10-30『奇跡開帳』
書籍第二巻、明後日の7/25発売になります!
詳しくは活動報告をご覧ください。
※今回の書き下ろしSSは全4種類! オーバーラップ文庫様のホームページに詳しく載ってます!
誠実に生きようと決めていたはずだった。
それでも、自分の生きてきた道を振り返って。
徹底した嘘が、一つだけあった。
【僕には天能臨界は使えません】
父に向って吐いたあの言葉。
あれだけは、冗談でも、軽口でもなくて。
正義の味方を志す者として、唯一残した【不誠実】だった。
☆☆☆
酒浸りの父と。
僕を恨む母と。
僕にとって、そんな家族こそ全てで。
その全てこそ、僕の敵だった。
生きることは難しいことだ。
何度、その難しさから逃げたいと思ったか。
何度、死にたいと願ったか、分からない。
このままお腹を空かせて。
このまま暴力に力尽きて。
何度、何度、何度――。
このまま終わってしまいたいって。
思ったか、覚えていない。
頑丈に生まれてこなければよかったのに。
そう、僕は僕を恨んでいたし、自分に価値なんてないと思ってた。
けれど、天守に拾われて。
僕が頑張れば、大勢の子供たちが助かると知った。
それこそが、生まれて初めての『僕の価値』となった。
……正直に告白するとね。
弥人と話して
優人と肩を組んで。
恋と笑って。
彼らの兄弟として受け入れられても。
それでもやっぱり、この家族に『志善悠人』の必要性は分からなかった。
彼らのことは大切だし、彼らのためなら命だって捨てられる。
彼らのためなら、この世界のすべてを壊したってかまわない。
けれど、それでも。
僕が居なくても、彼らの世界は回っていく。
そう、理解できてしまうから、少し悲しくなる。
いくら彼らと暮らそうとも。
その生活に、『僕の価値』を見出すことはできなかった。
だから最初から、ずっと……僕の在り方は変わってないんだ。
【実験室の子供たちを守ること】
それこそが、志善悠人の生きる価値。
それもできないのなら、僕は死ね。
ただ一つも守れないのなら、僕は不要だ。
そんなお前には――彼らと生きる資格なんてない。
僕の中で、僕自身がそう突きつける。
それが僕の足を更に急かせた
必死になって廊下を蹴って。
僕――志善悠人は、庭に飛び出した。
すぐに目についたのは、見慣れた二人組。
驚いたように僕を振り返る優人と。
優しそうに、儚い笑顔を浮かべる弥人。
その姿を見たとき、何かが壊れる音がした。
「や、弥人……それに優人も!」
壊れたものの『正体』に気づけぬまま。
僕は、二人へ向かって駆け出した。
「お、お前……志善! だ、大丈夫なのか……そ、その、血が」
「……っ、こ、これは――」
いつになく狼狽した優人の言葉に、思わず返事が詰まる。
全身血塗れ。でもこれは僕の血じゃない。
弥人へ向き直る。
正直、言いたくなかった。認めたくなかった。
僕の見ていた夢だと思いたかった。
けれど、体を伝う赤い血が。
既に冷たくなった液体が。
泣きたいほどに、あの光景を肯定するんだ。
「……実験室の、みんなが殺された」
「な――」
「……っ」
優人の驚愕と、弥人の息を吞むような静かな驚き。
僕は、あの光景を思い出す。
血の海に沈んだ、いくつもの死体。
動かなくなった友達。
楽しく笑い合っていた彼らが。
気が付けば、冷たく変わり果てていた。
「うっ……っぷ」
また、吐きそうになる。
咄嗟に口を押えて堪えるけれど。
前を見れば、僕以上に顔色を青くしている優人が見えた。
「ど、……こまで、殺せば、気が済む……んだ」
「優人、はい深呼吸。落ち着いて」
ふらりとよろめいた優人を、弥人が支える。
その弥人の動きに、弱々しさに……少しだけ違和感があった。
けれど、あの子たちの死を聞けば弥人であってもショックは大きいだろう。
そう考えると、その違和感も飲み込めた。
「や、弥人……弥人なら! 治せるよね、治せるんだよね!」
僕は弥人へと声を上げる。
それを受けた弥人は大きく目を開いたが、返事はない。
僕は遅々とする彼に苛立ち、一歩踏み出した。
「て、手遅れになる前にさ! 早く治してよ! み、みんな……こんなところで死んでいい訳がない! 死なせちゃいけない! 早く! 弥人、早く治して――」
「ま、待て志善! そもそも弥人の【善】じゃ――」
詰め寄ろうとする僕を、青い顔色のまま優人が止める。
「知らないよ! 止めるなよ優人! あの子たちが死んでもいいって言うのか!?」
「そ、そんなわけはないだろう!」
「なら退けよ! 邪魔なんだよ優人!」
自分で、自分の制御が付いていなかった。
失いたくない。失うわけにはいかない。
彼らを守ることだけが、志善悠人の生きる価値だ。
彼らまで失ってしまえば……僕はどう生き直したらいい?
