すべて深謝する」
謝罪。
言葉だけで失った一年を、すり減らした精神を取り戻せるのなら苦労はしない。
どうしよう、本音を言おうか。
本音を言えば生意気な女だと思われるだろうけど……いまさら取り繕っても仕方ないか。
それに言わないと気が済まないのだ。
「……正直、許す気にはなれないわ。わたし、酷く傷つきました。婚約破棄されてから、ずっと苦しくて、つらくて……今でもあの日を悪夢に見るの」
「本当にすまない。六年前……いや、君にとっては一年前になるか。一年前、あのころの私はマリーズの愛に気がつくことができなかった。本当に愚かだと思う。許してくれなくても構わない、ただ私の謝罪を伝えられれば」
「それは……自己満足ではないの? ただ謝罪だけして、貴方は満足するの?」
「いいや。私の生涯をかけて償いをさせてほしい。君の要求にはすべて答えよう。君が死ねと言えば死ぬ。婚約を戻してくれとは言わない」
人が……変わった?
ううん、彼はどう見てもトリスタンだ。
真摯ではあるけれど、少しだけプライドが高くて……他人に恭順するような人ではなかったのに。
「婚約を戻すって……あの平民の方、新しい婚約者はどうなったの?」
「ニコレットのことか……彼女とは早々に破局した。ニコレットの目論見は私に入学費を負担してもらい、学園に入学することだったようだ。入学以降、彼女はさらなる高位貴族を求めて私のもとを離れていった。知り合って間もない女性に愛をそそのかされ、こうして無様に今は独り身だ」
……そうなんだ。
でも、わたしを裏切って新たな婚約者を選んだのはトリスタンだ。
それを聞いても全く同情する気にはなれないけれど。
「わかっている。同情は必要ない、私を軽蔑してくれ。とにかく、今は君が立ち直るための支援がしたい。私のことは考えないでくれ」
こちらの心を読んでいるかのようだった。
心の声が聞こえているのだろうか……とわたしの肩が震えた。
「信じられないわ。わたし……誰を信じても裏切られてしまうと思うの」
「それは……リディオ・ローティスのことを言っているのか?」
「……ええ」
トリスタンは立ち上がった。
彼は憤懣を湛えた瞳で、拳を壁に叩きつける。
「すでに君はリディオに深く傷つけられていたのだな……! あのとき、君に話をできていたら……」
「あのとき……トリスタンが屋敷の前に来ていたとき?」
「そうだ。私が他の令息を見下せるわけがないが、それでもリディオの危険性は伝えておきたかった。だが、遅かったのかもしれないな……奴と付き合うのだけはやめておけと」
トリスタンはわたしの方に向き直り、真剣な眼差しで語りだした。
「リディオがどういう人間か、説明させてほしい。そのうえで君の言葉を聴かせてくれ」




