井戸のなか
夜の村で螺珠に出会ったこと、その螺珠が死体を操っていたことをどう理解すればいいのか、段達は芳児と螺珠を吸い込んだ黒い靄が消えていった地公廟に足を踏み入れる。
黒い靄は地公廟に向かったのだから、螺珠は地公廟のどこかに隠れているのだろうが、地公廟のどこに隠れているのかが分からない。
段達は地公廟のなかを歩き回る。
(この廟には、自分がまだ知らないことがある)
石禹斗にとっては特に変わった廟ではないようだったが、普段は天公廟にいる迅にとって地公廟は興味深いものらしく、「このあたりは同じだ」とか「ここは違う」と言いながら歩き回っている。
「段達、石禹斗、あの建物はなにをする場所なんだ?」
迅に問われて段達と石禹斗は笑った。
「あれは地龍たちがこの世界と地龍の世界と行き来するための、奥の廟。祭司官のなかでも地龍と眷属にしか入ることが許されないから、祭司官見習いには入れない」
石禹とは「あ」と付け加える。
「見習いでも段達は入れる」
「そうだね、地公だものね」
迅が頷いた。
段達は石禹斗が「奥の廟」と言った八角形の建物の扉を開く。
中は見慣れた廟だったが、本来は水が張ってある泉には水がなく、凹凸も揃わない鏡が水の代わりに敷き詰めてあり、その鏡も無人の村では埃にまみれて何も映さなくなっていた。
段達は歩き回り、水を探す。
「なにを探している?」
石禹斗に訊かれて段達は「水がある場所」と答える。
「地公廟にあって、水がある場所」
段達の返事を聞いた石禹斗が「井戸になら水があるはずだろう」と井戸を探し始めた。
井戸、泉、水がある場所。
石禹斗が「迅! 井戸を探せ!」と迅に声をかける。
空を見れば、村の鳥居に張った結界にむかってしきりに術の矢が飛んでいる。
地公廟は埃にまみれ、いたるところに蜘蛛が巣を張っていた。
松明に照らされた廟の中央で、柏の木が風に揺れている。
「柏」
人は柏を、あの世とこの世を繋ぐ木と言う。
石禹斗が柏の根元に井戸を見つけた。
「段達! 井戸があった!」
その石禹斗の声に、段達は声を振り返り迅とふたりで柏の根元に急ぐ。
三人が松明を持って井戸の中を覗き込めば、井戸の中には水があった。
「ふむ」
段達は自分の松明を石禹斗に渡し、胸の前で手を叩いて心臓に意識を向ける。
体がほどける感覚に身を委ねて緑の鱗をきらめかせ、段達は一度、龍の姿で空に駆け上がって井戸に身を躍らせた。
石禹斗と迅は段達が井戸に落ちていくのを眺めた。
*** *** *** *** ***
井戸の水をくぐって、段達は道を辿る。
暗い道を進み、明るい点を目指して段達は泳いだ。
明るい場所に出て自分の姿を人に戻し、段達は周囲を見渡す。
(五姉上の宮に似ている)
しかし宮よりもずっと色が褪せている。
黒と白の世界。
鳥も草木も、色が薄い。
柳が生えた広い湖には見覚えがある。
王城の湖だ。
段達はゆっくりと歩いて周りを観察した。
「どこかに芳児の気配はあるか?」
ここがどこなのかもよくわからないが、黒い靄が小さな建物を取り巻いているのが見えた。
「螺珠」
姉を探せば芳児もいるのだろう。
段達は黒い靄のかかる建物に近付き、部屋を覗き込んで螺珠を確かめた。それから建物に忍び込んでみれば、螺珠は芳児と一緒にいた。
ふたりで寝台に腰かけて、なにかを話している。
耳をそばだてて、その話が二皇子のことなのだとなんとなく分かったが、それ以上に芳児が無事だと分かって気が抜けた。
物陰で、段達はじっとふたりの会話を聞く。
螺珠が芳児に黒い着物を出して見せる。
「きれいでしょう?」
螺珠に訊かれて芳児が頷く。
「はい」
「桑州の絹」
笑い、螺珠は芳児が着ていた綿の着物を脱がせた。
段達は声を出さないように「姉上ずるいぞ、私だって彼女を脱がせたことないのに」と口だけでひとり主張する。それからふと思う。
(叔父上は蛇や鳥を梅香姉さんに貸しているけれど、あの蛇や鳥は梅香姉さんが着替えるときにも一緒にいるのだろうか。もしそうだとしたら、あの蛇や鳥の目を通して梅香姉さんの着替えを覗いたこともあるんだろうか。戻ったら訊いてみよう、そして覗いたことがあると言われたら、梅香姉さんに、着替えや風呂のときには蛇や鳥を入れないように忠告しておこう)
それから、と段達は思う。
(元足を胸の谷間に仕舞うのもやめろと芳児に言わないといけない)
そのあいだに芳児は黒い着物に袖を通して髪を梳かれていた。
「あなたの名前は?」
「芳児」
「きれいな肌」
「ありがとう。自慢なの」
螺珠が「そうでしょうね」と笑う。
「あなたはどうして私をここに連れて来たの?」
芳児が螺珠に問うのが聞こえた。
「女の子がひとりで男の子のなかにいたから」
螺珠が芳児の肩を抱き寄せる。
「男の子だってそのうち男になるの、信じてはだめよ。彼らはひどいことしかしないの」
段達は螺珠に、「芳児だって半分は男だ」と声を出さずに文句を言った。
「言うことを聞かないと言っては腰の骨が折れるかと思うぐらい、棒で叩くのよ」
それにも「それは芳俊の兄だ」と段達は文句を言う。
芳児がおとなしく螺珠の話を聞いている。
「あなたの名前、芳児?」
「ええ」
「花の香る、香りのことね」
「ええ」
螺珠が芳児の首筋を撫でた。
「花は好き?」
「見るのは好きだけれど、あの花を咲かせろ、この花を咲かせろと言われるのは嫌い」
芳児が笑い、螺珠が目を見開く。
「私もよ」
「美味しいものも好きだけど、美味しい物を出せと言われるのも嫌い」
螺珠が笑った。
「私も同じ。ここにはそんなことを言う男はいないわ。でも、ここを出ると全部あの男の言いなりになるしかないの」
芳児を抱きしめ、螺珠は言った。
「あの男、私の死体を傀儡にして、魂を縛ったのよ」
「あの男とは、蘭俊?」
「違うわ、施徹という男」
段達は「誰だそれは!」と声を出さずにまた抗議の声をあげた。