何を理由に生きたらいい。何を救いに生きたらいい。
君たちの隣で、どうやって生きたらいいんだよ……っ。
分からない……分からないよ!
彼らが死んだら、僕はもう僕が僕のまま生きていられる自信が無い!
僕の言葉に、優人が目を見開いて、唇を噛む。
そして彼は弥人を振り返る。
対する弥人は、ゆっくりと瞼を閉ざし。
たった一言、僕へと返す。
「――ごめん」って。
「………………はぁ?」
その言葉が、理解できなかった。
「あ、謝らなくていいよ。だから、早く治しに行こうよ、ね? ほら、みんな弥人のこと待ってるんだよ。だからさ、早く、早く、早く――」
「お、おい……だから志善――」
「うるさいって! 僕はまちがったこと言ってないだろ! 僕は……あの子たちを守るために命を賭けてきた、あの子たちのために実験を受けてきた! なら! 弥人だってあの子たちを守るために命くらい賭けて――」
「――志善ッ!」
僕の言葉を、また優人が遮った。
その言葉には、少なくない『怒り』が滲んでいて。
一度として向けられたことのない感情に、血の上った頭が一気に冷たく醒めるのを感じた。
「ゆ、優人……? え、なんで、怒っ――え、ま、まちがったこと言ってないよ! ……言ってないよね、そう、だよね……?」
僕は優人にそういうけれど。
優人は瞼をきつく閉ざし、何かを悩んでいる様子だった。
その姿はまるで、人生最後の決断を迫られているようで。
不安になって、更に僕は言葉を重ねる。
「ね、ねえ優人! ご、ごめん! 僕……あたまがわるいからさ! 優人がなんでおこっているのか分からない、……けど、まちがったこと言ったんだよね!? 僕、またまちがえたんだよね……そうじゃなきゃ優人がおこるなんて――」
「……頼む、少しで、いいんだ。黙っててくれ」
けれど、僕の言葉は届かない。
震えるような声で。
泣きそうになるような、表情で。
優人は初めて、僕に懇願した。
「……優人、ぼ、僕は……」
ふと、響いた声。
声の主を疑うほどに、弱々しく変わり果てた声。
その狼狽に、僕は目を見開いてその兄を見る。
その顔を見て、僕は……心が引き裂かれるような痛みを覚えた。
何か、取り返しのつかないことをしてしまった。
何か、言ってはいけないことを言ってしまった。
根拠なく、理由なく、そんな確信だけがあった。
声を上げようにも、何を言えばいいのか分からない。
僕は何をまちがえたのか。
言ってはいけなかったことが、なんなのか。
その答えが分からないから……何を言っていいのかも分からなくて。
「……くそっ」
目の前から、優人の小さな呻きが聞こえた。
大好きな彼の、泣きそうな顔を見て。
また、ぴきりと音がした。
今になって、その音の正体が分かった気がした。
☆☆☆
実験室の子供たちが殺された。
志善から齎された一報は、僕の精神をさらにどん底へと蹴り落とす。
弥人の声でなんとか落ち着くことはできたけれど。
僕とは違い……志善悠人は何も知らない。
天守弥人がこれから死ぬこと。
彼の天能では、人の蘇生ができないこと。
だから父上が天能発現の実験を始めたこと。
分からない、分かるはずもない。
だから、その言葉を責めることはできなかった。
「て、手遅れになる前にさ! 早く治してよ! み、みんな……こんなところで死んでいい訳がない! 死なせちゃいけない! 早く! 弥人、早く治して――」
「ま、待て志善! そもそも弥人の【善】じゃ――」
詰め寄ろうとする彼を、必死になって止める。
善じゃ、人の蘇生は絶対に出来ない。
死ぬことは人として当たり前の最期だ。
その『当たり前』を歪め、人界の重圧や責任から逃れることのできた死者に対し、『頑張ったね』と微笑むではなく『もっと頑張れ』と励ますことは――【善】という天能からすれば【悪】にあたる。
善なる力で悪は為せない。
弥人の力では、そんな『ご都合主義』は通せない。
もとより天守弥人に与えられた力は、悲劇を避けるためのモノ。
決して、起きてしまった悲劇を覆せるようなモノじゃない。
それを、志善悠人は知らなかった。
だから足掻いた。必死になって、子供たちを救おうと叫んでいた。
「知らないよ! 止めるなよ優人! あの子たちが死んでもいいって言うのか!?」
「そ、そんなわけはないだろう!」
「なら退けよ! 邪魔なんだよ優人!」
止められるはずがない。
止められるわけが無かったんだ。
こいつが言っていることは全部正しくて。
それでも、その正しさを。
ただの正義を、今の弥人には向けてほしくなかった。
僕は、弥人を振り返る。
そして、大きく目を見開いた。
天守弥人は、葛藤していたからだ。
手の届かない絶望に暮れるわけではなく。
手の届く救いに、足掻くべきかを葛藤していた。
……その姿に、僕は不思議と理解した。
弥人なら子供たちを助けられるんだ、って。
何か方法があるんだろう。
僕らの知らない『とっておき』があるんだろう。
……前に聞いた【天能臨界】ってやつなのか。
天能を体外に出して、さらに高次元で力を振るう天守の口伝。
使えないと、聞いていた。
弥人の口から、自分は習得できなかった、と聞いていた。
けれど、彼の表情、伝わってくる葛藤から。
それは嘘だと、僕は見抜いた。
「天能を、体の、外に……」
ぼそりと、その言葉を復唱する。
知っていた。
この男は今、ただの意地で生き繋いでいる。
普通なら死ぬところを、必死に堪えてしがみついている。
もう、歩くことだってできないだろう。
痛みも苦しみも不安もなにも、優しい笑顔で誤魔化して。
自分の死を、天能の不死性で誤魔化し、足掻いている。
そんな天能を体の外で形成する【天能臨界】。
もしも、仮に……万が一に。
今の弥人が、その力を使ってしまったら。
一時的にでも、天能がその体から消えてしまえば――。
間違いなく、弥人はその瞬間に即死する。
使ったが最後。
実験室の子供たちを助けたが最後。
確実に、兄は死ぬ。
この場で絶命する。
志善悠人の願いに応えて、天守弥人の物語が終わる。
志善の言葉が、弥人を殺すのだ。
その事実に、頭の中が真っ白になった
家族のために。
死んだ友達の為に。
意味もなくそんな単語が浮かんでは、すぐに消えた。
何を選んで、何を捨てるか。
正義を取って、友達を救うか。
家族を取って、僅かな時間を弥人と話すか。
おそらく……いいや、間違いなく。
今、僕は、人生で最大の選択を迫られている。
苦悩に奥歯を噛んだ。
それでも時間は止まってくれない。
残酷な現実は、刻一刻と手遅れに進む。
そんな、中で――。
「ごめん」って。
兄が謝る声が、聞こえた。
真っ白な頭の中に……兄を謝らせてしまったと。
罪悪感が色を残した。
「あ、謝らなくていいよ。だから、早く治しに行こうよ、ね? ほら、みんな弥人のこと待ってるんだよ。だからさ、早く、早く、早く――」
「お、おい……だから志善――」
【だめだ】
真っ先に、頭に浮かんだのはその三文字だった。
兄の姿を見て、誰かを救いたいと叫ぶ義弟を見て。
不思議と、探していた本音が頭に直接降ってくる。
だめだ。
だめなんだよそれは。
その先を、志善に言わせてはいけない。
兄を殺させてはいけない。
志善なんかに、兄を殺させてたまるか。
「うるさいって! 僕はまちがったこと言ってないだろ! 僕は……あの子たちを守るために命を賭けてきた、あの子たちのために実験を受けてきた! なら! 弥人だってあの子たちを守るために命くらい賭けて――」
「――志善ッ!」
自分の口から出てきた言葉は、思っていた以上に鋭かった。
志善も、弥人も、驚いたように僕を見ていたけれど。
僕はそんな視線を気にしていられる余裕はなくて。
必死になって、自分の『答え』を確認していた。
もう、とっくに自分の中で答えは出ていた。
けれど、『答え』に向かって歩き出そうと思うと……脚が震えた。
その『答え』を考えると、この場に跪いて、泣き崩れそうになった。
その先を、一人で歩ける気がしなかった。
全てを背負える……自信が無かった。
けれど、僕を心配そうに見つめる二人を見て。
「……くそっ」
きっと何度繰り返そうと、僕はこの決断をするだろう――って。
分かってしまったら、もう、後戻りなんてできなかった。
☆☆☆
悠人が、庭へとやってきて。
その血だらけの姿に、心臓を掴まれる思いだった。
けれど、もう、彼に駆け寄る体力は残ってなくて。
痛みに強張ろうとする頬を、必死に笑顔で上書きした。
朦朧とする意識を、必死につなぎとめる。
ああ、こりゃ参ったな。
色々と……二人には話しておきたいこと、あったんだけど。
もう、数分も持ちそうになさそうだ。
そう、内心苦笑した僕は。
地下の子供たちが全員死んだと知らされて。
僕の天能なら直せるかもしれないと考えて。
僕は初めて、恐怖に震えた。
死ぬことは……正直、あんまり怖くなかったんだ。
父上と母上のところに行くだけ。
優人たちを残していくのはちょっとだけ心残りだけど。
彼らのことは信頼しているから、あんまり不安はなくて。
それでも、今、自分だけが地下の子供たちを救えると突きつけられて。
……わずかに残った、家族との時間。
それを自ら手放さなきゃいけないことが、恐ろしかった。
彼らに伝えたかったこと。
遺言とか、いろいろとね。
これでも必死に考えたんだよ。
一応、最期……だからね。
間違った道を行かないように。
復讐に囚われないように。
君たちが、今後も幸せに生きていけるように……って。
そんな思いを伝える最後の機会を、自ら捨てる。
ここに来て、初めて肩が震えた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
心の中で、天守弥人が首を横に振る。
兄ではなく――ただの、小学生の天守弥人が駄々をこねる。
最後なんだ。
もう、二度と話せないかもしれないんだ。
この瞬間くらい、ゆっくりさせてよ。
お願いだから、最後くらい。
家族のために、僕の時間を――
「……優人、ぼ、僕は……」
情けない声が聞こえた。
それが自分のモノだと理解して、心が悲鳴を上げる。
やめろ、それ以上弱っている姿を見せるな。
僕は兄として、最後まで、優人たちに――。
「……なあ、弥人」
ふと、優人が僕の名を呼んだ。
その言葉に、思わず目を見開く。
彼の声は今にも泣きそうなほどに震えていて。
けれど、僕を真っ直ぐに見据えた優人は、いつも通りに見えた。
必死になって内心を隠して。
いつも通りの、つまらなそうな無表情を貼り付ける。
その差異が。声色と表情の違いが。
ぎゅっと、僕の心を締め付けた。
咄嗟に声が出なかった。
言いたいこと。
伝えたいこと。
彼の表情を見た瞬間に、真っ白に消えた。
ただ、今は。
大きな決断を前にしたような弟を見て。
「――それで、後悔はないのか?」
「……っ、ぅ、っ……!」
また、心がぎゅっと締め付けられる。
彼が伝えたいこと。
天守優人が、最後に天守弥人へ贈る言葉。
その内容はどこまでも……優しくて。
その言葉はどこまでも……彼に対して残酷だった。
「そうしてただ、家族のためだけに生きて、自分のためではない人生で、お前は満足か」
「……なにを、言ってるの優人?」
彼の言葉に、悠人が戸惑う。
けれど、義弟の困惑なんて聞き流し。
大好きな弟は、懐かしむような目で僕を見据える。
「少なくとも僕は……そんな腑抜けに憧れた覚えはない」
そんなことを言われたのは、生まれて初めてで。
最後だからこそ出せた優人の本音に、涙が溢れた。
「最後だ。最期なんだ弥人。……今、お前が我が儘を言っても、誰も責めないさ」
「ね、ねえ! 優人! さっきから何を言って――!」
「もう一度、言うぞ兄さん」
「ここで意地を捨てて、お前は本当に後悔しないのか」
☆☆☆
僕は、正義の味方に憧れた。
誰より強くて、誰より輝かしくて。
いつだって皆を守る。そんなヒーローに憧れた。
『ぼく、せいぎのみかたになる!』
幼いながらに、そう叫ぶ僕を。
父と母は、笑顔で肯定してくれた。
二人が嬉しそうだったから、僕も嬉しくて。
誰かが喜ぶ顔が好きだったから、僕は正義の味方を目指したんだ。
『正義の味方か。難しい目標だが……目指す先は高いほど良い』
ふと、父の声が聞こえた。
懐かしい……まだ笑えていたころの父の声だった。
『私としては、あまりお勧めできませんね。正義の味方を目指す以上、残酷な選択をする日だってあるでしょう。生き地獄を味わいますぞ、弥人様』
『セバス、何故お前は夢も希望もないことをいつも……』
『弥人様を思ってこそです周旋様。だいたい貴方は責任感が――』
父上とセバスの言い争いが聞こえる。
ああ、もう、喧嘩しないでよ。
僕はそう苦笑いした。
その、直後。
背中をぶっ叩かれた感覚があって、目を見開いた。
『何言ってんのよ! 子供の夢なら応援する! それだけでしょ!』
懐かしい声に、涙が頬を伝った。
振り返ることはなかったけれど。
その人はしっかりと、僕の背中を押してくれている。
『正義の味方? 結構な夢じゃないの。残酷な選択とか、難しい生き方とか、夢も希望もないとか。そんな難しいこと子供に話して何になるっていうのよ、このお馬鹿二人組!』
『いや、学力的にはお前が一番――』
『シャラップ!! だまらっしゃい周旋!』
そう言って、その人は僕の頭を撫でた。
優しくて、暖かくて、大好きだった掌。
その人は、僕の隣に立つと。
僕を優しく見下ろし、笑いかけた。
『人を助ける行為は美しい。考えることはそれだけでいいじゃない?』
「……うん、そうでしたね。母上」
僕は、瞼を開く。
目の前には、優人が立っていて。
彼は僕の言葉を聞いて、少し悲しそうに見えた。
「……目、醒めたか?」
「うん。なんだか……難しいこと考え過ぎてたみたいだね」
家族のこと。
子供たちのこと。
死とか、蘇生とか。
善とか、悪とか。
色々と考えて、考えて。
いつの間にか、僕は空回りしていたみたいだ。
「このまま生きて、後悔はないか。そう自分に聞いてみた」
このまま、地下の子供たちを見捨てて。
自分の最後の時間を、優人たちに使うこと。
……ああ、それはなんて甘美な時間だろうか。
そうできたのなら、どれだけ幸せだろうかと僕は思う。
けどね。
目の前に、助けられる子供たちが居たとして。
彼らを見捨てて【後悔しないか】と聞かれたのなら。
僕は、考えるまでもなく首を横に振るよ。
「人を助ける行為は、絶対に正しいんだよ」
困っていたなら、手を差し伸べる。
助けを求められたのなら、答える。
救える命があるのなら、手を伸ばす。
そんなのは、当たり前のことだったんだ。
誰かを助ける行為は美しいし。
救える命を見捨てたのなら、僕は絶対に後悔する。
僕は大きく息を吸うと、両手の指を目の前で組む。
「ね、ねえ、さっきから何言ってるの!? お願いだから答えてよ!」
「志善。お前は悪くない。僕が、僕の意志で、僕の言葉でこいつを殺すんだ」
弟の言葉に、苦笑する。
そっか、僕を殺す、か。
全然そんな事思ってなかったけど……そうなると、君の夢は叶ったのかな。
天守弥人を打倒する――って。
まあ、こんな最後だと締まり、つかないと思うけどさ。
「ありがとね。危うく後悔して死ぬところだった」
「ああ。死因に家族を使うな馬鹿。……最後くらい、好きに生きて死ね」
そうだね、御もっともだ。
僕の死因を家族に押し付けるのは、ちょっと酷かった。
だから、ありがとう。そしてごめんね優人。
君の言葉で死ねるのなら、僕は最高に幸せだ。
僕はそう笑って。
人生最期の、天能を行使する。
「天能臨界――【奇跡開帳】」
☆☆☆
天守弥人の天能臨界。
奇跡開帳――アルヒテラス。
善という天能が持ちうる全能性。
全てに手が届くだろう万能性。
他の力とは一線を画す、世界に祝福された力。
その万への指向性を、たった一点へと絞り、昇華する。
その果てに生み出された、力の臨界。
その効果こそは――【奇跡の強制発動】
どのような奇跡になるかは、術者ですら制御は不可能。
無作為に、目の前へと【神の奇跡】を顕現する。
それは、誰のための奇跡かもわからなくて。
家の中に【敵】が居る今、使うわけにはいかなかった。
天守弥人は、意図的に自分の臨界を封印した。
けれど、今になって彼は確信していた。
この力はきっと。
自分の生まれた意味は、きっと。
今日、この瞬間に――誰かを助けるために在ったのだ、と。
(……ねえ、神様)
少年は、空に乞う。
神様。
あなたを殺した末裔の分際で、お願いがあります。
僕の、全てをあなたに捧げます。
力も、命も、心も、思い出も。
でも、その代わり……今この瞬間だけは。
この力で、誰かを助ける【自由】を下さい。
それは、少年が生涯において唯一行った、神頼み。
暗い曇天から、一筋の月光が差す。
その光は優しく少年を照らし、彼は瞼を閉ざした。
「……ありがとう、ございます」
そして、奇跡は行使される。
天守家すべてを飲み込むように、巨大な天幕が下りる。
優しい光が全てを包む。
「こ、これ……って!」
志善悠人は、上空を見上げて目を見開く。
その隣で……天守優人は、最後まで兄から目を逸らさなかった。
少年の頬に涙が伝う。
少年は、最期に兄弟へと笑いかけた。
「色々と、言いたいこと……あったんだけどさ」
何を言おうか。
どんな言葉を、彼らに残そうか。
色々と考えたけれど。
最期の言葉は、笑顔と一緒に溢れてきた。
「……あとは、頼むよ」
視界が、傾く。
最期に見えたのは、自分を見据える最愛の弟。
ぐしゃり、と。
少年は血と共に沈む。
弟の頬へと血が跳ねた。
その頬を拭うこともなく、彼は天を仰ぐ。
その日、その瞬間。
正義の味方として――天守弥人は絶命した。
次回【怪物の目覚め】
※ここだけの話、9-16を見返すと面白いと思います。




